第99話 罪悪感

「ホントごめんね?」

 四つん這いの俺の腰を擦りながら嗣葉が苦笑いを浮かべる。

「明日迄に痛み取れるかな……凄っげー痛いんだけど……」

 部屋の床から立ち上がり、ゆっくり腰を伸ばすとピキッと痛みが走り、俺はベッドに手を付いた。

「痛たっ! これ、無理かも……」

 俺はそのままベッドにうつ伏せになる。

「湿布無いかな……」

 そう言って嗣葉は立ち上がってドアを開けると、「お母さーん!」と大きな声を上げて階段を降りて行く。

 下から嗣葉と母さんの話し声が聴こえ、1分もしないで嗣葉は戻ってきた。

「あったよ、湿布」

 ベッドに乗っかった嗣葉が俺のシャツをいきなりずり上げて素肌を触る。

「ひっ⁉」

 腰を優しく押されて「ここ?」と聞く嗣葉に俺は焦って声を上げる。

「じ、自分で貼るからいいって!」

「無理でしょ? 腰なんだし。私が貼ってあげるから……ここらへん?」

 腰を押す嗣葉に観念した俺は、位置を教える。

「下、下、もっと……うん、そこらへんかな?」

「ここ? 貼れないじゃん!」

 嗣葉はいきなり俺のお腹の方に手を突っ込んてベルトを探る。

「ちょ⁉ 何やって……」

 ドキンとした、女の子にベルトを外される経験なんてしたこと無いから……。

 一気に顔が火照る、だけどうつ伏せだから多分気づかれる事はない。

 俺の下着を少しだけ下げた嗣葉の指先から伝わる体温に、これから湿布を貼られることなど忘れてしまいそうになる。

 何だか変な気分になりそうな時、俺の腰にとんでもない冷気を感じて俺は体を仰け反らせた。

「冷たっ!」

 背中をパシッと軽く叩いた嗣葉が立ち上がり、「じゃーね?」と後ろ手に手を振って部屋を出て行く。

 俺は仰向けに寝返り、部屋を出て行く嗣葉を無言で見送る。

 どうすっかな、明日……。

 俺は天井を眺めてため息を付いた。


 ◇    ◇    ◇


 次の日、起きてみると腰の痛みはだいぶ治まっていた。

 これなら大丈夫。

 俺は安堵してバイトに向かう準備を始める。

 きっと店長、この先休みくれないだろうな……。

 仕方がない、俺が霧島さんを来れなくした原因を作ったのは間違い無いし。

 身なりを整えて外に出て、ガレージを開けると嗣葉が外に出て来た。

「大丈夫? 腰……」

 済まなそうに近づく嗣葉に、俺は「へーきだよ」と笑顔を作る。

「あのさ……、私もワンアップ行くよ……」

 胸に手を当てて嗣葉が言った。

「は? いいって! いいって! 嗣葉が気にする事じゃ無いし」

 気を遣わせてしまったな、何だか嗣葉に申し訳ない。

「ううん、私、悠と一緒に働いてみたいんだよ! 私さ、バイトしたこと無いし、初めて働くなら知った人が居てくれると心強いし」

 嗣葉の真っ直ぐな瞳に真剣さが伝わって来る。

「ありがとう嗣葉、ホント助かる」

 俺は彼女に頭を下げた。

 

 久々に嗣葉と自転車を並べて走る。

 それだけで俺は嬉しくて、心の中から温かくなって来る。

 バイト先までの十数分、他愛のない会話を続けて笑い合う、それだけで嬉しくて尊い時間。

 何時もより短く感じたワンアップ迄の道のり、毎日がこうなら楽しいだろうな。

 バイト先に着いた俺たちは建物の陰に自転車を停めて裏口を開ける。

 ちょっと緊張気味の嗣葉が新鮮で、ドキドキが伝わって来て少し可愛い。

 タイムカードを押して、俺はバックヤードでパソコンを触っている店長に声を掛ける。

「連れてきましたよ、店長」

「あ……? 嘘っ!」

 店長は一瞬訳が分からない様子だったけど、嗣葉を見つけて飛んで来た。

「こんにちは、高梨嗣葉です。バイトが足りないって水無月君に聞いて……」

「採用っ!」

 嗣葉の手をとった店長の勢いに、彼女は少しのけ反った。

「看板娘決定! 試用期間は水無月君の時給の100円増しでいいかい?」

「は? 何ですかそれっ!」 

 俺は思わず声を漏らした。

「彼女なら集客アップ間違いなし、違うかな?」

 嗣葉は慌てたのか、声を上ずらせて言った。

「て、店長さん! 私、ホント分からないし、働いたこと無いから辞めて下さい! 普通でいいです、普通で!」

「謙虚なところもいいねぇ! 気に入った、すっごく気に入ったよ!」

 店長は嗣葉の両肩をパンパン叩いてニタニタ笑う。

「じゃ、水無月君、あと頼むな! みっちり仕事教えてあげて」

 は? 丸投げかよっ!

 手を振った店長は倉庫に消えた。

「ちょっと悠、あの人大丈夫なの?」

 俺の耳元に手を添えて嗣葉が囁いた。

「う~ん、大丈夫じゃ無いけど、いつもあんな感じだから。取り敢えず更衣室行こう?」

 俺は休憩室兼ロッカールームに嗣葉を連れて行き、空きロッカーが無いか扉をパタパタと開閉する。

 霧島さんのロッカーにはまだ荷物が入っていて、今直ぐにでも現れそうな気配がした。

 俺は物置きと化していたロッカーの荷物を纏めて近くにあった段ボールに詰め込んで嗣葉の為にロッカーを一つ用意する。

「ここ使って」

「ありがと……」

 嗣葉はコートをクリーニング店の使い回しみたいな黒いプラスチックのハンガーに掛けて鞄をロッカーの中の上の棚に押し込む。

「あと、これ着けて」

 霧島さんのロッカーから青いエプロンを借りて嗣葉に渡す。

 店の白いロゴが申し訳程度に胸に印刷されているエプロンを嗣葉が身に着けると、何だか俺は可笑しくなってしまった。

「なに笑ってるのよ?」

 不審げに嗣葉が俺を睨んだ。

「いや、なんか給食当番みたいだから」

「もう! 茶化さないで! 私、すっごい緊張してるんだから」

 口を尖らせて彼女は俺を叩くフリをする。

「ごめん、ごめん。じゃ、そろそろ始めるか?」

 俺は前を歩いて嗣葉を店内に案内した。

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