第2話 いきなり戦場、しかも敗走


「アンタ、いったいなにもんだ。一人でアレを倒すなんてスゲエ腕じゃねえか!」


 俺を出迎えたのは、人懐っこそうなオッサンのそんな言葉だった。

 日焼けした純朴そうな顔に、似合わない大きな傷痕がいくつも刻まれている。


「それよりもこれはなんだ。いったい何が起きてるんだよ。それに、ここはいったいどこなんだ!」


 まくしたてた俺にオッサンは面食らったような顔になった。


「まあ落ち着けって、ここはクレイセン砦の前線からそう遠くない場所だ。トールの軍勢が侵攻してきちまったから戦いが始まったのさ。その戦場からはずいぶんと離れちまったがな。アンタは見慣れない格好だが、ヤズ砂漠の民かい」


 なんてこった。

 ここは本当にゲームの中の世界ではないか。

 しかもストーリーモードのシナリオが始まる前、暗黒時代末期の百年戦争が始まってから九十年目くらいの、クロイセン砦の攻防が本格化したところらしい。


 近くにいた盾を持った男がオークの槍を受け止めて、その槍を掴んで動きを止めたので、俺と話していたオッサンが持っていた剣をオークの腹に突き入れる。

 こんな深刻な事態だってのにゲームしている場合かよ、という理不尽な怒りが脳裏をかすめたが、ゲームが現実になったのだと気付いて、俺もレイピアの切っ先をオークの喉に突き入れた。


