第70話 文化祭

 嗣葉との夜の一件から数週間が経ち、俺達はまたいつも通りのお隣さんの関係に戻っていた。嗣葉と俺はお互いを好きだと叫びあったが、あれは仲直りの儀式というか、翌日から特に二人の間に変化は訪れなかった。


「お疲れ、嗣葉!」

 俺はメイド服姿で校舎の階段に座る嗣葉にコーヒー牛乳を差し出した。

「もう、クタクタだよ。あんなに人押し寄せると想って無かったし」

 10月半ばの文化祭二日目、窓から差し込む夕日が彼女のメイド服をオレンジ色に染めている。

「さすが景高一のアイドル。客は嗣葉目当ての奴らばっかだったろ?」

「もう! 全部あずのせいなんだからっ! 私のダンス動画ネットに上げちゃうんだもん」

 嗣葉は白いニーソを履いた絶対領域に肘をついて頬を膨らます。

「まさかあそこまでバズるとはな……。でも木下は直ぐに削除してくれたんだろ?」

 俺は嗣葉の横にしゃがんで彼女の横顔を覗き込んだ。

「あずが『模擬店の宣伝だーっ!』って校名もクラスも書いちゃったから大変だったんだよ!」

「結果、木下もクールで可愛いって大人気になって自分にブーメラン帰って来てたし、懲りたんじゃないか?」

 俺は笑いながら嗣葉をなだめた。

「懲りてないよ! 『私ってばモテてるーっ!』て、はしゃいでたし!」

 ストローを紙パックから剥がし、嗣葉はコーヒー牛乳を一気に吸い込んでパックが凹んでゆく。

「って言っても、もう文化祭も終わりだし、いい思い出になったんじゃないの?」

「ぜーんぜん! だって私働いてただけだし!」

 不貞腐れた嗣葉は立ち上がってフリフリな黒いスカートの埃を手で払った。

 俺は焦って嗣葉のスカートから目を逸らしてしまった、いきなり立ち上がるからスカートの中が見えそうだったけど、スカートの中はフリフリの白い生地だらけで一切見えず、安心しつつも肩透かしを食らった気分になる。

 俺たちのクラスが催したメイド喫茶は大盛況だった。そりゃそうだ、本物の店よりも可愛いメイドが居て、しかも料金は格安。客は廊下に行列を作り、トーストを焼いていた俺は食パンを近くのスーパーまで補充しに行ったくらいだ。しかもトースターはオーバーヒートして使えなくなり、うちわで何度冷やした事か……。

「あっ! 居た居た、ちょっと来て嗣っ! みんなが写真撮りたいって!」

 木下がメイド服姿でやって来て嗣葉のレースカフスの付いた腕を引っ張った。

「え~っ! やだなぁ……。なんかすっごいレンズ付いたカメラ持ってる人とか居たじゃん!」

 渋い顔で嗣葉が後ずさる。

「一般見学の人達はもう帰ったから。ね? 早くっ!」

 乗り気じゃない嗣葉を連れて行く木下。細いニーソの長い脚が四本校内を歩いて行く姿はまるでリアル感が無く、俺はバーチャルな世界に佇んでいるような気がして辺りを確認するように見渡してしまった。

 一人残された俺は撤収が始まりつつある模擬店のひしめく廊下を歩いてクラスへと足を運ぶ。後は解散式と花火大会だけ、浮かれ気分ももう終わりだ。

 そういや博也の奴、どこ行ったんだろ?

 折角の文化祭だったけど、俺と博也は模擬店の休憩時間があまり重ならず、この二日間殆ど別行動をしていた。

 は? 何だあの行列……。

 一般見学は終わったはずなのに俺のクラスには人だかりが出来ていた。居るのは同じ学校の生徒たちで、男女学年問わず入り口にスマホを握った連中が集まっている。

 俺が入り口に集まった沢山の頭の陰から中を覗くと、嗣葉と木下がまるでアイドルの握手会みたく二つの人の列に対応していた。

「一人10秒ですよー!」

 眼鏡を光らせながら博也が並んだ客から何かを受け取っている。

「余った食券と引き換えで撮影会だって! やるか?」

「やるやるっ! 高梨さんに合法的にレンズ向けられるなんてこの企画神だろ! しかもメイド姿だぞ!」

 人だかりから上ずった声が聞こえて来た。

 は? あいつ、校内の食券一気に回収する気か? どんだけ商売上手なんだよ!

「嗣葉ちゃん! 俺と結婚して下さいっ!」

 腰を大きく折り曲げた男子が腕を伸ばして嗣葉に叫ぶ。

「え~っ! あははは、ごめんね~」

 手のひらを大きく広げて嗣葉は口を隠して笑う。

「はいはい、10秒経過! 次っ!」

 博也が声を張りながら現場を仕切る。

「高梨っ! 好きだ‼」

「は? ちょ……冴島、冗談辞めてよ~!」

 嗣葉が冴島をいなすように彼の肩をトントン叩いた。

「お、俺、本気なんだ!」

 うげっ! 冴島……リアルな告白すんなよ! みんなドン引きしてんじゃねーか!

「冴島! 嗣は私の物なの」

 木下が頭を下げている冴島をあしらって嗣葉に纏わりつくように抱き着いた。

 腕を絡め、腹部から胸に向かっていやらしく手を伸ばす木下の姿に、悲鳴とも歓声ともとれる声が上がる。

「ちょ⁉ あず! 辞めっ……」

 あ? 木下……やっぱ本気だったのか? お前が嗣葉に送る視線ってなんか怪しかったんだよ。

 メイド服で戯れる二人に無数のスマホが向けられ、人工的なシャッター音が次々と教室に鳴り響く。

「ちょ! あ~もうっ!」

 嗣葉は木下の頭に思いっきりチョップを食らわせた。

「痛ったーいっ! アンタ今、本気で叩いたでしょ⁉」

 うずくまる木下をしり目に嗣葉は「ごめんねーっ! 時間も押してるし終わりだよ~」と言って黒いカーテンで仕切られたバックヤードに消えた。

 急遽お開きになった撮影会にブーイングが巻き起こったが、校内放送で『解散式を行いますので全校生徒は校庭に集合してください』とアナウンスが入り、みんな渋々廊下を玄関に向けて歩き出す。

 凄っげー人気だったな嗣葉……もはや彼女を校内で知らない奴なんて居なんじゃないのか?

『アイドル以上に可愛い高梨』

 そんな二つ名を嗣葉は校内で得ていたが、一般見学で更に有名になってしまったから、きっと他校にも噂が広まるのは時間の問題だろう。

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