2 ミントグリーンの風
静まり返った森に、ぱきぱきと枝が折れる音が響く。時折枝に積もった雪がバサッと大きな音を立てて落ちて、心臓が胸から飛び出しそうに跳ねる。
何かが木から木へと移動しながら近付いて来るようだ。音や気配から一匹じゃないことは推測できるが、視界が悪く魔物の正確な位置は分からない。
離れた場所でヒース同様に倒木の陰に隠れたディーンを見やれば、『二匹。頭上、十時の方角』とサインが返ってきた。
ヒースの頭上から雪の塊が落ちた瞬間、ヒースは木陰を飛び出し、木を蹴り付けた。しかし落ちてくるのは雪ばかりで、魔物の姿は無い。
「チッ……こっちは囮か!」
ヒースはディーンの居る方向に木が撓むのを目視するなり、即座にディーンの元へと走る。獲物を見つけた魔物たちはギャッギャッと嗤い声のような鳴き声を上げて、木から木へと飛ぶ。枝葉の間から視認できたその姿は、腕の長い白い猿のような魔物。その数、十匹。
木の上から降り注ぐ投石を掻い潜り、ヒースは群れに囲まれ孤軍奮闘するディーンの元に駆けつけると、助走の勢いそのままに大きく踏み切り、背を向けていた白猿の背骨を双剣で斬り裂いた。悲鳴も上げられずに崩れ落ちた仲間に、白猿の群れは色めき立つ。
「ディーン! 無事かい?」
「ああ。雪狒々の群れか……数が多いな」
「牧場から竜を攫ったのはこいつら!?」
「だろうな。真冬なのに丸々太ってやがる」
背中合わせで問えば、ディーンは落ち着いた様子で答える。木の上から飛んで来た投石を軽々と剣身で叩き落とし、その隙を突いて飛び掛からんとした雪狒々の首を冷静に斬り飛ばす。ヒースは助太刀要らなかったかもなぁと乾いた笑いを浮かべながら、飛び掛かる雪狒々を各個撃破していく。
魔物の群れを半分ほど減らしたところで、勝てないと踏んだのか、雪狒々たちに動揺が走る。包囲網はジリジリと後退して、今にも崩れるかというその時、森が震えるような殺気が満ちた。
戦意喪失しつつあった雪狒々たちは、長の登場に勝機を見出したのか、その場に留まってキイキイと鳴いて飛び跳ねる。木々を薙ぎ倒し、耳をつんざく咆哮を上げて姿を現したのは、巨大な金毛の狒々だった。
大猿はズンと大地を踏み締めて、子分を巻き込みながら突進して来る。ディーンとヒースは横跳びに避けたが、大猿の長い手足は鞭のようにしなり、森の木々を薙ぎ倒して遮蔽物を一気に吹き飛ばした。
「うわぁー! なんでボスがここに!? 集合地点ここじゃないよね!?」
バラバラと降り注ぐ雪と木の残骸を避けながら、ヒースが悲鳴を上げる。
予定では、ヒースとディーンは山側から回り込み、魔物の斥候を狩りながら巣を目指す。別働隊が森の魔物を巣に追い込んで、ヒースとディーンが合流後、そこで群れとボスをまとめて討つ手筈だった。
「あいつらぁ……何やってたんだ」
ディーンが忌々しげに溢したその時、爆音と共に夕闇の森に紫電が疾った。木の上に逃げていた雪狒々たちが感電して地上にボタボタと落ちてくる。
「雷の魔法……ライル!?」
運良く雷撃を避けた雪狒々を殴り飛ばしながら、木々の間から大きな影が躍り出る。ライルと呼ばれた大男は、ヒースを見るなり気まずそうにヘラりと笑った。
「悪い悪い! すばしっこいのに気を取られて逃げられたわ」
「軽っ! それ始末書ものだからね!?」
「バレなきゃいーんだよ!」
遅い来る雪狒々を鉤爪のナックルで軽々と引き裂きながら、ライルは飄々と言ってのける。
確かに雪狒々一体一体はさほど強くないが、数が多く、木に登って飛び道具を使うなど狡賢い。形勢不利と見なせばボスが出てくるのも必定。雪狒々の相手をしながら大猿を追うのは至難の業だっただろうと、ヒースはそれ以上の追及はやめて雪狒々の相手に勤めた。
先程の広範囲の雷撃では大猿を仕留めるには至らず、大猿は怒りの咆哮を上げて拳を振り回す。攻撃は味方を巻き込むほどに雑だが、巨体から繰り出される威力は凄まじく、近付く隙が無い。
ライルの雷の魔法に頼りたくとも、皮膚が厚いのかゴム質なのか、近距離から直に叩き込まなければ通じないだろう。
「このまま暴れさせて大猿が疲れるのを待つしかないか?」
「いや、僕が動きを封じる」
大振りな攻撃を躱しながらディーンが舌打ち混じりに呟くと、答えは森の中から返ってきた。別働隊としてライルとコンビを組んでいたアルファルドが合流したようだ。
「アル! 五秒でいい! 耐えてくれ!」
「分かった。とどめはよろしく!」
「任せろ!」
アルファルドとの短い打ち合わせを終えて、ディーンは呼吸を整え、体内の魔力の循環を意識する。蹂躙された森の空は広く開いている。今なら風を呼べるだろう。
ディーンは剣を眼前に掲げ、魔力を溜めて風を呼ぶ。空が鳴き、竜巻のような強風が戦場を吹き荒れ、ディーンの剣に収束していく。無防備になったディーンの背中に雪狒々が迫ったが、察知したヒースが駆け付けて斬り伏せた。
アルファルドの樹の魔法が発動し、倒れた木々から黒い根が飛び出して大猿の体を貫き大地に縫い止める。大猿の威嚇の咆哮に真正面から対峙して、ディーンは剣を天に掲げた。
「我が祖神。神域の守護者。天つ風と蒼き炎を纏いし戦神よ。我が剣に宿りて勝利を導け!――風よ、我が剣となれ!」
ディーンの剣身に緑の光が宿る。風を纏って高く跳び上がり振り下ろされた剣は、暗闇に緑の残光を描いて大猿の延髄を断った。黒い血を吐いて倒れ伏した大猿は、そのままピクリとも動かずに沈黙した。
ボスを失った雪狒々の群れは統率を失い、全てヒースとライルの手で討伐された。周囲に漂っていた瘴気の霧が消えたのを確認して、ディーンはようやく剣を納める。
「よーし、任務完了だ! それじゃあ野郎ども! どうしてこうなったのか……反省会といこうじゃねえか」
マスクを取ったディーンの顔は晴れやかな笑顔だったが、『これは長くなるな』と一行は腹を括ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます