第14話 沼


 触手の森を抜けた先は青々とした広葉樹林が茂る森だった。

 ちらほらとミルメコレオの影は見えたが、地面に座り、ジッとしているだけ。

 恐らくこの近辺のミルメコレオは触手の森を渡ることしか考えていないのだろう。


「だから、ここでキャンプにしよう。ここが最後のセーフティーエリアだ」


 と、セレナはマジックバックからテントを取りだした。

 手早くテントを設置し、赤い砂(炎の魔石を砕いたものらしい)を枯れ木に振りかけ、火を起こす。

 そして……。


「異世界人の口に合うといいのだが……」


 と、パンや瓶詰めの肉や野菜、水が入った樽や小さめの鍋を取りだした。


「やったー! 飯だー!」


 食材を見た瞬間。ググウと腹の虫がなる! そういえば俺ここ三日くらいまともな食事してなかった!

 待てと言われた犬みたいによだれをたらして待つ俺を横目に、セレナは鍋を火にかける。


 そして瓶の中に入った肉や野菜を取りだし、炒め始めた。

 ジュワ~っと肉が焼ける音が響き、同時になんとも美味しそうな香りが……。


「クッサ!」


 しなかった!

 代わりに漂ってきたのは、公衆便所と動物園が混じったような汚臭!

 咳き込んでいる俺に、セレナは悲しそうに呟いた。


「すまないな……これが私の国の伝統食なんだ……」


「あんた失礼でしょ。せっかく料理を分けてもらうのに」


 と、アーニャに睨まれる。

 瞬間。俺は自分の愚かさに気づき、即座に謝った。


「ごめんね!」


 多分これ俺たちでいうところの納豆みたいな料理だ。

 そんな伝統食に対して俺はなんて無礼なことをしてしまったんだろう。


 今のセレナを例えるなら、腹が減ってる外人に納豆出してやったのに「くっさいデース!」とか言われて、馬鹿にされている状況だ。

 俺だったら殺したくなるほどムカつく! 今俺はそれと全く同じことをしてしまったのだ。


 猛省。反省を超えて猛省である。

 セレナは気まずそうに焼いた肉と野菜をパンにはさむと、俺に渡してきた。


「……よかったら食べてくれ」


「あっ……ありがとう」


 明らかに腐っている肉を挟んだサンドウィッチ。俺は顔を引きつらせながら受け取った。

 腹は減っているんだが、この匂い……脳が食べ物ではないと危険信号を出し、どうしてもサンドウィッチが口に向わない。

 しかし、せっかく作って貰った以上食べないわけにはいかない。

 そして俺は意を決しサンドウィッチにかぶりつき……。


(ウオエ! 公衆便所食ってるみてえだ!)


 噛んだ瞬間口の中にブワっと広がる数年は掃除していない公衆便所の香り。

 遅れて濃縮された動物園の匂いが到着した。。

 そして……。


「うっま! なにこれ! うっま!」


 その後に来たのは強烈な旨味。

 セレナはガツガツとサンドウィッチを頬張る俺を見て、微笑んだ。


「ふふ、美味いだろう?」


「うん!」


 セレナは自分用のサンドウィッチを食べながら言う。


「先はまだ長い。ここで夜を過ごし、翌朝から行動しよう」


 先……。そうか、森の外からきたセレナは出口までの距離を知ってるんだ。


「先ってこの森どこまで続くんだ?」


 セレナは静かに答えた。


「あと三層。少なくともこれから私たちは、あと三回、地獄を攻略しなければいけない」

 〇

「沼地。ミルメコレオの巣。巨大昆虫の森。この森から脱出するにあたってこれから私たちが通らなければいけないルートだ」


 サンドウィッチを食べ終えると、セレナは木の棒で地面に簡単な地図を描き始めた。

 地面には、現在地→沼地→ミルメコレオの巣→巨大昆虫の森と、矢印が描かれている。


 セレナは顔を歪ませながら話し始めた。


「この沼地……まさに地獄だった」


セレナが言った沼地。その正体はミルメコレオの排泄物が集まった場所らしい。

ミルメコレオは排泄物を巣の外に捨てる習性があるらしく、長い年月をかけて捨てられた大量の排泄物は、その土地を汚泥の沼地へと変えた。

そこは耐え難い臭気を放つ汚泥の沼。


「まさにあれは見渡す限りの肥溜め……思い出すだけでも……うっ……オエエエエエ!」


「うわっ! 大丈夫かよ!」


「ちょっと大丈夫!?」


 セレナは言い終わると共に吐き出してしまった。

 おいおいおいおいマジか……そんなに気色悪い所を通らなくちゃいけないのかよ。


「なあ、他のルートを通ることは出来ないのか?」


 俺はセレナの背中をさすりながら言ったが、セレナはうつ伏したまま首を横に振った。


「むっ……無理だ……そのルート以外を通れば大量のミルメコレオ達と戦うことになる……」


「うっ……確かにそれは無理だな……」


(ミルメコレオ達と戦うことになるくらいなら多少臭くてもその沼地を渡った方がいいか)


 と、この時はまだこの程度にしか沼地のことを考えていなかった。

 〇

 次の日。

 夜を明かした俺たちは、この先にあるという沼地に向って歩いていた。

 一時間程歩いた時だろうか、プ~ンと嫌な臭いがあたりに充満してきた。


「……恭也もしかして漏らした?」


「漏らしてねえよ!」


 そして、数分後。


「ぬっ……ぐっ……ここが例の沼地……だ」


「オエエエエエ! くっせええええ!」


「キャアアアア! 私無理! 絶対無理! ここ通るくらいなら死ぬ!」


 開けた森の先に突如現れたのは、茶色い海! というか、バカでかい肥溜め!

 ドロリとした水面には人糞のような固形物がプカプカと浮かび、そこには大量の蛆虫のような白い虫。

 俺たちが叫んだせいだろうか、水面が揺れた瞬間。一斉に水面から小さな虫が飛び上がった。


 何億、何兆という虫だ。一気に視界は真っ黒になり、体中に、顔中に虫が張り付く。


「ああ……むり……」


 あまりの気持ち悪さに気絶してしまうアーニャ。

 というか俺も……。


「うっ……オエエエエエエ!」


 そのグロテスクな光景、そして耐え難い悪臭にリバースしてしまう。

 ビチャビチャと地面に昨日食べたサンドウィッチが落ち、そこにすかさず小さな虫たちがたかってくる。……キモすぎる!

 セレナは、気絶したアーニャを抱きかかえながら俺たちに言った。


「……一旦下がろう。この光景と臭いになれるのには時間が掛かる」


「下がろう下がろう! 無理無理無理無理!」


 そう答えた時だった。


「カハッ!」


 っと、気絶したままのアーニャが吐血した。


「アーニャ!? ガハッ……って、マジかよ……俺も?」


 そして続いて俺も。


「なっ!? 二人ともどうしたんだ!?」


 理由はすぐに分かった。


「おいセレナ……この臭い……これ毒ガスじゃねえの?」


 臭すぎて、あまりにも臭すぎて今まで気づかなかったが、呼吸をするたびに鼻の粘膜や、のどの粘膜が痛みを発する。

 肺が痛い。血の臭いがする。


「くっ……そうか……私は毒に耐性があるから……」


 そう言って狼狽えるセレナ。

 そう。触手の時もそうだったように、彼女は毒に対して耐性がある。

だからこそ気づかなかったのだ。

 この沼地の真の姿に。


「この沼地は……毒の沼地だ……」

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