 この一団の中で先陣を切って戦っている男は、身長2メートルを優に超えるような大男で、三次職である狂戦士のジョブに付いているレベル28前後だと思われる。

 目の前のオッサンは典型的な初心者戦士で、レベルは10以下。スキルはジョブについてくる基本スキルしか持っていなく、スキルスロットに装備しているスキルはない。


 動きや装備からビルドを推測するのは癖になっているので、とくに意識しなくてもそのくらいのことが頭の中に入ってくる。

 狂戦士の大男は狂乱状態になっているのか、ひたすら敵に巨大な両手剣を振り下ろし、敵をなます切りにしていた。

 しかし、その動き自体はゲームの中で目にしてきたものとは違って、非常に無駄が多い。


 それでも、かなり頼りになる働きをしているのは事実だ。

 むしろ、その大男が押し切られたら、一気に前線が崩れて壊滅させられるような戦況だった。

 屍兵は、死すら恐れずに向かってくる狂乱に満ちた集団なのだ。


 今の俺がいるのは、まぎれもない本当の戦場である。

 鋼の冷たさも感じるし、飛び散る泥の匂いも本物だ。

 風に乗って漂ってくる腐臭も血の匂いも、まぎれもなくリアルである。 

 そしてゲームの中と同じ蒼い月が空に浮かんでいた。


 パニックになりそうだが、現実は待ってくれないので容赦なく戦闘に巻き込まれていく。

 それでも、”このゲームなら現実になってもなんとかなる”という自信から、俺はなんとか正気を保つことができた。


 そう、このゲームなら何とかなるのだ。

 むしろ、こうなることを心のどこかで望んでいたのかもしれない。


 いや、それはないか。

 このゲームのシナリオモードは、かなり悪名高い死にゲーである。

 邪神に支配されたモンスター軍団との戦争に巻き込まれていく過程で、数々の仲間たちと出会い、さまざまな強敵たちと対立する。

 しかし、そこには罠としか思えないような仕掛けがいくつも用意されていた。


 強敵と戦わされるだけならまだしも、システムがシビアで厳しすぎるのだ。

 それに初見殺しとしか言えないような仕掛けが多すぎる。

 似たような世界に行きたいと思うことはあっても、このゲームのシナリオモードだけは御免こうむりたいところだ。


 後悔と期待の押し問答をしながら戦っていると、あたりが暗くなってきて撤退するという事になった。

 俺達は少しずつその場を後退して、なんとか屍兵軍団から距離をとる。

 屍兵達が追ってくることはなく、すんなりと草原地帯の後ろにあった森の中まで引き上げることができた。


「奴らは夜目が効かないからな。森の中に引っ込んじまえば安心できる」


「それにしても、アンタ、すげえなあ。敵の攻撃がかすりもしねえじゃねえか。まるで動きがわかってるような感じに見えたぜ。未来でも見えてるのかね」


「いや、あれは達人の動きって奴だな。楯もなしに槍の攻撃をさばいてんだぜ。なみの動きじゃねえ」


 余裕ができたのか、俺の紛れ込んだ一団が俺を取り囲んで口々に俺の戦いぶりを称賛してくれた。

 この一団の人数は20人ばかりで、見るからに装備も貧弱だ。


「そんなんじゃありませんよ」


 なにせ装備もなくてレベルも上がらないのだから、攻撃なんて食らうわけにはいかない。

 モンスターの動きは何パターンかに分別されるので、屍兵オークと屍兵ボアならノーダメージで倒せるというだけだ。

 モンスターの種類によっては完全にノーダメージで倒せないものもいるし、囲まれてしまえば本当に瞬殺されてしまう。


「いやいや、金獅子の英雄みたいな戦いぶりだったぜ」


 また懐かしい名前が出てきたものだ。

 金獅子の英雄といえば、クレイセン砦で本隊を率いて戦っている、人族側最後の希望と言われた英雄の事である。

 あいつのクエストは美味しいから、ゲーム時代はかなりお世話になった。

 そんなことを考えていたら、先陣切って戦っていた狂戦士の大男が人垣から顔を出した。


「そんなに見事な戦いぶりだったのか。装備も持たないというのにたいしたものだな」


「ええ、これで本隊に合流する希望が見えてきましたよ」


 大男の横にいた利発そうな青年がそんなことを言う。

 どうやらこの一団は、かなりヤバい状況にあるらしい。


「どうだい、俺達と一緒に来ないか。俺達は本隊とはぐれて、クレイセン砦に向かっている途中なんだ。途中でキマイラの群れに追われて、かなり奥地まで入って来てしまったからな。この辺りでは俺達以外に人族はいないはずだぜ」


 俺としても渡りに船である。

 こんなところに放り出されたら、いくらなんでも生き残ることはできない。


「ついて行かせてください。ところで、この一団は帝国に雇われた傭兵かなにかですか」


「俺達はコバ村からやってきた義勇兵だ。それよりも、まずは装備を見繕ってやろう」


 コバ村、どこかで聞いたことがある名前だ。

 なんだか嫌な予感がした。

 アリーナにばかり熱中していた俺は、ゲームのストーリーについて興味を持つことがなかったので、かなりの部分で記憶があいまいになっている。

 なにか重要な話があったような気がするのだが覚えていない。


 大男について来いと言われて、ロバに繋がれた荷車の上に座っている老人のもとへと案内された。

 リヤカーのような荷台の上には所狭しと道具が並べられ、武器や防具などが積み込まれている。


「ヤタ爺、彼に防具一式を見繕ってやってくれないか。かなり腕の立つ新入りなんだ。一番いいやつを頼む」


 ヤタ爺と呼ばれた爺さんは、それを聞いて顔を真っ赤にして怒りだした。


「一番いい装備をタダで寄越せだと。ぬかしおるわ。冗談じゃない。こっちは命がけで商売してんじゃ。誰がタダでなんぞやるもんかいな」


「そんなこと言ってる場合じゃないだろう。生きて帰れるかどうかって時に商売だなんて。それに死んだやつの持ち物だって勝手に集めていただろう。拾ったからって、勝手に自分の物にしていいわけじゃないぜ」


