キコ編

第九話 諦め

 遠くでチュンチュン、と規則正しく鳥が囀り、異様に近くで誰かの声が聞こえる。


(…………………うるさい)


 夢を、見ていた。朧気なその夢は何か。大切なもののように感じた。


 ――もし。

 ――みこ………が、わたし……………。


(……なに?何を言っているの?)


 ――…………くん、はやく。


(…………だれ?)


 ――たすけて



「…………ぅるさいわッ!!」


 叫び、ガバっと勢いよくベッドから飛び起きた。そしてその声の主へキッと睨む。


「オハヨウゴザイマス、ミコトさん」


 さっきからアイは、「オハヨウゴザイマス」、だの「朝デスヨ」、だの起きるまでず〜っと喋り続けていた。

 おかげで。なんの夢を見ていたのか。すっかり忘れてしまった。

 昨日とは打って変わって。アイはフレンドリーにはなしかけてくる。


 まるで、目の前に。

 人間がいて話しているような。そんな錯覚を覚えるほどに。


 その、あまりのうるささに朝から一気に気力を持っていかれるような気がした。


「今日もいいテンキデスヨ。……ニシテも。ミコトさんはお寝坊さんデスネェ」


 幾何学模様の歯車をほんのりピンクに染めくるりと回った。

「ッ………………!」


(………このAI、煽ることしかできないの??)


 頬が引きつりなんとも言えない感情が沸き起こる。

 そう。強いて言えば、使えない電化製品や部下の誰かさんに対する。


(強烈なウザさ、ね)


 ため息を付くとぐぅぅ、とお腹が空腹を訴えた。

「…………っ」

「オヤ、オナカがスイタんデスネ」

 昨日から何も口にしていなかった。当然といえば当然だろう。

「ナニカ、頼みマスカ?」

「どうやって。お金なんか、持っていないわよ……」

 なおも体は空腹を訴え、悲鳴のように鳴る。

「ココデはお金なんてなんのカチもアリマセン。デスノで安心してください」

「お金じゃないなら、何を払うの?」

 ふわふわとアイは揺れた。


「ブツブツコウカン、です」


 頭が痛くなった。

「……だからッ、何も持ってないって、言ってるでしょ!?」

 ウザイ。話の通じないヤツ程ウザいものはない。

「取り敢えず、商店街にイッテミテハイカガデス?」


(商店街。昨日の…………)


「キットいいことがアリマスヨ」

 そう言うとアイはわたしを送り出した。




 ***




(物々交換って言っても………)


 商店街にたどり着くとそこは人でごった返していた。

「………うそ」

 昨日は誰もいなかったのに。どこにいたのか、と問いたくなるほど大勢の人で溢れていた。

 それに。

 ニシキの言うとおりであれば。昨日資源回収と称して囚人たちが捕らえられたはず。

 あんなことがあってもまだこれほど多くの囚人がいるのか。

 それとも。


(彼が嘘をついているのか………)


 どこに何があるのか、とあたりを見回していると背後から「おーー、お前も朝飯か?」、と声をかけられた。

 ドシッと肩に体重を預けられうっと変な声が漏れた。

「……………ニシキ」

「ん」と、軽い挨拶が返ってきた。

 黒い手袋を付けたニシキの手には美味しそうなホットサンドが握られていた。

「………………それ」

「ん?」

「ご飯がどこにあるの」なんて。聞けなかった。

 もじもじと俯き加減に見上げると。フードの奥の目とあった。

 少し考えたあとニシキは私の手を引きホットサンドの店まで連れて行ってくれた。

「………………ありがと」

 小さくそう呟けば、彼はククク、と笑った。




 ***



 ホットサンドを買ったあと。昨日の廃ビルとは反対側にある公園のベンチに腰掛けた。

「これは、どうすればいいの?」

 物々交換と称し手渡された布や綿を見やる。

「何って縫えばいいんだよ」

 ガブッと豪快にニシキはホットサンドに食らいつく。

「俺はよく、それをボールみたいなヤツにするけどな」

「ほら。こういう丸い玉」、と彼は手で手のひらサイズくらいを示した。


(…………………裁縫)


 長い脚を組みニシキはエビとアボカドのホットサンドを食べている。

 自分の手にしたハムとレタスのたまごサンドから温かい湯気が上がっている。


(まずは食べないと)


 ガブっと一口頬張ればった。

「…………………ん!」

 サクッとした食パンに熱が入りほんのり甘くなったレタスと塩気の効いたベーコンがあっている。それにこのマヨたま。濃厚なマヨネーズに粗く潰されたゆで卵。

 一日しか食事を抜いていないというのに。今まで食べたもののなかで一番美味しく感じられた。

「………ハハッ」

 美味しそうに食べる実琴を見てニシキは笑った。

 穏やかな風が吹いた。人工的に、作られたはずのその風は。外にいるときより心地よく感じたのはなぜだろう。

「………貴方は、ここに来てどれくらいになるの?」

 そんな不思議な雰囲気に当てられたからだろうか。

 ホットサンドを一口かじり美琴は尋ねた。

 聞いてはいけないことのように思われたが意外。ニシキは僅かな沈黙の後口を開いた。

「もう……、二十年は経つな」

 どこか遠くに視線を向け呟いた。

「二十年……!?」

 口から出た年数の長さに戸惑い大声を上げてしまう。

「ハハハ」と力無く笑い、彼は背もたれに背を大胆に預け今度はニヤリ、と笑った。

「なかなか、若く見えるだろ?」

 そう言いかきあげたニシキの金髪が人工灯に照らされ眩しく光った。

「そんなに……、長くいるなんて思わなかったわ」

 俯き、食べ終わった包み紙を所在無さげに弄っていると、「ほら」といいニシキは横からつかみ近くのゴミ箱へ投げ入れた。


「AIの牢獄∣《ここ》に一度入ったら、出れねぇからな」


 悲しげにそう言いフードを被った。


「住めば都、だなんてよく言うけどよ。……それって嘘だと思うんだわ」


 彼は公園に端にある花壇の前に座り込んだ。ベンチから僅かに距離がある。


「どんなにクソみてぇなとこでも、住み慣れりゃよく思えてくるわけねぇんだよ。クソなとこはクソなんだからよ。それは、よく思ってるんじゃない。よく思おうと……、諦めてるだけなんだよ」


 立ち上がり、彼の近くまで向かう。

 花壇には枯れた花があった。それに触れようとし、寸前でニシキは、やめた。


「お前こそ、なんでここに来たんだ?」


「………………………」


 獣のような、鋭い瞳からおもわず目をそらしてしまう。なにもやましいことなど、無いのに。

 その様子を見たニシキは苦笑し立ち上がった。


(なにも、悪いことなどしていないのに。どうして、言葉が出なかったの……?)


「言いたくねぇことは、誰だってある。……悪かったな。野暮なこと聞いて」

 やや俯いたわたしを気にしてかニシキはそういった。


 早朝の。なんとも言えないこの雰囲気が。


 不安を増大させた。


 気分を変えようと顔を上げたとき、ふと。花壇の枯れた花が目に入った。

「………花の世話は、さすがのAIもやらないのね」

 なんの花が咲いていたのか。種類も形状もわからない。ただの茶色い枯れ果てた茎にそっと手を伸ばした。

「世話をしないんじゃない。しても意味がねぇんだ」

 伸ばしたその手をニシキがギュッと掴んだ。


「ここに、花なんて咲かねぇから」


 耳元で囁かれたニシキの声はどこか冷え冷えとしていた。














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