第八話 不穏な声

逃げるように廃ビルを出たわたしはアパートへ続く道を歩いていた。

道路にも、歩道にも。行きと同じくゴミは無い。


ゴミが、ないのだ。


(……本当に、人間が回収されたの?)


「…………嘘よ」

あの男、ニシキが嘘をついているという可能性だってある。わたしは直接人間が回収される瞬間を見たわけではない。そもそもあのビルから決定的瞬間を見えるものがいるのならば。それは相当視力が良くなくてはならない。故に、もしかしたらということも。


(………でも、彼は嘘をつくような人には見えなかった)


初対面の、何も知らないニシキ。信じるに値しないような風貌の男。




――みことちゃん。

――人を見た目で判断しちゃだめ。




記憶の奥底で、誰かがそういった。

私の知らない。この記憶。


「あなたは、だれなの………」


額に手を当てふぅ、と息をついた。

このことについても彼についても、もう少し様子を見た方がいいのかもしれない。焦って決めるには情報が足りない。幸いにも時間だけはたくさんある。

そんな、思索にふけっていたからだろうか。気づけば見知らぬ路地裏にいた。


(迷った……?)


迷うような道などなかったはず。商店街からアパートまで確かに分かれ道は存在していたが、曲がりはしなかった。それに、入れるような路地も無かった。

「………………っ!?」

異様な臭いが鼻を突いた。


(どうなって……)


すると。

「………っ、うぅ…………ぅ……」

誰かがすすり泣く声が聞こえた。

薄暗い路地裏の奥の方からだ。袖口で鼻をおさえ、一歩踏み出すと、ピシャッと汚水がはねた。

「…………………っ」

はねないようそっと近づき、そっと様子をうかがえばそこには薄汚れた格好の少女がうずくまっていた。


「………し、て……わたし………ぅぅ」


何事かを口にしているようだが嗚咽に混ざりよく聞き取れなかった。

ぐすぐすと長い髪を体にまとわりつかせながら泣いている。


(あの子が持っているもの。あれは何?)


ふと。少女が大事そうに腕に細長く白い何かを抱えているのに気づいた。


「……っ……ぇ………ぅう」


「…………………………………………」


すすり泣く彼女が記憶の中の過去へと重なる。


キーン、と耳鳴りがし、頭に鋭い痛みが走った。

「…………っ」

痛みに顔を歪めながらもさらに近づこうとしたとき。少女がはっとこちらに気づいた。足音だ。足元に垂れ流されている汚水の音で気づかれてしまった。

「…………………っ!」

少女は慌てて立ち上がると走り出して行ってしまった。

「あ……………」


(行ってしまった………)


少女が去っていった方には不穏な暗がりだけが広がっていた。


「……………………」


くるりと踵を返し僅かに見える光へ向かって歩き始めた。






***********************






アパートに戻ってきたわたしは喉の異常なほどの乾きを覚えていた。


蛇口をひねり水が出ないかも、と一瞬不安になったがそんな思いも今日あった出来事も洗い流すような冷たい水が勢いよく流れた。

「……ん………ん…っは」

棚からコップを取り出し水を飲み、ディスプレイにアイを呼び出した。


「ドウカしましたか、ミコトさん?」


数秒のラグもなくアイは現れた。

「………少し。あなたと話してみたいと思って」

テーブルに手を付き首を傾げそういえばアイは僅かに反応に遅れた。

「………イイデスよ」




それから。他愛のない会話を続けた。

そして。「おかしなことを聞いてもいい」、と美琴は一番気になっていたことを尋ねた。

「今日は、なんの日なのかしら……?」

「……………………ホントウにおかしなことを聞くんデスネェ……」

若干。アイの声のトーンが落ちたような気がした。

「…………いえ、ほら。ここには、カレンダーがないじゃない?だからよ」

歯車の色が灰色に染まった。

「気にナリマスカ?そんなコト」

「…………そう?日付とか、今日はなにがある日なのか。わからないと不便じゃない?」

こうやってごまかしながら会話をするのをわたしは得意としている。だがそれも。


(相手が人間だったらの場合だけれど)


それよりもまず。


(少しずつ。反応が遅くなってる…………?)


少し緊張して待っていると、アイは、

「今日は清掃ロボットの資源回収デー、デスヨ」

といった。


(資源回収デー。ダサいわね…………)


さすがのAIもネーミングセンスにはかけるらしい。

「そうなの。ありがとう」

話を終わらせようと背を向けるとアイが、「ナゼデスカ」、と今までとは違うロボットやAIらしい音で尋ねた。

「ナゼ、ソノヨウナコトヲ?」

無機質ではあったアイの声。けれどもそこには確かに普通のAIとは違う何かがあった。

「…………………別に。さっきいったとおりよ」

振り向き微笑えば「ココも外とあまり変わらないんデスヨ」、と今までのような人間じみた音で返した。






アイがいなくなったディスプレイの前で少女のいた路地裏を思い出す。


(あのあと、あの子がいたところへ近づこうとしたけど一向にたどり着けなかった)


進めど進めど。見えはするのにたどり着かない。まるで、何かに阻まれているかのようだった。


そしてあの路地裏。


道路などの『表』とは違い『裏』は酷く汚れていた。


(この差は何?)


表面を取り繕うとするのは人間もAIも同じだと言うのだろうか?


(けれどそうする意味は?)




「知りたいことがあるんだったら、いつでも来い。俺はお前を拒みはしねーよ」




脳裏にあの男の声が響いた。

知りたいことは山ほどある。だが、あの男を信用していいのかは、わからない。


(いつでも来い、とは言われたけれど。一体、どこに行けばいいの?)


肝心なことをニシキは、伝えなかった。

窓の外には濃紺色の空が広がっていた。

今日はもう寝よう、と寝室の扉を開けベッドに寝転がる。囚人だというのに寝心地は良かった。






目を閉じわたしは眠りについた。






その姿を監視しているモノの目になど気づかずに。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る