「落ちてるもんをワシが修理して売って何が悪い。まあいい。今日だけは特別じゃ」


「好きなのを使っていいとさ」


 大男にうながされて、俺は荷車の中のものを物色する。

 今日の戦いでもらったレイピアも、等級に関してはノーマルだがアンデット特攻が付いているので悪いものではない。

 基本的に十字架のような形をした剣ならアンデット特攻が付いている。

 特にレベルが上がらない俺にとっては、ステータスの関係で装備できるものには制限があるから、屍兵に特攻がある剣はありがたい。


 そのレベルが上がらない現象に関しても心当たりがあるので、不便ではあるが今は仕方ないと諦めている。

 荷台の中から希少級のナイフであるグローバゼラートを見つけたので、武器はこれを貰うことにした。

 爺さんが嫌な顔をしたので、この老人は物の価値がわかっているようだった。



 防具は胸当てとグローブ、ブーツ、クローク、ヘルムなどアイアン装備の中で耐久地が残っていそうなものを見繕った。

 マントやクロークなど、ゲーム世界では同じ個所に二つの装備はつけられなかったが、こっちの世界でもそれは同じようだ。

 装備しようとしても不思議な力が働いて体から落ちてしまう。


 こんな装備でも全身につければ防御値は20を超えただろうから、オークに一撃で殺されることはなくなったはずである。

 それにレイピアの鞘も見つけて、ナイフと剣の基本装備は揃った。


 グローバゼラートの攻撃力は3+D5だったはずだから、4~8のランダムダメージとアンデット特攻+10がついている。

 レイピアの方が強いので使う機会は少ないが、HP4%の追加ダメージまで付いているので切り札にはなるだろう。

 これがあれば敵の体力が高すぎて倒せないという事はなくなるはずだ。


 それにしても、これがゲームの世界だというなら、俺がゲーム時代に溜め込んでいたアイテムは取り出せないのだろうか。

 かなりのレア装備があったはずなのだ。

 インベントリを操作しようとしたら、手に持っていたレイピアが消えて、インベントリに収納されたとの表示が視界の端に流れた。


 まさかゲームの時のシステムが使えるとは思わなかった。

 インベントリのリストを表示するジェスチャーをすると、レイピアとだけ書かれた表示が視界の中に現れる。

 やはり、ここは本当にゲームの世界なのだ。

 しかし、ゲーム時代の装備は持ってこれなかったようである。


 装備が整ったら、たき火を囲んでの食事となる。

 敵陣地の奥深くまで入り込んでいて、しかも逃亡中だというのに焚き火は大丈夫なようだった。


「あいつらは夜目がほとんど効かないんですよ。とくに屍兵を操っているネクロマンサーの方がですけどね。だから夕暮れ以降は安全なんです。追手があいつらで幸運でした」


 利発そうな少年がそう解説してくれる。

 こっちの青年はアルトという名で、大男の方がゲンという名だった。

 俺にレイピアを投げてくれたのも、このアルトという青年である。

 俺も現実世界の方の名前である、朽木冬弥を名乗った。


「それで、トウヤ。剣はどこで習ったんだ。レイピア一本でオークの屍兵を倒すなんて聞いただけでは信じられない。相当な手練れでも、そんな武器では苦戦する相手だぞ」


 そんな馬鹿な、という感想しかない。

 レベル15もあれば苦戦するような敵ではないからだ。

 なんと答えたものかと思案していたら、勝手に勘違いしてくれた。


「師匠の名前は明かせないようですね。まあ、色々と事情があるんでしょう。なんでもかんでも、ぶしつけに聞いたら失礼ですよ」


「そういうもんか。まあ味方になってくれるなら、どこで習った剣術でも構わないさ。しかし我々も軍属だからな、味方となるなら助けもするが、軍規だけはしっかりと守ってもらわなければならない」


 聞くところによると、敵前逃亡や戦列を乱すような行為は一切禁止とのことである。

 上官の命令は絶対で、作戦内容を他人に話すことも禁止だそうだ。

 そして話題は、やはり戦いのことになり、俺は聞かれるがままに戦いのことについて話すことになった。


「右手に槍を持ったモンスターは左回りに回りながら倒すんですよ。ガードのタイミングさえ間違わなければ盾がなくとも戦えます。槍の攻撃はタイミングが取りにくいので、相手の利き腕ではないほうの肩を観察します。あとは肩が動いてからのタイミングを体に覚え込ませればいい」


「ほう、やはりすげえな。だけどタイミングを覚えるったって、それまでに命がいくつあっても足りゃしねえぜ。どだい無理な話だな」


 そう言われて、はじめて気が付いた。

 たしかにゲームのようなわけにはいかないだろう。

 こちらの世界には痛みだってあるし、ポーションや回復魔法が貴重という事だってあるかもしれない。

 それでも失敗を重ねながら覚えるのは、それほど難しくもないような気もする。


「大した戦術眼だな。出来れば明日からは、この隊で俺の副官として働いてくれないか。動けるやつがもう残っていないんだ。アルトを相棒に使ってくれていい。戦場以外でも離れずに生活して、死角となる部分をカバーし合うんだ。足りないところがあれば指摘してやってくれ。戦場で命を預けることになるんだから遠慮はいらない」


 今日の戦いを見ていてわかったことだが、彼らは二人一組で動いている。

 RPG的に言えばタンクとアタッカーに役割分担して戦っているのだ。

 だから明日からは、アルトと組んで戦えという事だろう。

 一見すると女にも見える線の細い青年だった。


 物語のお約束から言って、実は女という線も一瞬だけ期待したが、連れションに行った時にしっかりと男だと確認が取れてしまった。

 このアルトという青年にはどことなく見覚えがあるような気がする。

 ゲームの中に出てきたことがあっただろうか。

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