第98話 抑えられない気持ち

「たっだいまーっ!」

 玄関で元気に挨拶する嗣葉の声に、母さんが居間から顔を出した。

「あら? 嗣葉ちゃんいらっしゃい、ご飯食べた? まだなら……」

「いえ、直ぐ帰りますから。だからちょっとだけ悠借りていいですか?」

 何だよ、借りるって。俺は物じゃないんだから俺に聞け、俺に!

 嗣葉はまるで自分の家のように階段を上り、俺の手を引く。

 俺の部屋のドアを開けて、嗣葉が慣れた手付きで照明のスイッチパネルを手探りで点けると、荒れ果てた汚い部屋が明るみになる。

「ん? 何だろ。なんか生臭い気がする、男の子の匂い?」

 嗣葉は目を瞑ってクンクン部屋の匂いを嗅ぐ。

「う、うるせーな! 嫌なら帰れよ!」

 俺は一気に赤面して声を荒げた。

「まーたまた、ホントは嬉しいくせにっ!」

 俺は少しだけ窓を開け、換気しながらエアコンを入れると、床に散らばった服や物を片づける。

 嗣葉は部屋のドアを閉め、カーテンも閉めるとベッドに腰かけて、俺もベッドに座るように促した。

「悠からして」

 嗣葉は俺に紙袋を渡して言った。

 ちょっと緊張する、物が物だけに照れくささが込み上げて来る。

 俺は紙袋から指輪の入った箱を取り出し、金押しされた紙のスリーブを引き抜くと嗣葉に体を向けた。

「ちょっと遅くなったけど……メリークリスマス、嗣葉」

 俺は彼女に向かって指輪の入った布張りのケースをパカッと開けた。

「おおっ! 凄っ!」

 歓声を上げた嗣葉がチラッと俺を見て手の甲を差し出す。

「ん? 何?」

「たくっ、『ん?』じゃなくて指に嵌めて!」

「あ、そうか……」

 俺は指輪ケースから小さい方の指輪を抜き取って嗣葉の手をそっと掴む。

 細長い綺麗な薬指に指輪を嵌めると嗣葉はニコッと笑って大きな指輪をケースから抜き取り、俺の薬指に嵌める。

「なんか結婚式みたいだね?」

 ウインクした嗣葉に俺はキュンとしてしまって、気が付けば彼女を抱き締めていた。

 ビクッとした嗣葉は俺に抱き締めたれたまま耳元で囁いた。

「悠? なんか最近エッチじゃない?」

 耳たぶを引っ張られ、俺は咄嗟に体を離した。

「ご、ごめん……」

「わ、私も嫌いじゃ無いけどさ、なんかこう……いきなりされたら照れくさいっていうか……」

 毛先を落ち着きなくねじり、嗣葉は思いっ切り目を逸らす。

「そろそろ帰るね、私」

 嗣葉は逃げるようにベッドから立ちあがり、ドアノブに手を掛ける。

「待ってくれ嗣葉っ!」

 思わす引き止めてしまった。

 嗣葉の手首をグッと掴み、逃がさないとばかりに彼女の体を引き寄せた。

 俺はバカだ、何でこんな時に体が反応するんだ!

「な、何……?」

 体を固くして身構える嗣葉はドアを背に顔を赤らめる。

 俺は嗣葉をドアに追い詰め、壁に手をつく。

「嗣葉、あの……その……」

 掴まれた手首を解こうと嗣葉は口をワナワナさせて、声を上ずらせる。

「ダ、ダメだからっ!」

「頼む嗣葉!」

「だ、だって、したこと無いし、怖いよ! だいたい私達にはまだ早いって言うか……」

 思いっきり顔を反らし、腕で体を防御する嗣葉。

 俺は唾を大きく呑み込んで言った。

「ワンアップでバイトしてくんない?」

「は? い……?」

 眉をヒクつかせた嗣葉に俺は咄嗟に頭を下げた。


 ◇    ◇    ◇


「痛ででででっ!」

 部屋で逆エビ固めを嗣葉に決められ、俺は悶絶しながら床を手のひらて何度も叩く。

「ドキドキさせといて何言うかと思えばバイトしろって何なのよっ!」

「だ、だから霧島さんと喧嘩してバイト来なくなったから替わりにどうかって話だって!」

「何で私が行かなきゃなんないのよ!」

「だって嗣葉が原因なんだから仕方ないだろ?」

「アンタの優柔不断が原因でしょーがっ! 私のせいにしないでくれる?」

 嗣葉が俺の足を更に反らせる。

「お、折れるって! 体折れちゃうって!」

「折れろっ!」

 ドアがバン! と開いた。

「折れちゃうって、あなたたち何してるのよ! って、あら……?」

 ワインボトルを片手に母さんが血相をかいて現れ、ポカンとした顔で俺たちを見つめた。

「そっちのプロレスごっこ⁉」

 訳の分からないことを口走る酔っ払いに、俺はエビ反りのまま叫んだ。

「そっちって、何勘違いしてた!」

「いや〜だって変な叫び声聴こえるし、折れちゃうとか言うからってっきり……」

「うわーっ! それ以上言わなくていいからっ!」

「じゃ、続けていいわよ」

 ドアを閉めた母さんに俺は叫んだ。

「良くねーからっ! 息子助けろよ!」

「母親公認ってことで、もっとやっちゃいますか?」

 嗣葉が更に体重を掛けてきて俺の腰に嫌な音がした。

「ぐはっ……」

 俺の口から魂が抜けた感覚がして、俺は果てた。

「えっ⁉ ちょ……ゆ、悠⁉ 大丈夫?」

 俺を揺する嗣葉の姿か俯瞰で見えて、多分俺は天に召されたのだろうと諦めの境地に陥ってしまった。

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