第3話 愛情の欠片

 家に入ってから、わたしは部屋の中を探索してまわった。

 一室のチェストを見たときに、頭に優しい声が蘇る。


「いいですか、お嬢さまがここを出る時には、絶対にこの引き出しにあるものを持って行くのですよ。お嬢さまのものですからね」


 右上の引き出しを触りながら、ばあやは事あるごとに言っていた。引き出しの中を見たことはないけれど。

 いささか緊張しながらも、引き出しを開ける。わたしでも覗ける高さだ。中には幼稚園児が斜めがけするようなマチのあるかばんがあった。引き出しから取り出してみる。深緑の柔らかい革製のバッグだ。蓋部分の革を持ち上げてみると、中は真っ暗だった。黒い布地だったとかではなく、底知れない真っ暗な闇だったのだ。


「何これ」


 恐る恐る手を入れてみると、ポンという軽快な音とともにダイアログボックスのようなものが現れた。後ろが透けている。そこには文字が羅列してあった。ローマ字に飾りをしこたまつけたような文字でわたしには読むことができない。


「読めないんですけど」


 思わず口にするとまたポンという軽快な音がした。


「リストを表示しています。読み上げますか?」


 わたしは持っていたバッグを落とした。

 いや、目の前のバッグがしゃべったような気がしたのだが、そんなことあるわけない。わたしは周囲を見渡す。辺りはシンとした静けさがあるだけだ。


「バッグがしゃべるわけないし……」


「リストを読み上げますか?」


 やっぱりこのバッグから声が聞こえる。

 わたしはしゃがみ込み、恐る恐る指でバッグを突っついてみた。


「私は高性能アイテム、妖精の粉をふんだんに使って生成されたバッグです。マスターが読めないとおっしゃるので口頭でお伝えしようと思いましたが、リストアップの方がよろしいですか?」


 ごくんと唾を飲み込む。


「あなたがしゃべっているのね」


「はい、私は高性能アイテム、妖精の粉をふんだんに使って生成されたバッグです」


「マスターとはわたしのこと?」


「お嬢さま、お嬢さまは私の保有者、つまりマスターです」


 これマジックバッグとかいうやつだよね。ここって、つまり、そう、異世界なんだ。ファンタジーなんだ。それはそれで心躍る展開だが、如何せん頭がついていかない。


「そう、じゃぁ、リストを読み上げてもらえる?」


「はい、マスター」


「金版3個、銀版5個、銅板50個、金貨50枚、銀貨50枚、銅貨200枚、青貨50枚、ターフェアイト1個、グランディディエライト1個、ダイヤモンド3個、サファイア2個、ルビー5個、エメラルド7個、アレキサンドライト3個、水、火付け石5個、ナイフ、魔石30個、カンテラ、テント、シュラフ、毛布ーーー」


「あのぉ」


「はい、マスター」


「あとどれくらいでしょう?」


「5分の4ほど残っております」


「あ、そこまででいいです。ありがとうございます」


「とんでもない」


 弾んだ声音でそう言った。

 覚えられないし、なんかいろいろ入っていることはわかった。最初に言ってたのは多分お金だ。貨幣の価値は全くわからないが、たくさんという印象を受けた。それから宝石類だよね、多分。高価そうなものだった。


「あの、見かけはコンパクトですが、中にそんなに入っているんですか?」


「はい、高性能ですので、世界丸ごとなどでない限りは入れることが可能です。あ、生き物は入れられません。時を停止させていますので」


 多分、顔があったらドヤ顔を決めている気がする。

 なんか、とにかく、いっぱい入っていることがわかったし、時間停止って素晴らしい機能付きだ。食べ物入れても腐らないってことだよね。


 高性能だし、高価な物がいっぱい入っているし、これ、落としたら大変だ。

 わたしはバッグを手元に引き寄せ、膝の上にのせてぎゅーっと抱きしめた。


 恐らく、これはばあやの愛情の欠片だから。


「マスター、私はどう扱われても痛くはありませんが、どうされました? 何か不安が?」


 話もしてくれるなんて、本当に高性能だ。


「話し相手になってくれるなんて、本当に高性能だね。他にも何かできるの?」


「大したことではありませんが、私のマスターはお嬢さまだけ、お嬢さまに呼ばれればいつでも参上いたします。リストアップや私の声はお嬢さましか聞くことができません。マスター以外には普通のバッグです」


