第4話 咸臨丸
860(安政7)年、咸臨丸でアメリカに渡った日本人達が生きてカリフォルニア州サンフランシスコに上陸出来たのは、たまたま乗り合わせたブルック艦長(Captain Brooke)以下11人のアメリカ人船乗り達のお陰。
彼等11人のアメリカ人船乗り達がいなかったら咸臨丸の航海は悲劇的な結末になっていたのは間違い無い。
稀に見る大嵐の連続で息も絶え絶えの日本人達、やっとのことでサンフランシスコに上陸した。何人もの重病人も出た。彼等の入院の手配から始まり、何から何まで総ての物事の陣頭指揮を執ったのもブルック艦長と思はれる。この時の通訳は万次郎。
あの時の日本人達は文字道り“陸に上がった河童”。全く手も足も出ない状態だったと考えられる。
あの時代の日本人達は皆、欧米等外国へ行くと似た様なものだった。
それ程日本と欧米は違った社会だった。
それ程日本と欧米は全く異質の社会だった。
結局入院した日本人船乗り達の内三人が死んだ。彼等三人の墓は上陸した場所に近いカリフォルニア州・サンフランシスコ・コルマにある。
ブルック大尉1826年12月18日アメリカ南部の生まれ。万次郎1827年1月23日土佐の生まれ。彼等二人の共通の土台は海。
この約一年後アメリカは南北戦争へと突き進んで行く。
1939(日本では1952)年公開のハリウッド映画『風と共に去りぬ』と言うのがある。南北戦争後不用となった大量の銃が日本に輸入され、それらの銃を使用して戊辰戦争が戦われた。以前NHK大河ドラマで『八重の桜』と言うのがあった。主人公の八重がアメリカ製のスペンサ-銃で戦ったことは知られている。
八重の夫となる新島襄も帰国子女。
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