第十話 鳴り響くサイレン

「キセキってなんだろう………?」

ひた………。ひた………。

薄汚れた、路地裏の。更に奥。

「…………シアワセって、なんだろう?」

人気のない隅っこに。少女がいた。

白く長い髪は地面まで伸び、ありとあらゆるヨゴレを引きずっていた。

「いつか、わかるのかな?」

虚ろな瞳が、明かりを映す。そっと手を伸ばし、少女は呟いた。そこに。光があるような気がしたのだろう。けれども、そこにはただ。暗く、うずだかい壁があるだけ。


カラン。カラン。カラン。


「………………あ」

まるで逃げ出すように。少女が抱えた腕の中から白いナニカが滑り落ちた。

落とした白いモノタチをじっと凝視したあと。しゃがみ込みその小さな腕で一生懸命抱え直す。


すると。


少女の長い髪の影の間からウゾリとなにかが這い出てきた。


「よいしょ……、よいしょ」


それも一体や二体ではない。何十。いや、何百という得体のしれないモノたちがズルズルと這い出ては少女の後ろで這いずり回る。



――キシャシャ………シャシ、ャシャッ。



人間の頭にムカデのようなカラダ。一定のリズムをとりその脚を蠢かすモノ。



――ズ、ル……?ズルズル……ル、ルルゥァ。



手のようなものはあるのに脚はないモノ。顔と思われるところには膿のような肉片が付きニタァ、とイヤらしい口がついている。たら~、と口から黄色い粘液を垂らせば。腐臭とともに地面が溶けた。



――もにょ………。モニョッ。モニョっモニョっもにょもにょニョニョニョッ…、ぼて……。



腸を引きずり出したかのようなでこぼこと軟らかく太く長いカラダ。カラダをよじり、地面に叩きつけるようにしながら這っているモノ。



蠱毒の中に押し込まれ互いを喰らいあった。成れの果てのようなモノたちで。ソコはたちまち溢れかえった。


「これで、全部かなぁ?」

幼い少女は気づきもせず。のんきに腕からすり抜けたモノを拾い集めた。

「……うんしょっ!」

グラつきながら立ち上がり、路地裏のもっと。ずっと、奥へと進んでいく。

その後ろを。蠱毒ムシたちがついて行った。まるで少女に付き従うように。


コドクの大行進。

ヤクサイの夜行。


にこにこ笑い。少女は言う。

「……決めた。今度はあのこにしよう………♪」

この前出会った。きれいなおねえさん。

「…………おにいさんも、ホシイナァ……♡」

これからご覧いただくのはヒトかそれとも……。

「コンバラリアの狂宴……!開幕だよぉっ♪」

狂気に溺れたヒトデナシか。




***




ビー、ビー、ビー、ビー。




ニシキが枯れた花に手を伸ばしたわたしの手を掴み耳元で囁いたすぐ後のこと。

牢獄中にけたたましいサイレンが鳴り響いた。

「………なにっ!?」

ビクッと体をすくませたわたしをニシキは「大丈夫だ」、といい腕の中に抱き寄せた。


「こんな朝っぱらから鳴る音か………?」


訝しむニシキをよそに。初めて聞いたであろう耳をつんざくこの轟音にわたしは忙しなくあたりを警戒をする。顔が強張り不安の表情を浮かべてしまう。


(………いったい、これはなに!?)


ただのサイレンではないように感じられた。ビー、ビー、となる音との間隙に。薄っすらと違う何かが聴こえる。



それは何かが動く音。

人であって人でない。

まるで甲冑を着た戦士のような。

無骨で、統一された音が。



「………警告音か?いや、これはッ―――」

はっとニシキは言って気付いたような表情をした。


ガチャンッ。ガチャンッ。


「………………ッ!?」

音と共に。大量のロボットがやってきた。

一糸乱れぬ隊列を組み、進んできたそれは。かつて中世ヨーロッパに実在した甲冑の騎士を彷彿とさせた。

装甲はもちろん甲冑などという古めかしいものではなく。近年新たに開発された超合金を使ったプレートを全身に纏っている。


この牢の中で。

アイの手足となり、囚人たちを監視し違反者を捕らえる。ソレはアンドロイド。

「――――強制捕縛警報だッ!」

青ざめた顔でニシキは言った。

「強制捕縛警報………?」

意味がわからずオウム返しに尋ねてしまう。


強制捕縛警報。


なぜ、強制的に捕縛するというのになのだろう。


「家はここから近いのかッ?」、とニシキは切羽詰まった様子でわたしに尋ねた。

「……え、ええ」

焦っているものの彼のその目は狩りをする前の獣のようなギラつきをみせていた。こくり、とぎこちなく頷いけば、両肩に手を置かれ彼は少し屈んだ。


(一体何が起きているというの…………?)


