神様のさじ加減

灰緑

第1話

 神様のさじ加減



 床まで届きそうな白髭を、猫でも撫でるかのように触る老人がいる。

 白がお好きなようで、白いテーブルに白い椅子、服も白いローブ。

靴も白かと思いきや、ローブが隠しているから分からない。

 一度、その姿の理由を尋ねたことがあった。

「それは、人間がそのように想像をするからだよ。期待に応えるのも必要さ」

 老人にしては快活な言葉遣いに違和感を感じた。もしかしたら外見も期待に合わせだけなのかも知れない。

「神様は人生の大まかな筋書きを決めるけど、細部は彼らのものだ。限られた生の中で自由に決めた神様の外見イメージ、壊しちゃ可哀想だろう」

 神様はそう言ってテーブルに置かれたコーヒーに手を伸ばした。


 この場所というよりも、この世界といったほうがいいのだろうか。

 太陽も登らないのに明るいし、だけど夜は来ないし、天候は存在しない。

 もしわたしがかつていた人間の世界の表現なら、常時、晴天と例えられるだろう。鳥も飛ばないし、だけど蚊がいないのは嬉しい限りだ。

 見える水平線のその先にも、同じような風景が永遠に続くらしい。

 らしいというのは、神様に尋ねたら、僕もわからないけど多分そうだよ、と言われたからだ。

 わたしはいつの間にかここにいて、ただここにいる。

 やることは決まっていない。


 わたしは、こちらも期待に応えて天使と言われる容姿をしている。

 少しだけ修正させて頂けるならば、頭の上に輪はない。

 いや、もう、ほんと申し訳ないのだが理由は聞かない欲しい。

 わたしにも分からない。

 羽はないが空を飛べるから、ある、と言っても差し支えないと思う。

 この世界にきて一番驚いたことは、神様の仕事は意外といい加減ということだ。神様が決めることは、人生の時間に苦みが多いか甘みが多いか、それだけ。

 つまり、大まかに、苦難の人生か、幸福に満ち足りた人生かを決めるだけなのだ。

 さらに。

 そのさじ加減は、まさにさじが決める。

 神様は常にコーヒーを飲んでいる。

 どうしてコーヒーがここにあるかは、くだんの水平線の果ての件で濁された経緯を考えると、答えは同じだろうから、神様には聞いていない。

 神様は、白い猫足のような持ち手が可愛いシュガーポットに、白銀のさじを埋めるように突き刺して砂糖をすくう。

 このさじの上、白砂糖の分量で、生まれてくる子供の幸福度が決まり、反対に入れないと苦い苦悩の道が立ちはだかる。

 これが人生を演出する世界の仕組みだ。

 最初にこの話を神様から聞いたとき、わたしは言葉を失うどころか、もう何もかもどうでもよくなり、ぼんやりと覚えていた人生のやり残しの残骸も、忘れてしまった。

 もう一度、言おう。

 うまくいかない人生の荒波や、偶然に恵まれた幸運は、あの老人の気まぐれなさじ加減の産物でしかないのだ。

 だがよくよく考えて見ると、神様にも気の毒な点はある。

 人間の世界の単位でいう一日に、生まれてくる子供の数は平均して二十万人。

 その一人ずつに、人生の優劣を付けていくのだ。神様は一人ではなく多数いると聞いたから、分業制が確立しているのだろう。

 それでも、見かけるたびに、神様はコーヒーを飲んでいる。

 いや飲んでいるところしか見たことがない。

 あれだけ飲んで、白ひげを保てるなんてまさに神業だと感心した。


 わたしの関心が薄まり始めた頃、目の前で神様が優雅にコーヒーを飲んでいた。優雅だと思ったのは、いつもなら飲み過ぎで、うへぇ、という顔をしているのに、長い眉毛はふわふわと上下に揺れて、目尻には柔和な線が浮かんでいたからだ。ご婦人に使うべき表現だろうが、目が爛々と輝いている。

