第4話 白衣の天使はとっても元気

 長い夢を見ていたような気分だ。自分が神になって陰ながら人々を救っている夢を。小鳥の囀る甲高い声が響き、窓から差し込んで自分を優しく包み込んでくれる朝日。

 そんな気持ちの良い空間で長い夢から覚めた俺は──。


「ぐおおおおおおおおお、俺は何を……///」


 蘇る恥ずかしい過去。カムバックする暗黒の歴史。棺に収めて、鎖でぐるぐる巻きにした上でバミューダトライアングルに沈めてやりたい記憶。

 この過去、自分だけではなく佐藤先生やその他多くの記憶からも俺を消したいいいいい。


──夢、ではなく現実で、自分のしてきた事が瞬時に脳裏を過り、今まで感じていなかった恥ずかしさに苦しみ、大声で叫びながらのたうち回っていた。


「騒がしいですよ。他の患者様にご迷惑です」

「すみませんッッッ」


 目を覚ますと柊仁の厨二病は治っていた。理由は分からない。

 しかし、確実に分かる事はあの時の何事にも何者にも恐れない毅然とした態度は見る影もない、本来の湊柊仁が長い長い眠りを経て復活していた。


 厨二病が治った事は本人にとっても柊仁と関わる者にとっても良い。であるが、今まで仕出かした事が羞恥と後悔という形で柊仁の心に大きな傷をつけた。

 痛みはないが、それはそれは恥ずかしい感情が湧き水のように湧き出る、今直ぐにでも埋めてしまいたい気持ちで一杯であった。


「って、湊さん。目を覚まされたのですね」

「はい。先程、目を覚ましました。今日は何日でしょうか」


 事故ったせいで入学式に出れなかった。これからリハビリはあるだろうけど、早く復帰して友達を作らないといけない。そうでないと中学の時の様に友達ゼロ人で卒業する事になってしまう。

 それだけは絶対に阻止したかった。小中で二回、一年生になったけど、友達百人出来た試しがないんだけど。作詞者さん、なんで?


「えーっと、今日は五月の五日です」

「ん?もう一回、言ってもらえますか」


 今、何か恐ろしい日付が聞こえた気がする。冗談じゃなかったら、本当に友達ゼロ人で卒業が実現してしまう可能性があるが──


「聞こえなかったんですか?事故のせいで聴力の方にも影響が……?」

「聞こえました、耳は正常です。ただ、自分の耳を信じられないのでもう一度お願いします」

「ああ、なるほど。今日は五月五日、子供の日です。つまり、湊さんは約一ヶ月の間、そのベットの上でお眠りになられていたのですよ。因みにその間、お世話をさせて頂いていたのが私です」


 ドン、と白いナース服の上から大きいとは口が裂けても言えない胸板を叩いて、自信満々に微笑んだ白井さん。と言うか、口が裂けても言えないって、そもそも口が裂けている状態で言葉を発せられるのだろうか……。

 そんなどうでも良い事は置いといて、面倒を見てくれたのなら状態について詳しいだろうと思って、俺は白井さんから何故一ヶ月も眠ったままだったのかを聞いた。


 俺は遷延性何たらかんたらという、所謂植物状態になりかけの一歩手前の状況だったらしい。


 もしもなっていたら意思を持たぬ器だけ人間が完成していたかもしれない、更にもっと酷ければ脳死と聞いて肝が冷えた。確実なる死が直ぐそこにあったのだから。

 よく考えて動けよな、あの時の俺ぇ。


 ただ、奇跡的なまでの回復力を見せた俺の身体はリハビリは必要であるが、直ぐに高校に行けるようになるそうだ。

 正直言って、一ヶ月遅れで登校して既に出来ているグループの中に入るのは恐ろしいほどキツいと思う。だから、早かろうが遅かろうがあまり関係ない気がするけれど、出席数の問題もある。流石に進級出来ないのはまずい。


「──とまあ、こんな感じでしょうか」

「ありがとうございます。あと、一つお願いが──窓を開けてもらえますか」

「分かりました」


 白井さんはガチャリと鍵を開けて、窓を半分ほど開けた。

 すると、春の柔らかく暖かい空気とは少し違った、夏に向けて暑さを少し蓄えて、少し重くなった空気が差し込んできた。


「すーー、はあ」


 深呼吸をすると生温さを積んだ重さとは裏腹に新緑の心地よい匂いが鼻を抜けて行く。入学式の朝に感じた春の花々の香りとは違うことに今更ながら、自分が長い間眠っていたことに気付かされる。

