9 わがままレディホワイト
ヒースは部屋に戻ってシャワーを浴びた後、一階の酒場が開店するまで、自室でのんびり待つことにした。しかし、ヒースが椅子に座った途端、仔竜がピーピーと騒ぎ始めたので、くつろぎの時間は一瞬で消え去った。昼間はヒースのベッドで大人しく寝ていた仔竜だが、退屈なのか鳴いて跳ねて歩き回ってと大騒ぎである。
「こらこら。まだ怪我が治ったわけじゃないんだから、良い仔にしていて」
飛ぶのに失敗してベッドから落ちそうになった仔竜を慌ててキャッチしたのに仔竜は不満そうに「プープー」と鳴き出す。抱っこされているのが嫌なのかヒースの指を噛んだので、仕方なくテーブルに乗せてあげた。
やっと大人しくなったと、空いたベッドにうつ伏せに横になれば、今度はテーブルからガタンゴトゴトっと音がする。
「なになに今度はどうしたの〜?」
億劫そうに顔を上げてテーブルの上を見れば、林檎の入った籠から長い尻尾がゆらゆら揺れている。中でゴソゴソ動く度に、籠から追い出された林檎がテーブルの上を転がっていく。ヒースはガックリと突っ伏した。
「……お転婆なお嬢さんだ」
声のトーンから悪口だと思ったのか、仔竜は籠の中でバタバタと暴れて抗議する。暴れ過ぎてひっくり返った籠に閉じ込められて、今度は助けてくれとピーピー鳴いた。
ヒースは見事なオチに笑いながらベッドから起き上がる。籠を取ってあげると、仔竜はちょっぴり不貞腐ったようにプイっと顔を背けた。小さくても竜らしく、気位が高いらしい。
「お腹空いてない? 林檎食べる?」
床に落ちた林檎を拾って、仔竜の目の前に転がすと、最初は無視していた仔竜も興味を惹かれて食い付いた。文字通り小さな口を懸命に開いて林檎に噛み付いたのだが、顎の力が弱いのか噛み切れない。仔竜は悲しそうにクウクウ鳴きながら、林檎の表面を舐めていた。
「かしてごらん。剥いてあげるよ」
言葉が通じているのか定かではないが、仔竜は鼻先で器用に林檎を転がしてヒースの手に乗せる。ヒースがナイフで林檎の皮を剥き始めると、仔竜は琥珀色の目を輝かせた。
くるくると螺旋を描く真っ赤な皮に、夢中で戯れついて邪魔をする。林檎を切り分けた頃には、赤いリボンでラッピングされたようにぐるぐる巻きになっていた。
「あはは! もう……果汁でベタベタになっちゃうじゃないか。ほら、おいでお嬢さん」
「ピィィプゥ」
林檎の皮を解いて、濡らしたタオルで身体を拭いてあげると、仔竜は気持ち良さそうにクルクルと喉を鳴らす。ツヤを増した白い背中を撫でてヒースはため息をついた。
「……あんまり可愛いことをしないで。後で寂しくなっちゃうからさ」
これ以上、情が湧かないように、名前を付けたくなるのを我慢しているのに。もっと撫でろと、掌に頭を擦り付ける仔竜を眺めながら、ヒースはいつか来る別れの時を思っていた。
その夜。一階の酒場が閉店しても、アルファルドとライルは戻らなかった。仕事を放棄して逃げるような彼らではない。何か問題があったと考える方が自然だろう。
「そうじゃなければ、痕跡じゃなくて犯人そのものを見つけた、とかな」
「土地勘の無い所で深追いは良くないって言いたいところだけど、ライルとオリオンたちも居るし、植物が生える場所ならアルはほぼ無敵だ」
「そうだな……命の危険は無いと思うが」
ディーンとヒースは、閉店後の一階で二人を待っていたのだが、時間はそろそろ深夜に差し掛かろうという頃である。心地良い疲労と暖炉の温かさに段々と瞼が降りて、うつらうつらと舟を漕いでいるヒースに、見かねたディーンが口を開いた。
