第17話 ミルメコレオの巣

 長い長い沼地も終わり、ようやく対岸が見えてきた。


「……おいおい沼の次は山登りかよ」


 そこにあったのは見上げるほどの大きな岩山。いや、むしろ大きな岩壁だった。

 天高くそびえ立つ垂直な岩壁。少し近づいて見てみると、壁には無数の動く物体と複数の穴。


「げ、ミルメコレオ……」


 その正体はミルメコレオ。壁に開いた無数の穴から出入りし、せっせと土を運んでいる。

 また、いくつかの穴からはドボドボと排泄物が沼に流れ出ていた。

なるほど、こうやってこの沼が出来たってことか。

 セレナが小さく呟く。


「これが次のステージ……ミルメコレオの巣だ」


 年々広がり続ける死の森は、五百年前──ついに国を飲み込んだ。

 その国の名前はライカ王国。ミルメコレオはその国を丸ごと巣へと変えた。

 彼らは唾液で土を固め巣を作る習性がある。それまではゼロから土を積み上げ、巣を作っていた彼らであったが、死の森に飲み込まれたライカ王国を発見した彼らはこう考えた。

 この建物を土台にしよう。

 その後彼らは王国を囲うように土を固め、巣を建設。

 数百年の年月をかけ、国を丸ごと覆うほどの巣を完成させた。


 飛び交う虫たちが俺たちの姿を隠してくれているようで、ミルメコレオにはまだ見つかっていない。

 俺たちは慎重に岩壁に近づいて行く。

 セレナは虫の羽音に紛れさすように小さく囁く。


「ミルメコレオの巣。内部は複雑に入り組んでおり、毎日のように道が変わる」


「毎日道が変わるって、そんな迷路どうやって攻略すればいいのよ」


 アーニャが返すと、セレナは一つの穴を指さした。

 俺たちの進行方向。ドボドボとミルメコレオの糞尿が流れ出ている穴がある。

 すごく嫌な予感がする……。


「変わるのはミルメコレオが作った道だけだ。過去にライカ王国で使われていた下水道。この道だけは変わらない」


 セレナはミルメコレオに悟られないように静かに穴に入る。やっぱりそうだ! このうんこの源流を遡らなくちゃいけないんだ!

 俺も続いて入る。最後に嫌な顔をしたアーニャが入ったところでセレナは言った。


「この地下道をミルメコレオに会わないように祈りながら進む。これがこのステージの唯一の攻略法だ」


「ううううっ……まだうんこが続くのね」


 心底嫌そうな顔のアーニャ。俺はそれよりもある言葉が気になった。


「ちょっと待て! 祈る!? もしミルメコレオと出会ったらどうなるんだよ!」


「死ぬ」

 〇

 糞尿が流れる下水道。

 壁面には発光する苔が生えており、うっすらと道を照らしている。

 また、中は思ったより広く、三人が横に並んで歩けるくらいの広さがあった。

 そんな下水道を俺たちは音を立てないように慎重に、しかし、出来るだけ早く進む。


 少し進んだところで虫はいなくなり、アーニャは喜んでいたが、ここでまた別のストレスに俺たちは襲われる。

 いつ、どこからミルメコレオに襲われるかわからない恐怖。

 これが相当キツイ。


 下水道は入り組んでおり、分かれ道や曲がり角が多い。

 そこにぶつかるたびに、もしかしたらあの角にミルメコレオがいるんじゃないかとドキドキしてしまう。


 セレナが祈りながら進むと言っていた意味がわかった。

 いつの間にか俺は手をギュッと握り、ミルメコレオが現れないようにと祈りながら進んでいた。

 そして運よくミルメコレオに出会わないまま進み、数十分が経った。


「こっちだ」


 薄暗い下水道の中。セレナは地図を手にしながら先導する。

 今日何度目かの曲がり角を曲がったところだ。

 最初の内は曲がるたびにミルメコレオがいるんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、流石に慣れてきてしまった。

 そう思っていたのは俺だけじゃなかったようで。アーニャが口を開いた。


「ねぇ、身体を洗いたいんだけど」


(うへぇ~ちょっとキレてるじゃん)


 うんこまみれのまま半日以上行群し、ついにストレスが爆発したって感じだ。

 なんでそんなことが分かるかって? 俺もそうだからだよ! 身体洗いてえよ!

