雪花に誓う騎士道

小湊セツ

前編 : 雪山の貴婦人

1 雄弁はシルバーというが

 身を打つ雪の礫は激しさを増して、一歩進む毎に雪が絡みつき重みを増す。山の地形に歪められた地吹雪は、女の悲鳴のような甲高い音を響かせて荒れ狂う。


 前後左右など分からない。どれほどの道程を踏破したのかも分からない。握ったロープの先にはリードする相棒がいる筈だが、ホワイトアウトした視界の中では姿を確認できなかった。軽くロープを引けば、向こうも同様に引き返す。


『大丈夫だ。ここに居る』


 言葉も声も無いが、相棒の確かな存在感が雪に弱り果てた心を鼓舞する。アイゼンを噛ませて再び歩み始めたその時、轟と一際強い風が谷底から吹き上げて、二人は身を竦めた。


 雪雲は風に穿たれ、蒼空が覗く。陽光に灼かれた真っ白な世界に、ほんの一瞬、凛と煌めく銀色の光を見た気がした。何かが頭上を飛び去る気配に空を仰げば、雲間から降りるいくつもの光の梯子を縫うように巨大な竜が空に遊ぶ。

 雷の轟きの如き咆哮を上げて蒼空に飛び去る白銀の威容。風の神と崇拝される銀竜の勇姿だった。


 いつの間にか吹雪は止んで、爽快に晴れた蒼空が広がっていた。風も雪も銀竜が連れて行ったのだろうか。

 フードを脱いでゴーグルを外して、シュセイルの守り神が去った空の向こうを呆然と眺めていると、ぽすんと雪玉が後頭部を直撃する。振り返れば今度は顔面に飛んできた。


「うわっ!? ちょ、何すんのディーン!」

「ヒース! 呆けている暇は無いぞ。急がないと。たぶん俺たちが一番遅れてる」

「それは分かってるけど、僕の美しい顔に霜焼けができたらどうすんのさ」

「さぁな。今よりいい男になるんじゃないか?」


 ヒースはぷるぷると頭を振って、被った雪を落とす。頬に何か固いものが触れて、恐る恐る手で探ってみれば、ふわりと毛先が巻いた金髪に銀色の塊が絡まっている。髪を引き千切らないように慎重に外すと、それは手のひらの上で鏡のように空を写した。


 指で摘んで光に翳す。半月形の謎の塊である。欠けた部分を想像で補えば、本来は二枚貝のような形だろうか。薄くて軽い、けれど強靭で傷ひとつないメタリックな輝きが眩しい。貴重なものを拾った気がして、ヒースは大事に上着のポケットに仕舞い込んだ。


「それにしても、すごい吹雪だったね。死ぬかと思った」


 前を歩くディーンの背中にヒースが声を掛けると、ディーンは振り向かずに肩を竦めた。


「なわばりに人間が入ったんで、銀竜の機嫌が悪かったんだろう。あいつら雷と風と氷を操るからな」

「これ以上登るなって?」

「ああ。そうでもなきゃ、気位の高い銀竜が人間の前に姿を現すことはない」

「さっきのあれは警告ってこと?」


 今度は振り返って、「かもな」とディーンは声を落とした。ゴーグルにマスクと、雪山用装備で表情は見た目に分からないが、その声からは緊張が伝わる。

 極北の国、シュセイル王国は、古来より竜と共に生きる国である。特に国旗や王家の紋章にも描かれる銀竜は、竜族の中で最も尊い存在。その銀竜が警告を発したとなれば、人間は従うしかない。


「さっさと任務を終わらせよう。銀竜の逆鱗に触れないうちに引き上げた方が良さそうだ」

「うん。これからが本番だね」

「ああ。まずはアルファルドとライルに合流しないとだな」


 騎士養成学校である王立学院を卒業後、準騎士位となった彼らは、正騎士叙任要件を満たすためにシュセイル各地の街を巡って実戦経験を積んでいる。

 準騎士時代の経験は、後に希望する騎士団にアピールする際の貴重な材料になるので、とにかく質の良いクエストを多数こなすことが重要である。クエストの数には限りがあるので、同時期に正騎士叙任を目指す者たちは日々しのぎを削っている。


 今回のクエストは、シュセイル王国中西部に位置するセレンス村の村長の依頼で、放牧している緑草竜を狙う魔物の群れの討伐である。

 通常はディーンとヒースのコンビで仕事を引き受けるのだが、魔物の数が多いことが予想されるため、王立学院の同窓生アルファルドと準騎士同期のライルを助っ人に呼び、協力して取り組むことになった。二人ともややクセの強い男たちではあるが、腕の方は確かである。


「僕らの仕事がまだ残っていればいいけど……」


 アルファルドとライルは既に正騎士叙任要件をクリアし、所属する騎士団も決まっている。ディーンとヒースは今回のクエストに成功すれば要件を満たす。ディーンは家業を継ぐため所属先が決まっているが、ヒースはまだ所属する騎士団は決まっていない。

 焦る必要は無いと自らに言い聞かせても、やはり道の先を行く者が目に入れば、気持ちは追い付き追い越そうと急いてしまう。ぽつりと呟いたヒースの声はディーンに届いた筈だが、返事は無かった。




 その後はアクシデントに見舞われることなく、三時間程歩いたところで前方に集合地点がある森が見えた。ここまで来れば必要ないだろうと、ディーンは二人を繋いでいたロープを解く。

 早朝から長時間、森林限界の上を歩いていたので、植物の緑にホッとしたのも束の間。二人は雪山登山用から森林探索用に素早く装備を替えて、集合地点へと急いだ。


 日は傾いて、気の早い星がひとつ、ふたつと瞬き始める。夕陽を背に黒々としたアカマツの影が地上に伸びて、森に夜が忍び寄る。夜は魔物が活発になるので、完全に日が落ちる前に勝負をかけなくてはならない。


 先を歩むディーンが突然立ち止まり、ハンドサインで指示を飛ばした。ヒースはディーンと分かれて倒木の陰に身を潜める。数分と間を置かずに、周囲になまぐさい獣臭が立ち込めて、黒い霧のような瘴気が漂い始める。

 ――魔物が近い。

 ヒースは瘴気を吸わないように鼻と口をマスクで覆い、腰のベルトに提げた鞘から長短の二振りの剣を抜いた。

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