明里
第32話
――ねえ、おばあちゃん。……おばあちゃんがお客さんを連れていく家って何なの? そこには神様がいるの?
――どうしたの、急に。何かあったの?
――変だなって。おばあちゃんちには仏壇があるし、お寺にお墓もあるでしょ。これって仏教を信じてるってことじゃない? でも、おばあちゃんは神様が住んでいる家のお世話もしてる。仏教はホトケサマだから違うものだよね。おばあちゃんはどっちも信じてるの? これって変じゃない?
――変、かねえ。変じゃないと思うんだけどねえ。例えば漁師さんの家にも仏壇はあると思うけど、豊漁なんかにご利益のある海の神様も信じるでしょう。
――ふうん……。じゃあ、その家にいるのは何の神様なの? 山にあるから、山の神様?
――お山の神様とはまた違うねえ。あの神様はずっと山にいるわけじゃないのよ。ふふ、明里は神様に興味があるの? おじいちゃんに似たのねえ。
――おじいちゃんに……
ピーピーというエラー音が耳に入って、
変化のない印刷音を聞き続けたせいなのか、場所のせいなのか、明里の意識は完全にあの日に戻っていた。祖母の信じる神について訊ねた日。もう十年以上経つだろうか。
ふうと息を吐いて明里は畳に足を投げ出すと、ごろりとそのまま寝転んだ。ふと、天井の染みと目が合う。幼い頃は人の顔に見える木目模様が怖くて仕方がなかったが、今はもう何とも思わなくなった。印刷作業を行う仏間も、そこにずらりと並んだ遺影も慣れてしまえばなんてことはない。
横になったまま明里は壁に掛けられた遺影に顔を向けた。老若男女の写真が、おそらく亡くなった順にずらりと並んでいる。比較的新しい年代のものは老人が多い。
一番端は祖母の夫、明里にとって祖父に当たる老爺だった。薄くなった頭髪、鼻の下に貯えた白い髭、真面目そうな顔つき。確か、
若い頃の祖父は大学で民俗学の勉強をしていたらしい。おじいちゃんに似た、と言われたあの日、祖母が教えてくれた。それがきっかけになり、以前から神仏や昔話などに興味があった明里は大学で民俗学を学ぶことを決めた。二年生に進級し、専門的な内容を学ぶようになった今、祖父と学問の話をしてみたかったと心から思う。
祖父の隣に飾られた白髪の優しそうな女性は、祖母の妹だと聞いていた。この大叔母も明里が産まれる前に鬼籍に入っている。明里は仏間に飾られた誰との記憶も持っていなかった。
明里の目は並べられた他の遺影を通り過ぎ、壁に納められた仏壇に辿り着いた。蝋燭や
祖母は仏教を信仰している。それなのに、神が住むという家に客を案内する。
物心がついた頃には、時折祖母が神の家に人を連れて行くことを知っていたから、てっきり明里は祖母が神職か何かだと思っていた。今でこそ民間信仰や神仏習合について多少の知識を持つようになったが、幼い頃の明里はその二重の信仰に違和感を覚えていた。
祖母の信仰に疑問を持った明里は、まず姉に意見を求めた。自分より数年長く生きている姉であれば経験や知識が豊富なはずだから、きっと何か分かるはずだと思ったのだ。しかし、当の本人は明里の違和感に対して何の関心も持たず過ごしてきたようでただ、知らなーい、と返されただけだった。酷く落胆したことを今でも覚えている。
早々に姉と祖母の信仰議論をすることを諦めた明里は、次に祖母の娘である母に訊ねた。何となくセンシティブな話題のような気がして、一人でいるところを狙ってこっそり聞いた気がする。
母は事も無げに、祖母を含め先祖代々仏教徒だと教えてくれた。特別な宗教を信じているのでは、と心のどこかで期待していた明里は肩透かしを食らった。
では祖母が客を案内している家とは何なのか。その家にいるという神を信仰しているのではないのか。納得のいかない明里が、それを問い質すと母は顔を曇らせた。
言葉を濁す母にしつこく訊ねると、あの家に泊まった人は皆そのことを話すことはできないの、と小さな声で言われた。同時に、どうしても知りたかったらおばあちゃんに聞きなさい、とも。
そうしてあの日、明里は祖母の家に出かけたのだ。突然やってきた孫からの質問攻めに祖母は驚いていたが、最後には明里の疑問解消に付き合ってくれた。
祖母は神が住む家のことを、『かすみの家』と呼んだ。その神は、かすみの家に泊まった人の不幸を幸せに変えてくれる。そういうご利益があるらしい。祖母の役目は、自分の不幸を幸せに変えてもらいたい、そう願う人をかすみの家に案内することだという。
居間でサイダーを飲みながら、祖母の話に聞き入ったのを覚えている。
