18 グリーン・スクランブル!

 指先から水分が抜けるような感覚に、アルファルドは手を握り締めた。ヒースを追いかけた魔狼たちが、アルファルドの樹の魔力を引き出したらしい。優秀な魔狼の兄弟たちが上手く対処してくれたのだろうと、人知れず唇の端を上げる。

 ヒースの問題はひとまず片付いたので、次は銀竜の問題なのだが……。


「早くしてくれないと、眠りの魔法が切れちゃうんだけど」


 アルファルドは眠る銀竜の背中に腰掛けて、急かすように膝を揺する。目の前ではディーンとライルが銀竜の翼の付け根に刺さった槍を引き抜こうと奮闘しているが、竜の高い自然治癒力が災いして傷口の肉が固まり始めているのか、作業は難航している。


「お前、呑気に見てねえで手伝えよ!」

「くっそ……こいつなんで無駄に偉そうなんだ」


 直前まで銀竜と死闘を繰り広げていた二人が抗議するが、アルファルドは鼻で笑い飛ばす。喋る余裕があるなら、まだ大丈夫だろうという判断である。


「準騎士同期の二大脳筋が甘えたこと言ってんじゃないよ。いつもの馬鹿力はどうした?」


『絶対にセリアルカに言いつけてやる』と二人が心に決めたところで、ようやく槍が滑り始めた。二人で呼吸を合わせ、体重をかけて渾身の力で槍の柄を引くと、槍はすぽんと勢いよく抜けた。飛び散る血を押さえながらアルファルドが、傷口の治療を開始する。


 魔法で強制的に眠らされているとはいえ相当痛むのだろう、銀竜は小さく唸りながら時折びくりと脚を動かす。幸い破れていたのは片翼だったので、傷が無い方の翼を観察しながら傷口を修復していく。深い傷が塞がると、だいぶ痛みが緩和されたようで、銀竜は静かな寝息を立て始めた。


「とりあえず、出血していた傷を塞いで応急処置をした。此処ではこれ以上の治療は無理だ。完全に塞がったわけじゃないから、激しく動けば傷が開いてしまう。まだ飛ぶのは難しいと思う」


 浴びた血を拭いながらアルファルドが言う。せめて樹の魔法が使えれば、銀竜の胴体をつるで縛って傷口が開かないように養生することもできるのだが、今はこれ以上手の施しようが無い。アルファルドが銀竜の背中から降りようとしたその時、突然銀竜が目を覚まして、長い首を擡げた。何かを探すようにぐるりと頭を巡らせて、ゆっくりと立ち上がる。


「アル! 大丈夫か!?」

「また襲って来るんじゃねーだろうな!?」


 ディーンとライルが身構えたが、銀竜は足元の人間たちには目もくれず、谷底を覗いて翼を大きく開いた。黄金の光を放つ銀竜の角に薄緑の光が滲んで、銀竜を中心に風が巻き起こる。谷底から吹き上げる風に混じって、魔狼の遠吠えがアルファルドの耳に届いた。

 降りるタイミングを失したアルファルドは、今にも開きそうな傷口を膝で押さえながら、銀竜の首にロープを引っ掛けて手綱にする。


「ディーン! ライル! 君たちは一足先に白竜の巣に向かってくれ!」

「お前はどうする気だ!?」


 ディーンの問いに、アルファルドは谷底を指差す。


「僕は……ヒースを回収してくる」


 銀竜は高く嘶き、背中にアルファルドを乗せたまま山頂から飛び降りた。頭から垂直に落下した竜は、空中で身を捻りながら谷底を目指す。風の結界を張っても、目も開けられない程の強風に吹き飛ばされそうになりながら、アルファルドは必死に手綱を握った。


 谷底が目視できる高度まで降りると、銀竜は上体を起こした。翼を一度大きく羽ばたいて急旋回すると、針葉樹の森を睥睨しながら鷲のように風に乗って飛ぶ。案の定、羽ばたいた衝撃で傷口がざっくりと開いたが、銀竜は頓着しない。


 向かう先に広い雪原が見える頃、銀竜は降りる態勢に入った。ぐっと高度を下げ、後脚で大地を抉りながら速度を緩めると、派手に雪を巻き上げて着地する。ぴたりと動きを止めた銀竜の前で、よく見知った顔が呆然と見上げていた。


「え……アル? 銀竜に乗ってきたの!?」


 軽々しく乗ってきたと言える程、快適な旅ではなかった。今喋ったら吐きそうな気がしたので、アルファルドは無言で頷く。「いいなぁ〜」なんて呑気な感想を述べるヒースに苛つきながら、再度治療を始めた。


