ビニールの花火の先輩

 まだほんのりと夜光の残る午後八時。向こう岸には光が一列上に並び、人の活気で溢れ返っていた。

 けれど、一つ橋を渡れば、掻き消された自然の光と静けさが居座る森林が広がっている。

 言わば、穴場のような場所なのだ。

 僕達はそこで、ただ黙々と打ち上がるその瞬間を待っていた。


「ふぅ。晴れてよかったね」


 台風一過の花火大会。

 今日の花火大会の開催は奇跡と言っても過言ではない。

 というのも、つい昨日までは関東一帯を渦巻く雨雲が包み込み、嵐を起こしていた。それもまた過去に類を見ないほどの大規模だったのだという。

 毎年のように記録を塗り替えていく台風が羨ましい。

 人が人の記録を塗り替えることは至難であり、ましてや自分が自分の記録を塗り替えることさえ困難だというのに。


「さ、もうちょいだよ。緊張してピンボケとかさせないでよね?」

「わ、わかってますよ」

「分かってたら今日ここに来てないでしょ。ったく、世話の焼ける後輩だよ、キミは」


 小馬鹿にしながら、一度デコピンをお見舞いさえされなければ、先輩とのいいデートだったと言えたかもしれない。

 ただ、ちょっとしたイジワルというか、これも一種の愛情表現というのか、何にせよ今日もこうして付き合ってくれているのだし、悪い人でないことなど知っている。

 けれど、あまり好きになれない先輩でもあった。


「あと一分だね」


 腕の時計を確認すると、先輩はビニール傘を取り出し、軽く体を動かし始める。

 そして、靴紐をよく結び、飛び跳ねながら息を整えた。


「さ、いくよ」


 先輩の掛け声と共に、僕もカメラを構える。

 ファインダーに目をかけ、深呼吸で無駄な力が入らないようにする。


 ヒュゥー。


 少し先から聞こえてきた音と同時に、息を大きく吸い込んだ。


 パンッ。


 強烈な爆裂音が響き渡った。それが合図だ。

 一気に走り出し、水面を揺らしながら、思いっ切り駆け抜ける。

 そして、傘を構えると地面を蹴飛ばし、宙を舞いながら小さなビニール傘に小さなその身体を収めた。


 そんな先輩の刹那を逃さず、シャッターを切り、フィルムに収める。


 ほんの僅かな瞬間の出来事。

 非日常を永遠の作品にする瞬間。

 美しさに息を呑む幻想的な時間の切り取り。


 撮っている自分自身でさえ、鳥肌を立てるほど、それは綺麗だった。


「はぁ……はぁ……。いいの撮れた?」

「はいっ。バッチリです」

「……そりゃそうでしょうよ」


 息を切らしながら、先輩は振り返り、僕をまっすぐと見る。


「だって、アタシだよ? 好きなヤツのためならなんだってやり遂げるさ」


 そんな先輩らしいような、そうでないような言葉が聞こえた次の瞬間には、爆裂音と美しい火花に照らされる先輩の笑顔が映る。

 僕はそんな先輩が好きになれない。

 何故なら、元から大好きだからだ。

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