第68話 交渉

 次の日の夜、俺はため息を付きながらドリステの電源を入れた。

 今日も嗣葉と話せなかった。朝から彼女は俺を避けるように先に通学してしまうし、校内では目も合わせてくれない。

 いつも通り。最初はそう思ってたけど……こういう展開になる時って、大抵嗣葉が激怒した時なんだけど、今回はそうじゃ無い。何かだかいじけてるっていうか、拗ねてるっていうか……嗣葉をのけ者にしたつもりは無いんだが、結果的にはそう捉えられても仕方がない状況を俺は作ってしまっていたんだ。

 ドリステが起動すると画面の左上に《つぐはさんがオンラインです》《紗枝ちゃんさんがオンラインです》と連続で表示され、俺は暫し固まってしまった。

 また二人と一緒に遊びたいけど、流石に気が引ける。嗣葉とは話し辛いし、霧島さんと遊べば嗣葉を疎外しているみたいだから……。

 俺が一人で『お魚の森』を始めると直ぐに《さーちゃんさんからメッセージが届いています》と通知が入った。

 通知くらいならいいか? 

 俺はメッセージを読みに行く。

『悠君、こっちに来ない?』

 霧島さんからの誘いに俺の気持ちが揺らぐ。

 そりぁ、一緒に遊べば楽しいのは分かってる。でも……。

 音声文字入力を起動して、俺は返信しようとしたが、行かない言い訳を思いつかなくて入力画面を閉じた。

 辞めとこ。今日は資金稼ぎに専念しよう。

 海底を一人で彷徨い、アイテムを集めては換金し、クエストをこなす。

 つまんねーっ! 一人で『お魚』やっても全然楽しく無いって!

《さーちゃんさんから招待状が届きました》

 ぐっ! 二度目のお誘い。やっぱ返信くらいしとくか……?

《さーちゃんさんからメッセージが届いています》

 矢継ぎ早に通知が現れ、緊張が走る。

 何やってんだ俺は! ゲームやってるのに変に神経を尖らせて焦って緊張して……意味分かんねえ。

 取り敢えずメッセージを見て考えるか?

 俺は霧島さんからのメッセージを確認した。

『早く来ないと殺す!』

「は? はぁ⁉ 何で!」

 彼女からとは思えないメッセージに思わず大きな声が出る。

 し、仕方ない。ちょっとだけ、ちょっとだけだ。

 俺は霧島さんの元へ向かった。

 画面が切り替わり、知らない場所に俺は飛ばされて、《さーちゃんさん》の隣に俺は湧き出た。

『――めてよ! 余計な事しないでって!』

『ダメ、ちゃんと話しなよ!』

 へっ? 嗣葉と霧島さんの声に俺の息が止まってしまった。

「つ、つ、嗣葉⁉」

『…………何よ!』

「えっと……その……」

 ゲーム画面の可愛らしさとは対照的に、音声会話に緊張が走る。

「ご、ごめん! この通りだ!」

 俺はベッドの上で頭を下げた。

『何がよ! だいたいアンタなんて見えて無いのに、どの通りだってのよ?』

「俺、今、嗣葉の部屋に向かって頭下げてるんだ!」

『はぁ? 見える訳無いじゃない!』

 ゲームのBGMが流れる中、三人の間に気まずい空気が蔓延した。

『私、帰るから。バイバイ霧島ちゃん!』

《はっぱさんがログアウトしました》

『あっ! ちょっと待って!』

 霧島さんのため息が聞こえた。

『ごめんね、悠君。私、二人の間に入って仲直りして欲しかったんだけど、余計な事しちゃったみたいで……』

 落ち込んだ声色の霧島さんに俺は声を掛けた。

「紗枝ちゃんが気にする事無いよ、俺ちょっと嗣葉と話してくるから」

 俺はゲームを辞めて家の外に出ると、高梨家のインターホンを躊躇わずに押した。

 時間はもう11時を回っていて非常識なのは解っている。だけど、どうしても嗣葉と直接話がしたい。

 玄関に明かりが灯り、物音が中から聞こえたが、嗣葉の大きな声も聞こえて来た。

「お母さん! 出なくていいからっ! 私と悠の問題に口挟まないで!」

 家の中で押し問答が聞こえて暫くすると玄関の明かりが消えて、俺は交渉が不可能だと悟る。

 俺は仕方なく高梨家の玄関を後にしようと灯りの着いた嗣葉の部屋を見上げてため息を吐いた。

 でも、このままじゃ何の解決にもならない。

「嗣葉っ! 話がしたい! 出て来てくれないかっ!」

 俺は思わず嗣葉の部屋に向かって叫んでいた。

 どうして叫んだのかは分からない。ただ、俺の体の奥底から湧き上がる感情が抑えきれなくて叫ぶのを止められない。

「嗣葉! 今すぐ会いたいんだ! 出て来てくれるまでここで待ってるからな!」

 嗣葉の部屋の明かりが消えた。俺と話すつもりは無いらしい。

「そんな手には乗らねーぞ嗣葉っ! 朝までここで待ってるからな!」

 夜の静かな住宅街に俺の叫び声が虚しく響き、俺の声に呼応するように犬の遠吠えが聞こえた。

 クッ! 無視かよ! 俺は負けないからな!

「嗣葉ーっ! 会いたいって言ってんだろ!」

「うるせーぞ! 静かにしやがれ!」

 近所から男の怒鳴り声が聞こえて来た。クソッ! 無駄なあがきか……?

 俺は嗣葉の部屋の窓から視線を落として暗い地面を力なく眺めた。

 その時、ドアがガチャリと開いて淡い黄色のパジャマ姿の嗣葉がサンダルを履いて玄関前に出て来て小声で俺に怒りをぶつけた。

「ちょっと! 何考えてんのよ? 大きな声出さないでって! 近所迷惑なの分かるでしょ?」

「だって、こうでもしないと嗣葉は出て来ないだろ?」

 嗣葉は大きなため息を付いて俺を睨んだ。

「アンタねぇ! ちょっとは人のこと考えなさいよ!」

 腰に手を当てて不満全開の嗣葉。

「だから、考えてた。ずっと嗣葉の事……喧嘩してから毎日毎日、ずっと気にしてたんだ。俺、嗣葉に悪い事したって……」

「えっ⁉」

 嗣葉は目を見開いて俺を見つめた。

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