第二話 逮捕



 明日も同じ日々が続くなんて、一体誰が言ったのだろう。



「………どういうことですか……ッ」

 強く拳を握り肩を震わせながらわたしは声を絞り出す。

「仰っている意味がッ………わからないのですが……」

 キッと睨みつけ怒気を露わにするも笹山はこちらをらりと一瞥した後、わざとらしく溜息をついた。

「…………片瀬。お前に――の疑い……いや、」

「……………………?」

 一度言葉を区切り暫し考え込んだあとニヤリと下種げすな笑いを浮かべて笹山は言った。


「………片瀬美琴。今日は、最高の1日になるぞ」


 笹山はネクタイを緩めて窓の外を向いた。

 つられてわたしも窓の外へ目を向けた。澄んだ青空が広がっているというのに心はどこか、不安だった。



 ***********************



『お前………明日からもう会社に来なくていい』



 笹山から言われた言葉の意味がわからない。

 わたしは決して仕事ができないというわけではない。自分で言うのも何だが記者として申し分ない働きをしていると思っている。会社の利益にも貢献はしている方。そのわたしに対して『クビ』宣言とは一体どういうことなのだろうか。笹山は一体何の疑いと言ったのか。よく聞き取れなかったその部分。

 疑い。何に対する。考えど考えど、答えは見つからなかった。

 生来。わたしは気になることをほうっておくことができない性分だった。それになっとくすることも到底できなかった。

「………………」

 カツ、カツ、カツ、カツ。デスクを爪で叩き熟考する。

「もう一度行こう」

 イラつきは収まらず。もう一度笹山のところに行こうと席を立ったその時。



「警察だ、全員動くなァっ!」



 ドアがバァァンと乱暴に開け放たれ黒尽くめのスーツを着た者達がズカズカ入ってきた。

 今度は一体何だというのだ。

 突然の出来事に自然と手を止め、戸惑う社員たち一時オフィスは騒然となった。

「……なに、警察!?」

「……お、おい。お前なんかやらかしたのかよっ」

「なわけねぇだろッッ」

 するとドアの一番近くにいた経理部の深山が先頭にいる眼光の鋭い男に尋ねた。

「あ………、あのっ。こちらに一体なんのようでしょう、か……?」

 ビクついている。刑事ならではの。その威圧感に当てられたのだろう。

 しん、と静まり返り固唾をのんで皆が返答を待つ。

「…………俺は、東京地検特捜部の冠城かぶらぎだ」

 彼は深山に目を向けることなくそう言った。低く威圧感のある声がオフィスに響いた。

「………………冠城」

 そっと名前を口にした。彼は眼光鋭い瞳をスッとわたしの方に向けた。

「…………………………?」

 一歩踏み出しオフィスに響き渡る声でこう言った。


「横領の罪で、お前を逮捕するッッ!!」


「…………………え?」


 掲げられた令状に、目が離せない。突然のことで頭が回らない。

 今日何度目かの静まり返ったオフィスに社員たちの小さな声が溢れ出す。

「横領……?横領って言っ……た?」

 驚きと疑念。


 違う。


「片瀬さんが、嘘でしょ?」

 予感と愉悦。


 わたしではない。


「ふふふ。でも、あの人なら……ねぇ?」

 嘲笑と侮蔑。


 これは、なに。


 嫌な汗がつぅっと流れ鼓動が激しくなる。

 ゾロゾロと捜査員を引き連れながら冠城はわたしの正面に来た。背の高い彼に見下される。冠城はただ冷たい視線をわたしに向けた。



 ガチャンッ。



「……………っ」

 冷酷に。ただ淡々と。自由を奪われた。

 両側から捜査員に腕を取り押さえられる。

「……〜ッ!わたしは、わたしはやっていないわっ」

 毅然と言い放ち抵抗するも。鍛えられた捜査員と一記者では結果は歴然だった。冠城を見据え睨みつけるも舌打ちとともにそっぽを向かれてしまった。

「……………ぁ………ッ!」

 瞳に怒りをにじませぎりっと歯ぎしりをすると。



「もお……!。せんぱいったらぁ、往生際が悪いですよぉ」



 甘ったるい声が響いた。

「証拠なら、ここにちゃぁんとあるんですからっ!」

