エヴァンゲリオンというメンヘラと少し付き合ってみる その1

 先日、同年代の男性がエヴァの話を振ってきた。


「一生懸命予習してたのに旧劇(Air/まごころを、君に)を観た後、お通夜みたいになってしまい、生涯忘れられない映画体験だった」

 と笑い話として。


 その方の予習っぷりは熱心で、頭が下がる思いだったので当たり障りなく答えておいたが、それでもまだエヴァの話をしたそうなので、また後日ということにしてもらった。


 その間、YouTubeに上がってるエヴァ解説動画が送ってこられてたりした。


 いや……私はそこまでエヴァに付き合う気はないんだけどなぁ。


 多分、完全に解説しようとしても徒労になるんじゃないかな。

 でもそう云うことが楽しいなら、色々考察してみても良いかと思う。


 私もまたそのうち、その方とエヴァの話をすることになると思うので、何かしら少しネタを用意しておいた方が良いのかもしれない。


 少しその辺を見つくろってみた。


 まず、エヴァを観て思うこと。

 情報量詰め込み過ぎ w

 宮崎駿譲りなのか。もっと尺を使えと言いたい。


 一時停止しないとわからないような描写をするな! w

 本当にそう云うのが多い。

 メンヘラの女の子の相手でもしてるかのように、とても面倒臭いこと! w


 例えば、旧劇でエヴァ量産機が起動するカット。

 一時停止しないと、挿入されるダミープラグに『KAWORU』と書かれてるの見逃しかねない。


 シンの終盤、回想のくだりで、まだシンジが生まれたばかりの頃、マリの胸は大きい筈なのだが、そうなってないなど。

 そういった点が他にもてんこ盛り。


 それで『破』と『Q』の間の空白の14年間のエピソードも気になる。

 何かあったのかいちいち推測せねばならないとか……。

 第11使徒だけ出てきてないよね。

(また、そこだけ特別編としてアニメ化するんじゃない?)

 わからないことだらけ。


 あと、TV版の頃から気になってるけど、何で死海文書のことを「しかいもんじょ」と読むのか?

 私は中学に上がるまでクリスチャンだったので、いちいち引っかかる。

「しかいぶんしょ」じゃないのはなんで?



 クリスチャンはそもそも生命の樹については、余程聖書を研究してるとかでないとそんなに馴染みのあるものでもないというか、気にしない。


 私は生命の樹というと、聖書より、諸星大二郎の『妖怪ハンター』(現在は新装版で『稗田礼二郎のフィールドノート』というタイトルになってるんだっけ?)


「みんなおらと一緒にパライソさ、行くだ」の方が馴染み深い。

『生命の木』である(映画化もされている)


※少しそのマンガのネタバレになります!

(ネタバレ避けたい方は、ここで終わって、その2まで行ってください)


 














 知恵の樹の実を食べたアダムとイヴのを祖とする我々と違った、知恵の樹の実を食べてはいないが、生命の樹の実は食べたという村人たちが住んでいたという衝撃的な内容の回があった。


 使徒とヒトとの関係性は、そのマンガからきてるのだろうと思う。

 両方の実を食べたら神になるという台詞まである。

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