 しかし、セレナは振り返りもせずに言い捨てる。


「無理だ。そんな時間はない」


 一向に歩みを止める様子のないセレナ。アーニャは再び話しかける。


「大丈夫よ。だってこれだけ進んでもミルメコレオに出会わないのよ? きっとあいつらもこんな臭い所来たくないのよ」


「たまたま出会っていないだけだ」


 セレナはそう言って会話を終わらせるが……。


「いや、俺もアーニャに同感だ」


 俺参戦!


「せめて手だけでも洗い流したい。それなら数分で終わるだろ?」


 俺はそう言って自分の両手を見た。

 べっとりと茶色く汚れている両手。匂いも酷い。こんな手でうっかり目でも触ってしまったら速攻で感染症にかかること間違いない。

 セレナのマジックバックの中に水が入っているはずだ。それで洗い流したい。


「だめだその時間がもったいない」


 ……。

 はぁ~!?


「ほんの数分だぞ!? 手を洗うくらいいいだろ!」

「だめだ」

「なんでダメなんだよ! このままの方が危険だろ! 絶対に病気になる!」

「そうよ! もうこの臭い限界なのよ!」

「だめだ」

「おい、いい加減理由くらい──」


 セレナの肩を掴み、強引に振り向かせようとした時。その肩が震えていることに気づいた。


「お前……」


 そこにいたのは凛とした女騎士ではなく、恐怖に顔を歪ませる一人の少女。

 唇を震わせながら彼女は語り出した。


「きっ……貴様らはここの怖さをわかってないからそう言えるんだ」

 〇

 エアリス国騎士団長セレナ率いる五百人の兵士。

 それが、今回死の森へと挑んだ人の数だという。


「まずは巨大昆虫の森で三百死んだ」


 セレナは辛そうに答える。

 五分の三が死に、ようやく巨大昆虫の森を突破。これでも幸運な方なのだと言う。

 出会ったモンスターによっては全滅もあり得たらしい。


「そしてミルメコレオの巣……ここで二百人死んだ」


 ほんの数分負傷した兵士を治療するため立ち止まった時だったらしい。

 徘徊するミルメコレオに遭遇。気づけば数百を超えるミルメコレオに囲まれ、兵士達は全滅。

 なんとか逃げ延びたセレナだけが唯一次の毒の沼地へと進むことが出来たらしい。

 セレナは恐怖で呂律が回っていなかった。


「しょっ……正直。私も今なぜ見つかっていないのか全く分からない。きっ……奇跡なんだ。立ち止まることでこの奇跡が終わってしまう気がする」


 もう俺たちはなにも言えなかった。

 祈りの道はまだまだ続き、足元にも変化が出てきた。

 流れていた糞尿はいつの間にか消え、古びた石畳に。

 道幅も狭くなった。今や人一人分の幅しかない。


 所々横穴が空いており、ミルメコレオの掘った穴と繋がっていた。

 奇跡はここで終わる。


「次はこっちだ」


 曲がり角を左に曲がった時。そこには三体のミルメコレオがいた。


「……終わったな」


 先導するセレナがだらんと腕を落とし、脱力したのが印象的だった。


『ガオ!』


 短く吠えるミルメコレオ。同時に後方から声が聞こえた。


「こんなところで終わるわけないじゃない!」


 振り向くと魔力で身体能力を強化しているアーニャ。淡く身体が光っている。

 しかし、その後ろには。


(ミルメコレオ!)


「後ろ!」と、叫ぶ前にすべてが終わっていた。

 アーニャの首元に噛みつくミルメコレオ。身体強化が解けたのか体の光が消える。

 生暖かい風が首筋をなでた。振り返るとそこには大きな口を開けているミルメコレオ。


 視界の端にセレナが映った。首筋を噛まれ、子猫みたいに持ち上げられている。

 そして俺も同じように……。

 ミルメコレオは俺の首に噛み付いた。

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