――川端の家のご先祖様に、他所の土地から嫁いできた女の人がいてね。ある日、その人は山で見つけたお家で神様に出会ったの。腰を抜かすご先祖様に、私は不幸を幸せに変えることができる、不幸を持つ人を連れてくればお前も一族も幸せにしてやろう、と神様はおっしゃった。それから代々、川端家の一番年上の女だけがかすみの家の場所を知り、そこに幸せになりたいお客さんをご案内してるのよ。
まるで昔話のような祖母の話に明里は興奮した。明里は祖母の家に行く度に、かすみの家の話をするようにせがんだ。初めのうちは祖母も困惑していたが、徐々に明里の熱意に負けて、様々なことを聞かせてくれるようになった。もしかしたら熱心な明里の様子に、祖父の姿を重ねていたのかもしれない。
かすみの家を知ってから数年が経った頃、祖母がその集客システムについて愚痴をこぼすことがあった。今まで口コミだけで客を集めていたが、最近どうも上手くいかなくなったというのだ。
当然といえば当然だろう、と高校生になっていた明里は思った。明里の地元は田舎のため未だ近所付き合いが盛んであったが、都市部に行けば隣人の顔も知らないというのが普通だと知っていた。今の時代、口コミだけで集客するのには限界がある。
そこで明里は祖母に提案した。かすみの家のホームページを作ってたくさんの人に知ってもらおう、と。
インターネットすら知らなかった祖母は、小一時間の明里の説明だけで何となくホームページというものを想像できたようだった。高齢者がインターネットを理解するのは難しいだろう。そう思っていた明里は祖母の理解力に驚いた。
ホームページが集客に利用できると知った祖母から早速その製作を依頼されたが、作成に関していくつかの条件がつけられた。
例えば、かすみの家の住所を掲載しないということ。以前、どうしても今すぐ幸せになりたいという人が、かすみの家を探して山に入り、遭難するということがあったらしい。もう後がない、というような人であれば、藁にも縋る思いで幸せになれるという家を探してしまうのだろう。
それから、本当にかすみの家を必要としている人だけに見つけてもらいたいという祖母の要望で、検索エンジンに引っかからないようにもした。あるSNSの投稿からのみ、かすみの家のホームページに辿り着くことができる。噂や評判だけで集客していたのも、単純に宣伝が下手というわけではなく、本当に困っている人、縁があった人だけがかすみの家に繋がるように考えられていたのかもしれない。
その他複数の希望に沿う形で、明里は学業の合間を縫い、ホームページを作って上げていった。決して得意分野というわけではない。明里の原動力は、今まで祖母から話を聞くだけだったかすみの家に関わることができるという喜びだった。
半年ほどかかって、ようやくホームページは完成した。出来立てのトップページを祖母に見せると、目を輝かせ子供のように歓声を上げた。色んな人が来てきっと神様も喜ぶわ、と嬉しそうに手を叩き、何度も明里に礼を述べた。
完成したホームページは、明里が管理することになった。管理といっても更新する場所なんてほとんどないため、宿泊希望者のリストや葉書を印刷するのが明里の大事な仕事だった。
かすみの家に泊まりたいという人には、ホームページから応募してもらうようにしていた。その中から縁のあった人が選ばれる。これも祖母の希望だった。
明里は応募者の一覧や当選者に送付する葉書の印刷しかさせてもらえないから、どのような方法で宿泊者が選ばれるのかは知らなかった。祖母に聞いても、神様が選んでくれるのよ、とはぐらかされてしまう。
地元から離れた大学に進学した現在、長期休みの度に帰省しては往復葉書の買い出しやら印刷やらを行っている。それだけで毎回、小遣いというには多すぎる額をもらえた。色々と出費の嵩む大学生の懐にはありがたい。しかも祖母に会えば、かすみの家の話が聞ける。
明里は夏休みに入るとすぐ帰省し、実家でくつろぐのもそこそこに、今こうして祖母の家の仏間で葉書を印刷していた。
心配になるような音を立てて稼働していたプリンタが、ピーというやり切った音を出して停止した。明里は徐に身体を起こすと、排紙トレイの往復葉書に印刷ズレや掠れがないかをパラパラと確認する。問題はないようだった。
「おばあちゃーん! できたよー!」
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