第2話 ご馳走のお水
ダメだ、喉渇いた。集中できない。わたしはトテトテと廊下を歩いて、外へと続くドアを押した。ばあやがここから出て行くのを知っていた。ばあや、そうだ、いつもばあやが世話をしてくれていた。
ドアノブは相変わらず高いところにあり、ドアを押すのは大変重たかったが、なんとか外に転がり出た。
暖かい陽の光が小さな庭に降り注いでいる。足の裏の土の感触が少し楽しい。庭はちょっとした野菜やハーブが植えられていて、いくつかはもう食べられそうに実っている。
わたしは好奇心ままに庭を横切り門まで行ってみる。外から和錠みたいのがかかっていて、こちらからでは何もできなさそうだった。ふと横を見ると、垣根の下に隙間がある。今のわたしだったら通れそうな気がした。
わたしは垣根に頭を突っ込んで、腹這いになり、うんしょっと進んでみる。先が段差になっていて一気に低くなったので、まさに転がり落ちた。
びっくりして放心していると、声がかかる。
「大丈夫? 怪我はない?」
見上げれば、けぶる様な金髪に紫色の瞳の少年だった。
目が合うと少年は、一瞬とても驚いたような顔をした。
口を少し開けて驚いた顔さえも天使みたい! 映画に出てきそうな、完成された美を持つ少年だった。
あまりの美しさに痛みも忘れ、ぽけーっと見惚れてしまった。
「君、ここの子? ひとりでお家を出てきて大丈夫なの?」
少年はわたしと家を見比べるようにする。
「誰もいないから」
「誰もいない?」
天使の少年の眉根が寄る。
あ! 人類に会えたんだ。聞いてしまおう。
「喉が渇いてるんだけど……このあたりに水はある?」
「水って、家の中に……」
天使の少年は思案顔になる。
天使くんは上着を脱いで、わたしの肩にかけてくれた。
「……向こうに共同井戸があるけど、行く?」
わたしは頷いた。
足音が聞こえた。息を弾ませながらやってきた、天使くんより少し小さな男の子は、わたしと天使くんを見比べる。それから天使くんに向かって首を傾げる。
「アル?」
アルと呼ばれた天使君は、彼を追ってきた少年にわたしのことを丸投げする。
「カイが井戸に連れて行ってくれるからね。ごめんね、僕はもう行かないといけないんだ」
「あ、上着」
上着を返そうとすると止められる。
「いいよ、いつかまた会えた時にいらなかったら返してくれれば」
男前だな。そうして『アル』を見送り、残されたのは不機嫌顔の紺色の髪の男の子だった。わたしを睨みつけてくる。
「お前、いくつだ? 名前は?」
「7歳」
「7歳?」
空の一番澄んだところを切り取ったような薄い青い目が大きくなった。
「名前は……」
えーと。記憶を探るが、今の名前は思い出せない。
「まぁ、いい。本当に井戸に行きたいのか?」
わたしは頷いた。でも、不機嫌そうだ。
「場所を教えて。ひとりで行ける」
彼は胡散臭そうにわたしを見る。
「お前、靴は?」
ああ、土のところはそうでもなかったけれど、道に下りたら足の裏がなんだか痛いと思っていたんだ。
「しゃあねぇな」
わたしに背を向けかがみ込む。『ほら』と手が後ろ手で招いている。おんぶしてくれるんだ……。
何この子、超絶いい子じゃない。子供に甘えるってどうなん?と思いながらも好意が嬉しくてわたしはおんぶしてもらうことを選んだ。
まだ少年なのに肩幅は案外広くて、とても安心できた。
「なんで井戸に行きたいんだ?」
「井戸というか、喉が渇いてお水が欲しいの」
「……家の水瓶に水がなくなったのか?」
「あるけど、いつのものか、わからない」
「家の人は?」
「いない。急に来なくなった」
少年の背中が温かいのと適度な振動とで、眠くなってくる。さっきまで眠っていたのになー。
その後も何か尋ねられたけれど、まぶたが重たくなってきて、わたしは眠ってしまったようだ。
「起きたか?」
目を開けると、さっきの少年が座り込んで何かをしていた。確か、名前はカイだ。
わたしは厚めの布の上に寝かされていたようだ。天使くんの上着とでサンドイッチしてもらったおかげで寒くもなかった。
「ここは?」
「俺たちの寝床だ」
すぐ横には布やら廃材を利用してテントみたいのが張られていた。
カイは火を熾していた。頼りない細い煙を生み出すところに息を吹きかけている。
また別の場所に、焚き火のセッテイングがされていた。大きなお皿みたいのの上に薪が置かれている。薪が組まれている中心部の下には木屑みたいのや、細い木の枝が置かれていた。
やがて火が見えるようになると、焚き火セットの中心に火種を放り込む。
そして薪を少し動かして水を入れたお鍋を火の上に置いた。お湯を沸かすみたいだ。
「お前コップも何も持ってねーだろ。どうやって井戸から水飲む気だったんだ? だからな、ここに連れてきた。水、沸かして〝飲める水〟にしてやっからちょっと待て」
わたしは頷く。
カイと呼ばれてた少年を観察する。まだ少年だ。服は長い間愛用しているものっぽいけれど、そんなに汚れてはいない。
「何人ぐらいいるの?」
俺たちとカイは言った。仲間がいるんだろう。
「ん? 8人だ」
「子供だけで暮らしているの?」
「そうだ」
「何をして稼いでいるの?」
「頼まれることなんでもだ。靴を磨いたりもする」
そういう生き方もあるか!
あの家、ヤバイと思うんだよね。記憶がはっきりしていないが、立派な育児放棄な気がする。だとしたら、わたしはひとりで生きていく力をつけなくては。
「お前はダメだぞ」
なんで考えたことがわかるんだ?
「なんで?」
慌てて理由を尋ねる。
「ここはさ帰るところがないヤツが吹き溜まっているところなんだ。お前は家、あるだろう?」
そりゃ多分あるんだけど。
「それに女は外で眠るなんてダメだ」
! なんだかわたしはこのカイという少年に感動してしまった。
沸騰させ、お湯をコップに入れてくれる。欠けたところがあるからだろう『洗ってあるから汚くはない』と注釈が入る。
ふーふーと息を吹きかけて、冷めてからも時間をかけていっぱい話しながら一杯の水を飲む。今まで飲んだものの中で一番おいしい飲み物だった。彼がわたしのために、わたしのことを考えてご馳走してくれたものだからだろう。
ストリートチルドレン、決して余裕はないはずなのに、残りのお湯を瓶に入れて持って帰れと言ってくれた。
彼はまたおんぶでわたしを家まで送ってくれる。
わたしは一生懸命道を覚えておこうとしたが、かなり距離がありひとりでたどり着けるかというと怪しかった。
「ねぇ、さっきの場所はなんていうところ?」
「……どうしてだ?」
「瓶を返しに行くから」
カイが黙ってしまった。
「ねぇ」
「……俺が取りにくる」
わたしはカイの背中でにっと笑った。約束を取り付けた。カイともう一度会える。その時までにいろいろ決断して、準備しなくちゃ。やることが山のようにできた。
錠で封鎖されている門から入れないとわかると、わたしを持ち上げて垣根の上から中へと入れてくれた。
見送ろうとすると家の中に入るように言われて、わたしはノブに手をかけ思い切り引っ張って、半分だけ体を滑り込ませる。そしてドアを支えながらカイを見る。
「じゃあな」
ぶっきらぼうに言って彼は踵を返した。
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