 すごっ。わたしだけしか使えないアイテムになっているんだ。それも呼べば来るって完璧じゃない。


「私は学習し続けるバッグです。マスターの意を汲み、マスターが心地よく生活できるよう尽力致します」


「ありがとう」


 わたしはバッグを斜めがけしてみた。腰のところにバッグがきてサイズ的にもいい感じだ。


 他の引き出しを開けてまわる。良さげなものはバッグの中に入れてみた。とば口より明らかに大きいものでも、バッグちゃんに頼めば消えて中に収納されているみたいだ。


 ばあやはわたしがここを出て行くことを予想していた。そしてその時、自分が一緒ではないと。何を思っていたのか、何があったのかは謎なままだが、これはばあやのくれた愛情だと思う。わたしは嫌われてなかった。だから、せめて、ばあやには捨てられたんじゃないといいと思う。そこまではわからないんだけどね。ただ、これを機にわたしは出て行くのがいいと思う。


 どんな事情かわからないけれど、わたしは親身になり面倒をみる親はいなくて、代わりにばあやが育ててくれたんだと思う。お金だけは払われていたのかな。ばあやは、なるべく質素に暮らし貯めたお金をわたしに残してくれたんだ。わたしがひとりでも生きていけるように。


 この家のものを持ち出してばあやが困ったことにならないか考えた。このバッグはわたし仕様にしてくれたのもばあやだろうし問題はないはずだ。でも根こそぎとかはまずいかもしれないから、複数あるものとかをいただいていくことにしよう。


 でも途中で疲れてしまって、ちょっと休もうとベッドに潜り込んだら起き上がれなくなった。熱が出てるなーと人ごとのように思い、そして物理的に日が暮れたら真っ暗になり行動しづらくなった。

 カンテラも火打ち石もバッグの中にあったと思うが、面倒なのでそのままでいた。ベッドの横においたお水入りの瓶をありがたく思いながら一口飲む。ゾクゾクする寒気を遠くにやりたくて、目を閉じわたしは思い出そうと集中した。あまり効果はなく思い出せたことも少なかった。顔だけは熱いが寒いのは相変わらず。


 うとうとしては目が覚めてを繰り返した。

 わたしは大人の記憶を持っている。だから冷静であろうとするが、今の自分に感情を引っ張られがちなのを感じる。距離を持って自分を客観的に見ているつもりなのに。わたしはばあやが来てくれることを祈るように待っていたみたいだ。やがて夜が明け、けれどいつもの時間が過ぎてもドアは開かず、わたしは熱で潤んだ目でやっぱりドアをみつめていた。



「チビ! おい、チビ!」


 揺すられて目が覚める。わたしを軽く揺すっていたのはカイだった。


「……カイ?」


「……お前。勝手に入って悪い。呼んだんだけど。ほんとにお前ひとりなんだな」


 おでこに手がのせられる。冷たくて気持ちいい。


「お前、昨日、足、消毒したか?」


 消毒? わたしは横に首を振る。うっ、頭を揺すったら気分が……。


「おい、ポーションのありかわかるか?」


 ポーション? うわっ、異世界っぽい。


「……知あない」


 声が出しにくくて話しにくい。

 カイはくるりとわたしに背を向けてドアを出ていく。じーっとみつめていると、やがてそのドアは開く。ラムネみたいな瓶を持って入ってきたのはカイだ。


 涙がでた。

 開いた時には、カイだと頭ではわかっていた。カイの顔がのぞいて、やっぱりと思った。ありがたいのに、少しがっかりしたことが申し訳なくて、やっぱりばあやは来ないんだと思い知らされて。


「何、泣いてんだよ。傷口から悪いもんが入って熱出ただけだ。そんくらいなら、消毒にポーションかけて、ちょっと飲めば治るから」


 ベッドに腰掛けるようにして、わたしの肩に腕を回して引き起こす。ラムネの上の栓を抜き、わたしに飲ませたいようだ。二口ほど口に含む。味もラムネみたいだ。


 カイは上掛けをめくる。そして上着を脱いでそれをわたしの足の下にひいて、ラムネの瓶の液体を足の裏に振りかけた。シュワシュワっと足の裏に小さな刺激を感じる。


 あれ? 疲れというか倦怠感はあるけれど、熱がひいていくのを感じる。

 顔に熱がこもりむくんだような不快感もなくなった。

 何これ、すごっ。


「大丈夫か?」


「すごい、熱下がった」


 わたしが感動していると、カイが冷ややかにわたしを見る。


「初めてじゃないよな、ポーション飲むの? お前の家にあったものだし」


「初めて飲んだ(多分)」


「え? まあ、5歳は過ぎてんだろ、なら飲み過ぎなきゃ悪いこともないから大丈夫だ」


 カイは自分に言い聞かせるように何度か頷いていた。

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