21.魂は蝶のように見える

 親友のナツが亡くなった。


 訃報の知らせを耳にした時、言葉は音としてしか認識されないで、意味を理解することが出来なかった。


「ごめんなさい。わかってあげれらなくて……」


 泣き崩れるナツのお母さんは目の下にはクマができ、頬は痩せこけていて、明らかに憔悴している様子が見て取れる。そんな状態なのに後ろで棒立ちしている僕の姿を見つけると、赤く腫れ上がった目蓋を擦りながら、笑顔で声をかけてくれた。


「アキくん、いつもナツと遊んでくれてありがとうね。ナツから話を聞いていたから。毎日、アキくん、アキくんって、楽しそうに笑って」


「すいません……」



 謝ることしか出来なかった。ナツとは一番近くでいたはずなのに、ここまで追い詰められていることに気づけなかった。親友のお母さんは声の震えを我慢して、笑顔で「ありがとう」と伝えられるが、僕には受け取る資格がない。



 ナツのお母さんの笑顔は印象に残っている。


 ナツの家に遊びに行った時はいつも笑っていて。当時の僕は、「この人は何がそんなに嬉しいのか」と不思議に思っていた。



 けれど目の前にある笑顔は貼り付けたような偽物にしか見えない。



 ナツは自殺だった。



 遺書には、


『お母さん、お父さん、ありがとう。僕と友達になってくれたアキくんには本当に感謝しているよ。そして、ごめんなさい』



 そう短く書かれてあったらしい。


 原因はいじめだ。いじめられているからこそ僕はナツと友達になったかもしれない。


 同情か優越感なのか、弱い立場だからこそ近づいたのか。


 周りがどう思おうと自分が仲良くなりたいと思った人と一緒に時を過ごそうと決めている。だから、周りに何か言われようとも関係はないんだ。そう言い聞かせて。



 生きているナツ顔が思い浮かんだ。



「大丈夫か?」



 僕がそう問いかけると、ナツは決まって



「平気だよ」



 言って、笑っていた。



 僕はその言葉を過信しすぎていたんだ。


 僕という逃げ道を見つけたナツは強かった。今まで苦痛の表情を浮かべていたいじめを、僕という友達が出来てからは、なんでもないように受け流していた。



 その姿がいじめている連中は気に食わなかったのだろう。



 何度いじめてもへこたれないナツの姿を見て、対象を僕へと変えた。


初めは靴を隠されたり、教科書を捨てられたり。中学生にもなってこんな幼稚なことしかできない連中を酷く軽蔑したこと覚えている。


 僕はいつか終わるだろうと思って、無反応で過ごしていた。



 ある日、ナツが僕の顔色を窺って口を開く。



「アキくんがやられているって、僕のせいだよね……」



 下を向いて肩をすぼめながら話す姿は、いつもよりも何倍も小さく映った。



 僕は心配させまいと、



「なんともないよ。気にすんな」



 今思えば、ナツの顔色は底の見えない沼のように黒く澱んでいたかもしれない。


 ナツが亡くなったと連絡が入ったのは、このやりとりをした数日後だった。




 葬儀が終わり、僕は火葬場に立っている。


 涙を流すこともできない程、まだナツが亡くなったことを受け止めきれていない。



 ナツが入った棺がゆっくりと火葬炉へ入れられていった。



「これから一時間程、時間を頂いてから骨上げに移ります。それまで待合室の方でお待ちください」



 係員の指示を受けて、ナツの親族は待合室へ向かって行ったが、なんだか休む気にもなれなくて火葬炉の前で立ち尽くしていた。



「アキくんも待合室で休んでね?」



 休んでいる時にナツが焼き上がるのは嫌だったが、それはナツのお母さんも同じようで。僕は二人の時間にさせてあげようと思い、「わかりました」と返事をして、外に出ることにした。



 外は真夏らしく蜃気楼で景色は歪んでいて、照り返しが肌を焼く。


 後悔が心を圧迫して、今にも潰れそうだ。


 あの時、どんな言葉を掛けたらナツが自殺をしない選択をできるのか、何度も何度も考えていてみても答えは出ない。



 消えない後悔を抱えたまま空を見上げると、一匹の白い蝶が空へ上がっている。


 僕は驚いた。その蝶はあきらかにこの世のものではなかったからだ。


 白。というよりも透明のように見えて、太陽を通しているせいか眩しく光っている。


 蝶が通った道にはこの世を離れていく足跡のように、白く光る鱗粉を落としていく。


 そんな光景に出会った時、昔読んだ本でこう書かれていたことを思い出した。


『現世から常世へ魂が移る時、その姿はまるで蝶の姿ように見える』


 僕はその蝶に向かって、


「そっちの世界では、楽しくやれよ」


 蝶は返事をするように、足跡の鱗粉を地上に落としながら青い空へと消えていった。

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