 自分が気づかない間に一年の十二分の一が過ぎてしまったのだ。長い長い人生で考えれば一ヶ月なんてひと時でしかないのだろうけれど、今の俺にはとても長い様に思えた。


「なんだかとっても大人みたいですね。窓を開けてくれ、だなんて言われて何をするのかと思いきや深呼吸をするなんて」


 ふふふ、と柔和に笑う白井さんは俺を揶揄っているのか、本心なのかが読めない。

 ただ、普通の高校生らしくない、と暗に言われた様で俺は無性にムズムズした。


「昔から癖なんですよ。ちゅうに……」


 って、あっぶな。なに、素直に言おうとしてるの俺ッ! あの暗黒時代に思った事は全て口にしていた所為で、お口のチャックの噛み合わせが悪くなったんじゃないのぉぉ? しっかり守ってくれや、その過去はてめえの恥部なんだぞ。

 まあ、百歩譲って白井さんにバレるのは良い。何故ならこの先、もう会う事はないだろうから。ただ、高校でカミングアウトしてみろ、一気にクラスの晒し者。出来るかもしれない友は離れていき、皆んな少し引き気味にこう言うんだ。


──「厨二病だったなんて、草」「マジ?!厨二病だったなんてウケる」


 ってな。そして俺の周りに近寄らなくなっていき、またもや俺はぼっちに……。

 それだけは避けねばならない、何としてでも。


「ちゅうに……、何ですか?」

「ん? ええええっと、にゅうに、中二……そう、中ニの時の修学旅行で吸った京都の空気が忘れられなくて!」


 よし、良い嘘を思い付けた。本当は中三で修学旅行だったし東京だったけれど……。

 まあ、厨二病について隠せるのならそれでいい。


「へー、珍しいね。中学二年で修学旅行だなんて。私の頃は中学三年の春に行くのが当たり前、みたいな感じだったけど」


 白井さん、何歳なんだ……。中学を卒業してからあまり経っている様には見えないけれど。なんて言うかこう見た目が幼い。

 多分、低めの身長と小動物の様なクリッとした目がそう思わせるのだろうが……とても幼く感じる。


「──あっ、朝礼に間に合わなくなっちゃう。行かないと」

「白井さん、夜勤だったんですか?」

「はい。私、夜勤好きなんですよね」

「夜勤が好きだなんて大分珍しい……ですよね?」


 うんうん、と頷いている白井さんはますます小動物の様で愛くるしかった。

 一般的に夜勤というのはキツく、嫌なものであるという印象だが……目の前の白井さんからはそんな様子は感じられない。


「何故か好きなんですよね、夜勤。他の皆さんは嫌だと口を揃えて言うので、私が変わっているだけなんですよね。……ってまずいまずい、時間が」

「ああ、お忙しいのに長々とすみません。お仕事、お疲れ様でした」

「はい!」


 そう言うとパタパタと部屋を出て行った白井さん。

 その去って行く背を見ている俺の気分はとても明るかった。


「白井さん、凄いなあ。仕事の疲れもあるだろうにあんなに元気で」


 多分、目を覚ました時に初めて会ったのが白井さんではなかったら、あんなに優しくて柔らかく温かい看護師の人は来なかっただろう。

 白井さんでなかったら僕は絶望のどん底に落っこちていて、今の僕の気持ちはこんなにも晴れてはいかなったのだろう。彼女の元気は素晴らしく他人を元気に出来る。

 きっと、将来の夢を見つける子供は彼女の様な人に会う事で真の夢を見つけられるのだと思う。まあ、俺が看護師を目指す未来は万に一つとしてないのだけれど。


「俺の進路もどうするかな……」


 厨二病を発症して、自分はピリオドセイヴァーだと必死に思い込んで生きていた。当然、やりたい事なんて考えたこともないし、思いつかない。中学の時だって、碌な進路希望書を書いた覚えがない。


「俺の人生、どうなるのかなぁ」


 こうして頭を悩ませている間も、小鳥達は何の悩みもなくチュンチュンと鳴いている。

 いや、もしかしたら、小鳥にだって悩みの一つや二つあるのだろうけど。今は俺の愚痴に付き合ってくれや。

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