 ふわり、と栗毛色の髪を揺らし、得意げに後輩の綾瀬が言った。

「…………………綾瀬」

「もお!そんなに睨まないでくださいよぉ」

 きゃっと綾瀬は小さく跳ね笹山の背中に隠れた。顔を俯かせ手にした資料を笹山はぐしゃり、と潰した。

「…………片瀬。何だこれは?」

「……っ笹山さん!」

「まさか片瀬……ッ、お前がこんな事をしていたとはな!!」

 クイッと縁のない眼鏡を押し上げツカツカと笹山がやってきた。おでこには青筋が立てられていた。

「総額三億円だ………ッ!!」

 鋭い怒気が笹山から発せられる。

 バンっと私が昨日藍のところへ取材をしたときの資料が床に投げつけグシャリと踏み付けられた。

「何に使ったぁ、片瀬ぇ?」

 ぐいっと胸ぐらをつかみ笹山は睨んだ。

「はぁ……わたしは、」

 冷静に対処しようとそう決め口を開こうとしたその時。

「もう!笹山さんったらっ。せんぱいだって一応女の子なんですよ~。女の子にはお金が必要なんです~」

 一足先に綾瀬が口を開いた。

「………………は?」

 つい間抜けた声が出てしまった。

「…………おい、綾瀬。それはどういうことだ」

 口に両手を添えキャハハっと綾瀬は笑った。

 するとくすくす、と嗤い声がオフィスのあちらこちらから漏れ始めた。頬が引きつりなんとも言えない感情を抱く。それは屈辱と恥辱だった。

「……チッ………連れてくぞ」

 冠城の号令で無理やり連れて行かれる。必死に抵抗しようとするも、物凄い力で腕を抑えられているためろくなこともできなかった。

 エントランス前にはどこから聞きつけたのか大勢の記者、報道陣でごった返していた。

「片瀬さーん!三億円ものお金を何に使ったんですかー?」


 、と馴れ馴れしく呼ぶ彼らに嫌気がさす。


「やっぱり男ですか??」


 パシャパシャ、とカメラで写真を撮られる。

「………………っ」


 この者たちにとって、片瀬美琴日本記者クラブ受賞者の私は格好の獲物だろう。


 我先に、と良いネタが取りたくて。挑発的な物言いをする記者達。

 有る事無い事まるで真実のように話す報道陣。


 キモチワルイ…………………。


 ここには。彼らには記者としての矜持がなかった。

 捜査員に引きづられるようにパトカーへ連れられていく。

 その時。

「……………美琴せんぱいにはぁ、年下のカレシさんがいたんですよぉ。でも?最近うまくいってないみたいで……」

 テレビ局のカメラの前で目を潤ませながら喋る女の姿が目に映った。

「……だからきっと。せんぱいはカレシさんに離れていって欲しくなくて、横領しちゃったんだと思います」

 大勢の報道陣ヒトに囲まれながら女――綾瀬はそう口にする。

「厳しいせんぱいでしたけど、せんぱいも一人の女の子なんだなって思いました。……こんなことになるんだったらお話、聞いてあげればよかったな……」

 わっと顔を覆いわざとらしく綾瀬は涙を流した。まるで悲劇のヒロインのように。

「意味が、わからない……………………」

「……………乗れ、片瀬美琴」

 冠城にそう言われたが、足は動かなかった。否、動けなかった。

 カメラの前で涙を流し話を続ける綾瀬にプツン、と何かが切れた。

「勝手なことを言わないでッッ……!わたしはやっていないわ。綾瀬、嘘を言うのもいい加減にしなさい!」

 理不尽に対する怒りが。真実を確かめずに情報を発するその行為への怒りが。体をこの場に留めていた。

「わたしはやっていない……ッ、なぜ…………」

 はっと気がついて口を噤んだ。

 嗤っているのだ。

 わたしが何かを口にする度、下種な嗤いが醜く咲いていく。


 まるで真実などどうでもいいというかのように。


「………………乗れッ、片瀬美琴」

 再度、冠城がそう言った。

「……………………っ」

 無理矢理パトカーに押し込められ、美琴は会社。善人たちのセカイを後にした。



 同じ日なんてあるわけがない。

 時は移ろっていくものなのだから。






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