「こ、こんにちは。来てくれてありがとうございます。えーと、お嬢さんをお届けに来たんですけど……人間の言葉は分かりますか?」


 ヒースが銀竜の目の前に仔竜を掲げて話しかけると、銀竜はその場に腹這いになって、ゆっくりと頭を下げた。ヒースの手から飛び立った仔竜が、銀竜の鼻先に抱きついてピュイピュイと嬉しそうに鳴く。

 父娘がどんな会話をしているのか、ヒースとアルファルドには分からなかったが、銀竜が纏う風から鋭さが消えていくのが感じ取れた。一仕事終えた魔狼たちも、団子になってまったり寛いでいる。


 治療を終えたアルファルドが銀竜の背中から降りると、銀竜の身体が白い光に包まれた。光は収束して形を変える。やがて光の中から現れたのは、仔竜を抱いた青年だった。

 褐色の肌に長い銀髪がよく映える。筋骨隆々の逞ましい身体に銀色のローブを纏うその姿は、ディーンとよく似ている。猛禽類を思わせる琥珀色の眼に見据えられて、ヒースは息を呑んだ。


「我が仔を取り戻してくれて、ありがとう。勇敢な人の子らよ」


 語りかける声は、ざらりとノイズが掛かりディーンのものよりも嗄れていた。驚愕に言葉を失っていたヒースは、ようやく我に返る。


「あ、ああ、はい。どういたしまして……。あの、その、お姿は……?」


 代々銀髪が多いシュセイルの王家は、しばしば銀竜に例えられる。こうまで似ていると血縁関係を疑ってしまうが、王家が竜の血を引いているという話は、ディーンからも聞いたことは無い。ヒースの不躾な質問にも銀竜は快く答えてくれた。


「我が友、イースファルの姿を借りた。我が知る人間は、奴しかおらぬのでな」

「イースファル? ……まさか、竜騎士王イースファル!?」


 興奮気味にヒースが問うと、銀竜は真顔で首肯した。魔狼たちを労っていたアルファルドも驚いて顔を上げる。シュセイル人で、その名を知らない者は居ない。

 シュセイル王国第五代国王イースファルは、銀竜の竜騎士だったと記録されている。その圧倒的な戦闘力で史上最大の領土を獲得した、シュセイル王国黄金期の王だ。


「それじゃあ、イオス島の博物館にある銀竜角の剣ってまさか……」

「我の角であろうなぁ」

「ですよねっ!! わあ、本物だぁ! 握手してください!」


 ヒースは銀竜の手を握ってぶんぶんと振る。子供のように目を輝かせるヒースに、表情に乏しい銀竜も顔に困惑を浮かべた。イースファル王と銀竜の冒険譚が、シュセイルの子供たちの心を如何に惹きつけて来たか、彼は知らないのだろう。


 すっかり夢中になって、銀竜の手を握ったまま離さないヒースに、それまで大人しくしていた仔竜が噛み付いた。ヒースの肩に飛び移ると、小さな角でグリグリと頬を突いてくる。


「ピギィィ!!」

「いっ痛い! ごめん、君のこと忘れてたわけじゃないよ」

「プィー!」

「まったく。仔竜の方がしっかりしてるな……。おい、ヒース! 呑気にお喋りしている暇は無いだろう?」


 呆れたアルファルドが声をかけると、ヒースはハッと本来の目的を思い出した。


「そうだった! 銀竜様、密猟者たちが巣を狙っているんです! すぐに巣に戻ってください!」


 ヒースの声が風に溶けた瞬間、膨れ上がる銀竜の怒気に森が揺れて、鳥たちが一斉に飛び立つ。世界から音が消えた気がした。


「……強欲な人間共め」


 やがて発せられたのは、深い悲しみに満ちた呟きだった。銀竜の周囲に稲妻が奔り、光が膨張する。ピシャンと雷が弾けた後には、白銀の巨竜が鎮座していた。空を睨み、翼を開いた銀竜の前でヒースは飛び跳ねながら手を振る。


「ついでに僕らも連れて行ってくださーい! 密猟者は僕らが制圧します!」


 銀竜はヒースを一瞥して、小さく頷いた。突風が巻き起こりヒースとアルファルドの身体が浮く。


「えっ、僕はいい! もう乗らないって!」


 アルファルドがジタバタ暴れて拒否するも、奮闘虚しく背中に降ろされる。銀竜はどこか得意げに顎を上げた。


『遠慮するな。狼の子よ』

「遠慮してないから!!」

「どうしたのアル? 高所恐怖症だっけ?」

「プィー?」


 事情を知らないヒースと仔竜が首を傾げたが、アルファルドは頭を抱えたまま閉口した。

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