「走れ。振り返らず、立ち止まらず」

真剣な瞳で見つめられる。どこか遠くで悲鳴のようなものが聞こえた。

「家までまっすぐ」

「………でもッ」

一歩踏み出しこの説明のされない状況に苛立ちを見せると、ニシキはどこか一角を見つめた。

今もなお警報は鳴り続けている。人工灯で白く発色していた獄内は今は赫色に明滅している。


「………を頼れ」


ここでないどこか遠く。そこに目をやったままニシキは言った。静かで、それでいて確かな信頼感を感じさせるそんな声だった。


(なぜ、人工知能《あんなのを》……………)


ぎゅっと。彼の袖を掴めば。そっと手を外された。

「大丈夫だ、美琴。アイ《アイツ》は信用できる」

「…………………」


「俺が、信用できないか………?」


AIの牢獄《ココ》に来る前も来たあとも。誰一人。信用したことなど無かった。


「わたしたちは、昨日会ったばかりよ。………それで信用しろだなんて……」


いや。厳密に言えば。一人だけ。


………ッ)


でも。


今はこの男《ニシキ》を信じるしかない。

信じようと。信じまいと。この状況は変わらない。

なら。少しでも。

覚悟の決まった顔で再度彼の顔を見上げれば。ニシキはその危なくどこか退廃的な。男前の顔をこれでもかというほど歪ませニヤッと笑った。


大丈夫だ、と言うように。


「行け」、とどんと突き飛ばされれば。わけもわからずただ走った。

走るしかなかった。



「………はぁ、はぁ……ッ……ぁ」

走って。走って走って。走った。

逆流するように。ものすごいスピードでアンドロイドが通り過ぎていく。その手には長い銃のようなものが携えられていた。

アパートが見え、階段を駆け上がる。


カン、カン、カン、カン。


「…………ッ………ハァ……ハぁ…」


記者といえどデスクワーク漬けの体にこれはなかなかキツかった。


ガチャン。ガチャガチャ。


焦って。鍵が開かなかった。


バァンッ。


やっと開いた扉を乱暴に開け、部屋の中に転がり込んだ。

「………アイ。アイッ!」

裏返った声でディスプレイに近寄った。

数瞬のあと。「どうしましたか、ミコトさん」、とアイが現れた。


「これは………。これはッ、ナニ!?」


未だに。部屋の外からは不気味な音が響いている。

アイは、何も言わない。それどころか。少し不安定に歯車が揺れ始めた。


「ベツニ。なんでもアリマセンヨ」


(なんでも、ない?)


「嘘言わないで。なんでもないわけないでしょ!?」


「………アナタハ」

歯車が黒く小さく変わった。


「ここに来て、マダ二日シカタッテいないジャアリマセンカ」


「ソレデナニがワカルトイウンデス」、と突き放すような物言いにイライラが積もっていく。

「〜〜っだからって……ッッ!これがということぐらいわかるわよッ」


早く。教えてほしかった。


「ねぇ、アイ。これは何なの?あなたはここを管理するでしょ?」


そういった瞬間。ピタッとアイの動きが止まった。



「……………アナタが、いえ。アナタタチがシル必要はアリマセン」



「…………………え?」

「シッタトコロデ、なにもデキナイでしょう?ミコトさんには」


(………………なに?)


「それに。アナタはワタシのことを信用してはイナイでしょう?」


唐突に違和感を覚えた。


「そんなことはどうでもいいわッ。……確かに。あなたのことはよくわからない。けれど、」

ガバっと顔を上げ眼前を睨む。



「何も知らないなんてごめんよッッ!」



ディスプレイに手を付き声を張り上げた。

数瞬の沈黙の後。アイは諦めたように声を発した。


「これは『強制捕縛警報』。コンバラリアの狂宴から、アナタタチを守るための、ケイホウです」


「コンバラリア……………………」


(……また、またそれなの?)






コンバラリアがまた命を咲かした。

狂宴という名の紅黒い花を。




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