第97話 異変

 結局嗣葉とは指輪の交換を出来ずじまい。

 あれだけ怒らせた嗣葉と直ぐには和解出来ないのは直感で分かる。

 だけど今回は長引かないだろう。

 確信は無いが、そんな気がした。

 時間も無くなってしまうから仕方がない、俺はそのままバイト先へと向かった。


 ワンアップに着き、着替えを済ませてレジに立つ。

 バイトの出社時間はとうに過ぎているのに霧島さんは現れない。

 無断欠勤だ。

 店長は彼女に電話を掛けたが繋がらず、電話を切るとニヤニヤしながら俺に近づいて来る。

「な、何スカ?」

 気持ち悪いほどの笑顔で背後に立つ店長に、俺は苦笑いを返す。

「霧島ちゃんと何があったのかなぁ?」

 ギクリとした、言われた途端に顔が引き攣るのを隠せなくなる。

「恋愛のもつれだろ? 水無月君!」

 いきなり背後から腕で首を絞められ、俺は必死に店長の腕をタップする。

「やっぱりか! お前、前に店に来てたあの金髪美少女と霧島ちゃん天秤にかけてただろっ!」

 げっ! バレてる⁉

 だいぶ前にたった一回店に来ただけだってのに、よく覚えてたな! 店長は名探偵かよ?

「どうせクリスマスにあの娘に告って上手くいったから、霧島ちゃん振りやがったな! どーすんだよ? ベテラン辞めさて!」

「ぐ、ぐるしい! てんちょ……」

 ヤバっ! この人マジだって!

「変わりにあの娘連れて来い! じゃ無きゃ、冬休みフル出勤だからな!」

 窒息寸前で顔が熱くなり、ふら付いてまっすぐ立っていられない俺は苦し紛れに言い放つ。

「わ、分かりましたって! 声だけは掛けてみますからっ!」

 やっと解放された俺は、呼吸を再開させてもらう代償を払ってしまった。

 絶対に無理だ! 嗣葉に頼んだら殺されるって!

 普通にお願いしても断られるのは確実なのに、二日連続で嗣葉の胸に触った怒りが収まっているはずが無い。

 嗣葉は無防備でしょっちゅうパンツを見せるくせにエッチな事には固く俺を寄せ付けない。

 見た目は結構してそうな雰囲気なんだけどな……。

 取り敢えず明日、店長には駄目だったって嘘言っとこ。


 開店時間を迎えてから二時間、店内は俺と店長だけ。

 やっぱり忙しい。年末は土日と変わらない忙しさで二人じゃ無理なのは当然、霧島さんが居た時だって忙しかったからな。

 店長はさっき奥さんにヘルプを頼んでいたみたいだけど、即断られたみたいでスマホで話している最中に電話を切られていた。

 これ、正月のセール終わったな……。

 霧島さんに謝って来て貰うって手も無いでは無いが、現実的には厳しいだろう。

 お互い居心地が悪いだろうし、仕事と割り切っても協力プレイは不可欠な環境、きっと今直ぐ来てくれても上手くいく気がしない。

 結局、その日は激務だった、クリスマス商戦に比べたらなんてことは無い来店客数だったけど二人で回すのは無理がある。トイレも昼休憩もままならず、閉店時間にはヘトヘトで、俺も明日から出社拒否しようかと思うレベルだ。

 帰り際、タイムカードをラックから抜き取った俺に店長が念を押す。

「明日、あの娘連れて来てな?」

「は、はぁ……。聞いてみます」

 無理だと分かっている俺は速攻裏口を開けて退社した。


 ◇    ◇    ◇


 さてさて、どうすっかな?

 暗がりの中、自宅のガレージに自転車を押し込み、シャッターに手を掛けて嗣葉の部屋の窓を見る。

 部屋には電気が煌々と灯り、カーテンに嗣葉のシルエットが写る。

 影の形も綺麗だな……。

 俺は彼女の影の滑らかな曲線に見入ってしまった。

 バイトの誘いはともかく、胸を触った事を謝らないとな。

 シャッターを降ろすと嗣葉の部屋のカーテンに隙間が出来て光が漏れた。

「ヤバっ! 気づかれた! クレーム言われる前に退散しないと」

 謝ろうと思ってはいたが、俺は腰が引けてしまった。ガレージの鍵穴に鍵を差し込もうとしたが妙に焦ってしまって鍵を地面に落とし、慌てて俺は拾い上げる。

 シャッターに鍵を掛けた瞬間、高梨家のドアが開き、一気に迫って来る足音が聞こえて来て俺は背筋を伸ばして身構える。

「お帰り悠! プレゼント交換しよ?」

 白い紙袋を目の前にかざし、嗣葉がニコリと笑う。

「はぇ?」

 噛みつかれるかと思った俺は拍子抜けして間抜けな声を出してしまった。

 嗣葉は見慣れた部屋着で俺の目の前に立っている、タイトな色褪せたジーンズにパリッとした白い長袖シャツに袖を通していて、寒いのにコートを羽織っていない。

「悠の部屋行こ?」

「えっ⁉ いや……部屋汚いし……」

「いいよそんなの、いつもの事でしょ?」

 ムードもクソもあったもんじゃ無いだろ! 俺の小汚い部屋なんて。

 戸惑う俺を見て嗣葉が大きな声を出した。

「いいのっ! 私、早く悠と嵌めあっこしたいんだから!」

「バ、バカっ! 大きな声で変なこと言うなって!」

「変なことなんて言ってないでしょ? いいから早くっ!」

 嗣葉は俺を引っ張って歩き出した。

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