第78話 疑念

 「お帰り、悠!」

 ガレージから出て来たところを嗣葉に見つかり、俺は物凄く焦って体を震わせた。

「今、ビクッとしたでしょ? この小心者っ!」

 嗣葉が俺の顔を覗き込んでニタニタ笑う。

 だけど俺は嗣葉から目を逸らしてしまった。霧島さんからキスをされてからまだ一時間ほどしか経っていない、唇にはキスの感覚が残っていて無邪気に笑う嗣葉に後ろめたさを覚えてしまったからだ。

 俺は戸惑い気味にガレージのシャッターを閉めると自宅玄関に向けて早足で歩き始めた。

 背後に靴音が付き纏う、嗣葉は俺の後に付いて来て玄関前で横並びになる。

「な、何だよ?」

 今日の嗣葉は珍しくシックな濃い緑のロングスカートを履いていて、上は指先が隠れるほど袖の長い白いニットを着ていた。

「いいからさ、悠の部屋行こ?」

 首を傾げた嗣葉の金髪が風でふわりと揺れる。

「は⁉ 今はちょっと……」

 俺はやんわりと拒否反応を示した。

 霧島さんの痕跡が残ってるかも知んねーしヤバいって!

「ん? まさか部屋でエロ本開いてたとか?」

 嗣葉は歯を食いしばって笑い、口元を手で隠す。

「んな訳ねーだろっ!」

 不名誉な濡れ衣を着せられた俺は踵を浮かせて全力否定してしまい、玄関前で思いのほか大きな声を出してしまった。

 嗣葉の着ているニット生地が細い体に密着して胸元の膨らみがハッキリ見えていて、エロという言葉を聞いた途端、俺は彼女の張りのある大きな胸にチラチラと視線を送ってしまう。

「確認だぁーっ! おっ邪魔しまーすっ!」

 嗣葉はいきなり玄関ドアを開けて家に侵入し、階段を駆け上がる。

「だ、駄目だって!」

 バーンとドアが開く大きな音が二階から聴こえて来て俺は頭を抱えた。

 完全に隙を突かれた! 嗣葉の胸、見ちゃってたから……って、絶望してる場合かっ!

 俺は靴を脱ぎ捨てて階段を二段飛ばしで駆け上がる。

 部屋に入ると嗣葉はベッドに腰掛けて霧島さんから貰ったばかりのヘッドセットを頭に着けてクッキーを摘んでいた。

「悠、どーしたのこれ? 私にくれるの?」

 折り畳んでいたヘッドセットのマイクを上下に動かしながら嗣葉が笑う。

「何で嗣葉にやらなきゃなんないんだよ!」

 霧島さんの痕跡は無いか? 俺は目だけ動かして部屋の中を確認する。

 はっ⁉ プレゼントのラッピングがテーブルの影に落ちてる!

 さり気なく俺は嗣葉の視界を遮ってラッピングを拾い上げ、学習机の引出しに隠す。

 他にヤバい物無かったっけ? 俺はソワソワしながらも平静を装って学習机の椅子に腰を降ろして嗣葉と向かい合った。

「ん? 何かいい匂いするね?」

 嗣葉はヘッドセットを付けたまま上を向いて瞳を閉じ、クンクン部屋の匂いを吸い込んでいる。

「クッキーの匂いじゃないのか?」

 俺は椅子から手を伸ばしてテーブルに置いてあったハート型のクッキーの箱の向きを変えてハートに見えないように無駄な抵抗を試みる。

「いや……お菓子の匂いじゃなくてさ、柔軟剤? 香水みたいな……」

 いっ⁉ それって霧島さんの匂いだろっ!

「あ……そ、それ洗たく洗剤の匂いじゃないか? 最近母さんが変えたんだけどすっげー香って嫌なんだよ」

「ふ〜ん」

 嗣葉は大きな目を細くして意味深に俺を見つめる。

「で、今日は何してたわけ?」

 嗣葉は食べかけのクッキーを口に放り込み、指先に付いた砂糖をペロッと舐めて首を傾げる。

「えっ? ゲ、ゲームだよ……」

「一人で?」

 上目遣いで俺を観察する嗣葉に耐え切れず、俺は思わず目を逸らす。

「そうだけど……」

 咄嗟についた嘘に自己嫌悪に陥りそうになる。

「あっ、そうなんだ……」

 ピクンと体を震わせ、視線を床に落とした嗣葉が少し悲しそうな顔をした気がした。

「ゆ、悠っ……あのね」

 嗣葉はヘッドセットを外してベッドの上に置くと、あらたまったように姿勢を正し、背中から小さな紙袋を取り出して俺の前に差し出した。

「お誕生日おめでとう……」

 らしくもなく語尾が小さくなるほどゴニョゴニョ話す嗣葉は、俺から思いっきり顔を逸してほんのりと顔を赤らめている。

「あ、ありがと……」

 俺は嗣葉からプレゼントを受け取り、膝の上で紙袋を開けて中を除き込んだ。

 中には綺麗なチェック柄の包装紙に包まれた小さな箱が一つ、それを中から取り出して俺は暫し眺める。

 箱の天辺にはピンク色の立体的なハートが食っ付いていて、触るとプニプニした感触がした。

「開けていい?」

 俺は視線を嗣葉に戻して聞いた。

「うん、開けてみて」

 綺麗なラッピングを剥がすと、白い箱が入っていて、若干の重みを感じた。俺はその箱を開けて中を確認する。

「ん? コップ⁉ いや、コーヒーカップ?」

 白い磁器のカップは水色の小さいハートが均等に散りばめられた可愛らしい柄だった。

「可愛いでしょ? それね、私のと色違イロチのおそろなんだよ?」

「えっ⁉ そうなの?」

 俺はコーヒーカップから嗣葉に視線を戻した。

「うん。お揃なら、それを使う度に悠を感じられるかなって……だから悠にも使って欲しいなーって……。ははっ、ハズ……やっぱ今の無しっ!」

 嗣葉はソッポを向いて頬を掻いている。金髪から覗く耳が真っ赤に染まり、細い首元までもが赤くなっていて、彼女の気持ちが伝染して俺まで恥ずかしくなって来る。

 口を尖らせた嗣葉は横を向いたままチラチラ俺を眺め、目が合うと体をピクンとさせてまた逸らした。

「ありがとう嗣葉……大事に使うよ」

 俺がソッポを向いた嗣葉の目の前に移動してベッドに腰かけると、彼女は落ち着きなく髪の毛先を触って視線を更に逸らす。

「お返しは何がいいかな~? 来月はクリスマスだし、アクセサリーとか?」

 ニヤニヤしながら嗣葉が自分の膝に頬杖を付き、俺をチラ見する。

「アクセサリー? ドリステの?」

「はぁ⁉ この鈍感ゲーム脳っ! アクセサリーって言ったら指輪とかネックレスとかでしょーがっ! ホント腹立ってきた! 私が今、どれだけ自重してたと思ってんのよっ!」

 急に立ち上がった嗣葉は俺を見下ろして叫んだ。

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