「ヒース、チビを連れて先に休んでろ。あいつらが帰ってきたら呼びに行くから」
「うん。ありがとう。そうする」
ヒースは素直に頷いて、膝の上で寝ていた仔竜を抱いて立ち上がる。二階への階段を一段昇った時、背中にディーンの声がかかった。
「あったかくして寝ろよ?」
「…………うん」
振り向かずに答えて、ヒースは部屋に戻った。
深夜。暑苦しくて何度も寝返りを打つうちに、ヒースは浅い眠りの中に居た。枕元では仔竜が丸くなって寝ている。楽しい夢を見ているのか、たまに足や翼を動かしてピープーと鼻を鳴らすので、その度にヒースの意識は浮上させられた。ヒースはもう何度目かの寝返りを打って、部屋の壁の方を向く。
竜っていびきかくんだな。なんて夢現に思いながら、また深い眠りに落ちる――寸前のことだった。
キイと部屋の扉が鳴いて、廊下の灯りが眠るヒースに細く差し掛かった。アルファルドが帰ってきたのなら、声をかけてくるだろう。しかし、扉はすぐに閉められた。階下に戻ったのかと思いきや、ギシリと沈み込むように床を軋ませて、何かが近付いて来る。
ヒースは仔竜を起こさないように、そっと引き寄せて服の胸元に入れた。一歩、二歩……この歩き方なら、扉からベッドまで十歩程だろうか。
ベッドのすぐ側の床が軋み、背後に気配を感じた瞬間、ヒースは枕の下に隠していた短剣を振り抜いた。
ガチンと暗闇に火花が散る。眠るヒースに振り下ろされたナイフは弾き飛ばされ部屋の天井に突き刺さった。マスクで顔の下半分を隠していたが、目元は若い。体格から推測するに若い男のようだ。
「やぁ。そろそろ来ると思ってたよ」
ヒースは掛け布団を蹴り上げて男に被せると、モゾモゾもがいて窓から逃げようとする背中を思いっきり蹴り飛ばした。窓を突き破り外に追い出された男を追って、ヒースも窓枠を飛び越えて外に出る。
仔竜を拾った雪原から飛び去る際、ヒポグリフの背からこの村が見えたことだろう。昼間に偵察に来たのなら、ヒースが村中を歩き回って聞き込みをしていたのを目撃しただろうし、宿屋に逗留していることも知っただろう。
襲撃を見越して、ブーツを履いて、上着を着たまま寝た甲斐があったというものだ。
ヒースは間合いを測りながら、ゆっくりと歩み寄る。いつもは柔和な笑顔を纏うその顔は、聖堂に佇む光神像のように冷徹な美貌。表情を失くした途端に、見る者を畏怖で圧倒する。
「最初に言っておくけど、僕は魔法が苦手なんだ。貴方が少しでも使う素振りを見せたら、身の危険を感じて殺してしまうかもしれない」
襲撃者はゆらりと立ち上がり、腰のベルトに提げた剣を抜いた。夜闇に風がひゅうと鳴いて、男の剣に収束していく。徐々に薄い緑の光を孕んでいく剣身を見て、ヒースは小さくため息をついた。警告は無意味だったらしい。
ヒースは左手の短剣を握り直し、右手に長剣を抜くなり一気に間合いを詰めた。まだ魔力が充分に行き渡っていない剣ならば、大した脅威ではない。振り下ろされた剣を軽く短剣でいなし、ガラ空きの肩を長剣で刺し貫けば、風の魔力が男の腕に逆流して鮮血が飛ぶ。自らの魔力に引き裂かれた腕を押さえて男は膝を着いた。
「ぐっ、うぁ……ぁ……」
「警告、したよね?」
悲鳴を押し殺す男の喉元に
遠ざかる羽音に、ヒースは軽く血振りをして剣を納めた。
「やれやれ……君はモテモテだね」
ヒースが上着の胸元を開けると、仔竜がひょこりと顔を出す。何が起きたのかわかっていないのか、キョロキョロと辺りを見回して目を瞬いていた。
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