第6話 契約

「悠……ねえって悠!」

 嗣葉の手を引き、校舎の玄関へ早足で向かう俺は後ろに引っ張られた。

「もう大丈夫だから。手、離してくれる? 恥ずかしいし……」

 上目遣いで俺を見て、明らかに困惑している嗣葉は、らしくもなく小さな声で言った。

「えっ?」

 生徒会室からずっと握っていた嗣葉の手は温かく、細いが柔らかい感触と若干の湿り気がした。彼女は落ち着きなく艶のある長い金色の髪の毛を触り、俺から思いっきり視線を逸らすように斜め下に顔を向ける。

「うわっ! ご、ごめん!」

 俺は咄嗟に手を離した。嗣葉は少し頬を赤らめていて、それを見てしまった俺の顔が熱くなるのを感じる。

 なにドキドキしてんだよ! たかだか嗣葉と手ぇ繋いだだけなのに……。

「でも、ありがと。助かったし……」

 俺をチラッと見て口を尖らせた嗣葉はいつものお隣さんに戻ったみたいだ。

「先輩、何だかしつこそうだな? もっとハッキリ断り入れた方が良くないか?」

「あれが先輩のやり方みたい、こっちが折れるのを待つみたいな?」

「何だかめんどくさい人だな?」

「ほんとだよ、私は恋愛なんて興味無いのに!」

「へぇ? そーなんだ……? なんか意外、すっげー身なりに気遣っていい人ぶってんのに」

 言った瞬間、嗣葉は俺の尻に思いっきり蹴りを食らわせた。

「痛ってーーっ! 何すんだよ⁉」

 高く足を上げた嗣葉のスカートの中が一瞬見えて、小さなリボンの着いた水色の下着が脳裏に焼き付く。

「悠はいっつも一言多いんだって!」

 何なんだ⁉ ほんっと読めねぇ、あいつの行動。

 俺はケツを擦りながら、一人で先に行ってしまった嗣葉の後姿を呆然と眺めた。


 ◇   ◆   ◇


 結局俺は嗣葉と仲直り出来たのか出来なかったのか分からないまま一人で自宅に帰り、自室で制服のままベッドに寝転がっていた。

『私は恋愛なんて興味無いのに!』

 脳内で嗣葉の言葉が木霊する、何だろうこの感じ……別に嗣葉が誰と付き合おうと、誰かを好きななろうと関係ないし興味も無いはずなのに……安心している自分に違和感を覚える。

 今日は色んな嗣葉の顔が見れた。怒った顔、笑った顔、困った顔、照れた顔……照れてた? 俺に? まさかな……。

 脳裏に嗣葉のパーツが写真集のように再生された。階段での細い腿裏、俺に近づけた顔、蹴りの時に見えた下着……。

 嗣葉の手、柔らかかったな。俺は何となく手の匂いをクンクン嗅いだ。

 その時、いきなりドアがバーンと開き、俺はベッドから飛び跳ねるように体を起こした。

「悠っ! 私と付き合ってくんない?」

 部屋に駆け込んで来た嗣葉は俺のベッドに制服のまま上がり込み、俺を押し倒して覆いかぶさるように見つめた。

 金色の柔らかい髪が俺の頬を優しく撫でる、彼女は俺の顔を覗き込んでいて凄く近いっ!

 嗣葉から石鹸のような良い匂いがして来る、さすがに幼馴染でもここまで接近されたら平常心じゃ居られない。

 嗣葉は大きな瞳で俺を見つめたまま黙っている。まつ毛長げーっ……唇、凄くぷくっとしてるな。幼馴染を至近距離で眺め、パーツごとの美しさに感心する。やっぱモテるんだろうか? ふつーに可愛いよな? 見た目だけは……。

「ちょっと聞いてんの? 私と付き合ってくれるの? くれないの?」

「付き合う? どっか行きたいのか? 先輩の前で言ったのは咄嗟についた嘘だったんだけど……」

 小さくため息を付いた嗣葉は俺の制服の襟を掴んで言った。

「じゃなくて! 恋人になってって言ってんのっ!」

「はい?」

 なに言ってんのこの人……?

「はいってオーケーって事?」

「いや……」

「嫌なの? もう、どっちなの?」

 だんだん嗣葉の声が大きくなる。

「だ、だから言ってる意味わかんないって!」

「あーもうっ! フリでいいんだって! 嘘の恋人だよ、悠が私の恋人役演じてコクって来る人達を追っ払って! ねぇ、お願い!」

 嗣葉は俺の体の上に馬乗りになって両手を合わせてウインクする。

 ドキンとしてしまった。嗣葉に可愛くねだられて俺は思わず「いいよ」と口走っていた。

 ガキの頃を思い出した。嗣葉はよく俺にこうやって色々な事をお願いして来たんだっけ……でもそれも小学生までで、思春期を迎えてからはお願いは命令に変わっていたんだが。

 何だか良く分からないけど俺はガキの頃から条件反射で嗣葉のお願いポーズには逆らえない体だったことを今更ながら思い出した。

「え? ちょ……やっぱ無理!」

 言った途端、嗣葉の眉がヒクヒク動いた。

「はぁ? 聞こえないんだけど、何か言った?」

 眉間に皺を寄せ、低い声で嗣葉が睨み付ける。

「いえ……言ってません……」

 終わった、これって絶対面倒なやつだ! 腹痛くなって来たぞ……。

 俺は嗣葉を視界に入れつつも焦点が定まらない遠い目をして天井を眺めた。

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