第4話 エスポワール


世にも珍しい早朝隣人初対面おうちケーキ会は、つつがなく進行していた。



「ケーキ美味しいですね。」

「うん。よく行くケーキ屋さんのだから。・・・頼んだ時はウキウキしてたんだけどなぁ。あーあ。」


『しんご♡ゆかり 交際1年記念』と書かれたプレートを見ながら、ゆかりさんはため息をついた。

悲しい恋の残骸となってしまったケーキを食べながら、遠い目をするゆかりさんのため息は、かなり切実で深かった。



「でも良いですね。行きつけのケーキ屋さんがあるって。僕も地元にいた時は家族で行く所があったんですけど、こっちではまだ見つけられてなくて」

「あー。まだ引っ越して来たばっかりだもんね。私の行きつけは東通りにあるエスポワールってお店なんだけど。高校の頃の友達が偶然そこで働いてて、それで知ったんだ。」

「へー。」

「だからこのケーキ頼んだ時も彼氏のこととかからかわれてさ。あー、次行く時どんな顔していけばいいんだろ。」



フラれた人間は何をしていても不意にそれを思い出してしまうというのは、どうやら本当らしい。

お店の名前も皮肉なもので、少し前に大学で習ったが、エスポワールはフランス語で「希望・期待」という意味だ。今のゆかりさんには、ケーキを買ったときにあったはずの希望も期待も無くなってしまっている。



「あーあ。吹っ切るしかないのかなー。よし!」

そう言ってゆかりさんはハート型のプレートを半分に割った。


「はい。せっかくだから私の半分あげる。」


「いただきます。」

差し出されたハートの片割れは、冗談にして断るにはあまりに重すぎた。




「普通に美味しいですね。」




・・・なんとか話題を変えなくてはならない。



「そういえばゆかりさんはお仕事何してるんですか?」

「普通に会社員だよ。」

「忙しいですか?」

「まあね。なんたって人が少ないからね。これでもリモートワークが増えて多少は楽になったけど、逆にプライベートがなくなったというか何というか」

「あー。世知辛いですね。なんか将来働きたくなくなってきました。」

「ほんと世知辛いよ。今日も午前中リモート会議で午後から会社。ほんと世知辛いよね。まあ余計なこと考えなくて済むから今日だけはありがたいけど。ハハハ」


乾いた笑いが響く。


「翔太くんはバイトとかやってるの?」

「まだやってなくて、何か探してもいいけど、なんか面倒だしおうちにいたいって感じです」

「ふーん。じゃあおうちで何してることが多いの?隣の部屋だけどあんまりうるさい感じもしないからさ。」

「まあ普通に掃除して洗濯物干して料理して、配信アニメとか見ながらご飯食べてって感じですね。あんまり特別なことはしてないですけど、それなりに楽しいですよ。」


こうやって話してみるとなんとも味気ない日常だ。まあ自分の料理の味にはある程度満足しているけど。


「へー、じゃあ家事とか得意なの?」


「まあ人並みにはできると思いますけど。」




「ふーん。じゃあ、もしよかったらなんだけど、せっかく隣だし、時々うちの家事とかしてくれませんかね?バイト代は出すんで。」




「えっ?」


突然の提案に驚いてしまった。






「・・・いや、ごめん、ただの思いつきだから、全然忘れて大丈夫。あー、もうリモート会議が始まる時間だー。」


まだ朝6時なのでそんな訳はないのだが、気まずいので立ち去ることにした。


「お邪魔しました。ケーキごちそうさまでした。」


「いや、こちらこそ介抱してもらっちゃってごめんね。」



僕は逃げるように301号室を後にした。

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