3.6畳の恋

私がいる部屋の隣から、微かに声が聞こえてくる。耳を澄まさないと、聞こえてこない小さな声。


 ブラインドから細い隙間から漏れる暖かい陽を浴びているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだ。




「あ、ごめん。うるさくて起きちゃった?」




 彼は申し訳なさそうに謝りながら、私の部屋へと入ってきた。


 私が首を横に振ると、良かったと言わんばかりに優しく微笑んで、私の横にあった椅子に腰をかける。



 


 もう恋なんてしないと思っていた。


 



 けれど、彼の顔を一眼見る度に、心臓が騒がしくて仕方がない。


 



「どうしたの? 顔になんかついてる?」


「な、なんでもないわ」


 



 私は慌てて誤魔化そうとしたが、言葉がつっかえてしまって、視線を逸らした。


 最近、人と話す回数も減って、声自体が弱っているのかもしれない。


 どうして良いのか分からず、彼の方へと視線を戻すと、いたずらを思いついたような表情を浮かべている。




「何か言いたいことがあるならい言いなよ〜。まだ時間はあるから、話し相手くらいにはなるよ?」


 



 私の悪い癖が出る。


 意識し始めたら男の人と、うまく会話をすることが出来ない。


 過去の恋愛を思い返してみても、言うことを聞くばかりで、男の人といい思い出はない。


 私が黙っていると、彼の方から先に口を開いた。


 



「あ、もしかして髪切った?」


「え?」


「ほら、前髪のとこ。少し短くなっているような気がして。気のせいだった?」


 



 私は手で前髪を押させながら、小さく頷く。




「うん。そうなの。昨日、切ってもらって……。変かな?」


 



 すると、彼は屈託ない笑みを浮かべながら、




「全然。僕は可愛いと思うよ」



 


 可愛い。


 その言葉が何度も頭の中を反芻して離れてくれない。


 上手く返すことも出来ずに、みるみる体温が上がっていく感覚に襲われた。




 コンコンっと、部屋の扉が叩かれて、お世話になっているヘルパーさんが部屋の中に入ってきた。



「弘さんまた千代さんとおしゃべりですか?」


「まぁ、そんなところです」


「まったく。実のお父さんより、千代さんといる時間の方が長いですよ」




ヘルパーさんは呆れながら弘さんに言うと、「あれ?」と私の顔を覗き込んでくる。




「千代さん。ちょっと、顔が熱っぽいですよ?」


「いや、これは……」


「とりあえず、熱を測って見ましょうか?」




 ヘルパーさんは私の気も知らないで、体温計を持って、熱を測ろうとする。




 大丈夫なのに、恥ずかしくて本当のことは言えない。




 されるがままの私の姿を見て、悪戯っぽいを笑みを浮かべる彼。


 私は顔をそらすが、頬は自然と緩まった。




 寝たきりになっても、


 八十歳を過ぎても、


 恋に落ちてしまうんだな。

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