 いいことでもあったのだろうかと思った。

 その時である。

 どこからともなく、老人が座る椅子の斜め隣に、同じような椅子が突然に現れて、次の瞬間、顔とひげ、その他、ほとんどの部分が同じ老人が現れた。

 二人はなにやら嬉しそうに、談笑し始めた。

 わたしはリスのように小さな存在で、離れて宙に浮いているものだから、当然

に何を話しているか、分からない。

 初めての神様ペア。

 わたしはその会話が気になって仕方がなかった。

 羽は確かに無いのだが、そういう気分で、まずは大きくその場所から飛んで離れた。さらに大きく円を描くように遠回りをして、神様の背後、足首の高さでじりじりと近づいた。

 羽がないのは実は幸いだ。音が出ないのだ。無音潜行ってこういうこと? と思いながら距離はさらに縮まった。

 椅子の足元まで辿り着いたわたしは、椅子の四脚、後部の二本にうちの一本に隠れて様子を伺った。

 上から降り注ぐ言葉は、まさに神の啓示ように意味不明な内容であったが、やがてあの業務、コーヒーを飲むことに、話題は変わった。

「いや、ほんと大変だよ。あれ」

「ほんと。別に僕たち、お腹がふくれたりとかは無いからいいけど、一応、砂糖の分量、考えるじゃん?」

「え、考えてるの?」

「適当なの?」

 とにかくわたしが言いたいことは、全く同じ声音で話さないでほしいということだ。

 どちらがどの言葉を口にしているか、まるで分からなかった。

 しかしもう少し考えてみると、うすら恐ろしい内容だと気がついた。

 どちらかの一人の神様は、何も考えずに適当に砂糖を入れているらしい。

「いや、だってさ、生まれ変わる魂に、甘いと苦い、どちらが良いかなんて分からなくない?」

「だけど、前世で大変な思いをしていたら、適度に甘くするとか。そのぐらいのさじ加減はいいんじゃない? 神様だし」

「まあ、そうなんだけど、生まれてくる子供、全部に? 嘘でしょう? 無理だよ。そんなの多すぎて、大変」

「じゃあ、どうやってるの?」

「本当に適当。シュガーポットにさじを差し込んだ深さとか、その時のやる気とかに影響されて砂糖の分量が決まる、みたいな」

「何、その、まさに、さじ加減」

 二人の笑う声の高さも同じで、どちらがより適当な神様か分からない。

 かつては人間だったわたしはちょっとイラついた。

 下界ではそれでも、少しでも自分の夢を叶えようと、あるいは家族と沢山の時間を過ごそうと必死に生きている。神様だから苦楽を決めるのはいい。でもその際に、もう少し個別の魂の事情や履歴を汲んでくれてもいいのではないか。

 そう考えだすと、わたしの小さな裸の足は、むずむずした。


 その時、二人が席を立った。

 引き続きの談笑をしながらどこかに歩いていって、やがて霧のように消えた。

 わたしはそろりと椅子の足を登り、座面に降り立ち、ふわっと浮き上がって白いテーブルの上に立った。

 テーブルの上には、いつものシュガーポットと、湯が微かに立つコーヒー、その近くに初めて見るノートのようなものが見えた。

 小さい手を前後に振りながら走り、ノートに近寄ると、仮に魂Aさんとしよう、その人の前世の情報が、丸ごと一ページ書かれているようだった。

 なるほど。この前世ノートを見ながら魂が生まれ変わる時に、さじ加減を加えているわけだ。でも適当だと言っていたから見ていないだろうけど。

 内容が気になって読んでみると、魂Aさんの前世での苗字が、複雑な漢字なのに簡単に読めて、名前の響きにどこか聞き覚えがあった。

『お父さん!』

 わたしの中で、何万と聞いた声が鳴った。

 声は合図となり記憶の断片を引き寄せる。断片がパズルのように重なり合い、現れた記憶の絵図には、生きていた時のわたしと娘が公園で遊ぶ姿が描かれていた。

 魂Aさんは、わたしの娘だった。おそるおそる最後まで目を通すと、それなりに幸せで、事故もなく往生したようだから、一安心した。

 だが、このページを開いているということは、わたしの娘だった魂の来世を決めようとしているということ。

 先ほどの会話を思い出すと、恐ろしく適当に砂糖を入れるだろう。あるいは、入れないかもしれない。

 見ていた訳ではないが、会話から想定すると砂糖はまだ入れていないようだし、シュガーポットをいじった形跡もない。

 わたしの娘だった魂。

 人間の世界を離れたわたしでも、何があっても消えないその関係性は、とても大切なものに思えた。ならばせめて、彼女、いや彼になるかも知れないが、来世はもっと幸せであってほしい。

 膨らんだ鼻と心は、わたしをシュガーポットに走らせる。

 わたしの身体の大きさからすると、まるでシャベルに見えるさじを、輝く白い山に突き刺して、大盛りを決め込んだ。

 ゆっくりと宙を移動してコーヒーの中にどばどばと入れた。

 これで少なくても甘い人生は確定だ。

 もう一杯と欲張って、気がつくと三杯入れていた。

 甘すぎる人生が確定。まさにバラ色。元お父さんは、頑張ったよ、と拳を握りしめた。


「あーあ、やっちゃったよ」

 後ろから声が聞こえた。迂闊だった。

 きっとひどい顔をしていて、天使的なスマイルを忘れたわたしは、恐る恐る振り返った。

「たまにいるんだよね、こうゆう天使」

 左側の神様のぞんざいな言い方。

 だが、神様の行為に手を出した天使はどうなるのだろう。

「え、堕天しちゃう?」

 右側の神様がそう言った。

「うそ、うそ。まあ、それはあんまりだよね」

 左側がそう言うと、「でも、何か罰は必要だよね」と右側。

「「そうだ」」

仲良く声を重ねた二人の神様。多分、わたしは手のひらの上で遊ばれている。

「その、砂糖入れ過ぎの人生、きみが過ごしなよ。転生して」

「いや、その、甘過ぎて幸せな人生ですよ、罰にならないんじゃ……」

 わたしの嬉しそうな逡巡に、左側が指を立ててわざとらしく、ちっち、と言った。

「甘いだけの人生なんて楽しいわけないよ。だって持ち過ぎるから、人が蟻のように群がる。ほんと、しんどいと思うよ。まあ、甘い体験、楽しんで」

 次の瞬間。

 え、と言おうとしたら、オギャーと泣いた。

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