第4話

 貧乏ひとり暮らしの李奈には、よそ行きの服といえば、一張羅のドレスしかない。きょうは講談社に赴いたものの、やはり李奈の装いは、きのうの推協のパーティーと変わらない。

 とはいえ、目を向けてくる人々の顔ぶれはちがうため、なんの問題も生じない。講談社の担当編集者からはそうきかされていた。

 しかし広大な社屋内、ビルの上層階にある広間に入ったとたん、李奈は泡を食ってしまった。

 小さな舞台が設けられていた。左右のそでと舞台裏も存在する。規模はしぶタワーレコードのインストアライブぐらいだが、登壇するのはアーティストではない。来月、講談社で新刊を出版する本の作者が、入れ替わり立ち替わり舞台に上る。パイプ椅子にずらりと並ぶスーツ姿の人々に、自著のプレゼンをおこなう。

 講談社の新刊書籍説明会。先輩作家からは地獄だときかされていた。実際こんな催しをおこなう出版社など、ほかにはないだろう。本を書いただけだというのに、ひとり舞台に上らされ、みずからセールスポイントをアピールせねばならない。たしかに小説家は個人事業主であり、業務も自己責任だろうが、さらし者になって矢面に立てとはひどすぎる。

 いま壇上には女性の著者が立っている。講談社現代新書で出版するアンチエイジング健康法の本らしい。女性がうわずった声をマイクで響かせた。「それでですね、あのう、若さを保つのに大豆イソフラボンは効果的です。納豆ダイエットはいんちきだなんていわれましたけど、実際には一日にひとパックるとですね……」

 李奈は舞台の袖に控えていた。舞台上のようすを見ているだけで緊張が伝わってくる。身体が自然に震えてきた。

 講談社の担当編集者は、三十代半ばの女性、まつしただった。登喜子が微笑とともにいった。「客席の最前列、右のほうに社長がいます。ほかにもマスコミ関係とか、大手書店とか、映画会社の人も来てるんですよ」

「だ」李奈は登喜子に泣きついた。「駄目ですって。わたし、こういうことができないから、小説家になったのに。あんまりです」

「落ち着いて」登喜子は驚きのまなざしを向けてきた。「本当に緊張してるの? そんなに怖がらないで。小説について説明するだけでいいから」

「なんで説明する必要があるんですか? あらすじを読めばわかるでしょう。集まってる人たちもどうかしてます」

「しっ。きこえちゃうでしょ。もっと小さな声で」

「これをやってなにかメリットがあるんですか」

「面白そうな本だと思わせられれば、業界の各方面が協力してくれる。媒体に新刊紹介の記事が載ったり、書店での扱いも大きくなったり」

「そういうのってお金しだいじゃないんですか? 書店のワゴン売りの権利も、月額で買えるんですよね?」

 訳知りの作家は扱いにくい、登喜子は一瞬そんな表情を浮かべた。「うちとしてもプッシュする方向で固まれば、ワゴン売りにしろコーナー売りにしろ、販促用の経費が認められるでしょ。社内と社外、両方を味方につけなきゃ。そのための説明会なの」

 営業部署の若い男性、あしづかが穏やかに話しかけてきた。「杉浦さん。あがり症の作家さんは、あなただけじゃありませんよ。だいじょうぶ。すぐに終わります」

 李奈は芦塚を見つめた。「講談社さんで出版した小説家は、みんなこれを登竜門としてるんですか?」

「いや……。みんなというわけじゃないな。担当編集者が壇上で説明するだけという場合も多いし」

「なら」李奈は切実な思いで登喜子に向き直った。「代わってください」

「杉浦さん」登喜子は説得するような口調に転じた。「いい? 杉浦さんが自分で登壇したほうが効果的なの。杉浦さんは綺麗だし、テレビで顔を知っている人も多いから」

 また岩崎翔吾騒動の残効か。李奈は激しく首を横に振った。「Z級ラノベ作家がノンフィクションを書くことになって、結果鳴かず飛ばずだったというだけです。そんな女がラノベの新作をだしたからって、誰も注目しません」

「この場は売れるための条件だと思って。スマホも新しい機種がでるたび、CEOがマスコミ相手にプレゼンするでしょ?」

 あれ自体わけがわからない。たかがスマホの新機種を発売するだけだというのに、カジュアルファッションのCEOがひとり気どって舞台上に立つ。まるでスタンダップコメディアンのように振る舞いながら、特に面白いことをいうわけでもない。ついでに発表する新機能も、毎回たいしたことがない。

 ぱらぱらと拍手が起こった。女性が真っ赤な顔をしながら舞台を下りてくる。司会者の声がきこえる。「次は講談社ラノベ文庫の新刊……。えー。『その謎解き依頼、お引き受けします ~幼なじみは探偵部長~』。著者の杉浦李奈さんにご登壇いただきます」

 全身総毛立つとはこのことにちがいない。李奈はうろたえた。「どうしよう……」

「いいから」登喜子が李奈の背を押し、壇上への階段に向かわせた。「大きく息を吸って、吐いて。本が売れるも売れないも自分しだい。さあ行って」

 ほとんど背を突き飛ばされるも同然に、李奈は階段を駆け上った。マイクスタンドの前に立つ。客席を埋め尽くすスーツの群れが、いっせいに注目する。

「ど、どうも」李奈はいった。「お初にお目にかかります。杉浦李奈です。えー。きょうはですね、わたしの本を紹介します。『その謎解き依頼、お引き受けします ~幼なじみは探偵部長~』です。これはですね、ペットショップを営んでいるナナミという子が、ある日イケメンのお客さんが幼なじみのカイ君だと気づき、しかもその職業が……」

 聴衆が退屈しだしている。腕時計に目をやる姿がめだつ。脚を組み、ただ天井を見上げる男性もいた。

 みな仕事上の義務でここに来ているのだろう。講談社という大出版社が、こういう催しをやるといえば、誰かが出席せねばならない。仕方なく人を送りこんだ企業も多いはずだ。

 李奈はひととおり説明を終え、深々と頭をさげた。「というわけで『その謎解き依頼、お引き受けします ~幼なじみは探偵部長~』、是非よろしくお願いします!」

 拍手が生じた。反響はさっきのアンチエイジング健康法の著者と同じぐらいだった。

 あんとともに空虚さがひろがる。李奈は舞台から下り、袖に戻った。登喜子も芦塚も喜びのいろを浮かべていた。

 登喜子がほっとしたようにいった。「よかった! 効果的だったと思う」

 芦塚も笑いながら同意をしめした。「著者の発言だと説得力があるよ」

 李奈はぎこちなさを承知で、なんとか笑みを取り繕った。黙ってうなずいてみせる。

 近くで社員らがひそひそと話す声が耳に入った。ひとりが不満げにきいた。「汰柱桃蔵さんは? きょうの目玉なのに」

 もうひとりが小声で応じた。「それがまだ現れない。ゆうべから連絡つかないってさ」

 穏やかならざる空気が漂う。李奈は登喜子に事情をたずねようとした。しかし登喜子はひと仕事終えて安心したらしく、芦塚と談笑しつづけている。

 ゆうべから連絡がつかない。あのホームパーティーには、講談社の別の編集者が来ていた。なら音信不通になったのはお開きの後か。いったいなにがあったのだろう。

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