第8話 ゲート
それから数か月後。
アーニャの言っていた仮説は正しく、結界の外に出ても虹蛇に襲われることはなかった。
大きな音を出したり触れたりしなければ奴らは俺に気づかない。
虹蛇が狩りに出ている隙に巣に忍び込めば卵が採り放題になった。
結界の外に出れるようになった恩恵はそれだけではなかった。
結界の外は特殊な植物の宝庫だったのである。
樹液の代わりに油が流れている木や、煮込むと鳥ガラの出汁が出る葉っぱ。
元の世界の食料や調味料の代替品になる植物が大量にあった。
特に米の代わりになるイネ科の植物や、岩塩を見つけた時は小躍りしたものだ。
いくつかの植物は家の周りに植え、いつでも採取できるようにしている。
そして俺たちの食生活は大きく変わり……。
「アーニャー! 今日はチャーハンだぞー!」
「チャーハン!? わーい!」
食卓の上にはパラパラチャーハンに中華風卵スープ。デザートにプリン。
朝からこんな豪勢な食事ができるようになった。
豆とキノコしか食べてなかった頃が懐かしく感じるぜ。
「うん! 今日も美味しいわ! また料理のレパートリーが増えたんじゃない!?」
「へへっ。もう既に五十種類は超えたぜ」
鼻の下を擦りながらちょっとだけ自慢。この数か月で料理が趣味になってしまった。
今では空気豆と岩塩で味噌を作れないかと試行錯誤中だ。出来たらもっと料理の幅が増えるぞぉ!
「アーニャーそろそろ結界の外に行くぞ~」
「は~い」
食事が終わると俺は大きな籠を背負ってアーニャは鍋を持って湖と森の境界線へ行く。
背負っている籠がいっぱいになるまで食材を入手したら中からアーニャに水をかけて貰い帰還するのだ。
「気を付けてね~恭也~!」
「あいよ~」
数か月前は足が震えるほど怖かった結界の外も今ではこれだ。
もはやコンビニ感覚で俺は結界の外に出た。
〇
「おっ、ラッキー。この巣の虹蛇留守にしてんじゃん」
数十分程歩くと、丁度狩りに出かけている虹蛇の巣を見つけた。卵の無料販売所だ。
卵は一、二……三つある。
俺はその中の卵を一つ拝借すると、背負っている籠の中に入れた。
全部取ってしまうと可哀そうだしな。食べる分だけ貰うのさ。
後は適当に食べれる植物でも採って帰ろうと、うじゃうじゃいる虹蛇たちを避けながら散策していると……。
『グルル』
と獣の唸り声が聞こえてきた。
「おっと、危ない危ない。もうこんなところまで来ちまったのか」
上を見ると、木の上でライオン蟻が威嚇している姿。蟻のような足でしっかりと木にしがみつき、バナナもどきを咥えながら俺を睨んでいた。
「分かった分かった。これ以上そっちに行かないから」
そう言いながら一歩下がると、ライオン蟻は威嚇をやめて、バナナもどきに貪りつき始める。
虹蛇に見つからない俺がこの森を脱出出来ない理由がこれだ。
ライオン蟻──奴らには俺の姿が見えているのである。
前の森には、他にもライオン蟻が二~三匹。同じように木にしがみつきながらバナナもどきを食べている。
(はぁ……コイツ等さえいなければこの森から脱出できたのにな)
と、ため息をついた。
結界の外に出て分かったことがある。虹蛇たちは湖の周りにいるだけに過ぎなかった。
この森の真の支配者はライオン蟻だ。
奴らは湖の周りに生えている豊富な植物を食べに、深い森の奥からやってくる。
湖に近づけば近づくほど美味い植物が生えているが、近づきすぎれば虹蛇に食べられる。
その妥協点とも言えるボーダーラインがここ。
バナナもどきの群生地である。
ここのバナナもどきは家に生えているような青い皮ではなく、まだ熟していないバナナのように緑の皮をしている。
正直青臭くって美味くない。ライオン蟻もそれをわかっているのだろう。何匹かに一匹は果敢に虹蛇の群れの中に突撃していく。
そして……。
『ギャアオオオオ……』
どこかからライオン蟻の悲鳴が聞こえてきた。どこかのライオン蟻が欲張ってまたボーダーラインを超えたんだろう。
かわいそうに。この緑バナナもどきで我慢しとけばいいものを。
俺は心の中で死んだライオン蟻に合唱をしながら再び散策へと戻った。
〇
「アーニャー水かけて~」
バシャリ。
結界の中に戻ると、早速家に帰って戦利品を取りだした。
今日の成果は虹蛇の卵一個。胡椒の代わりになる草。岩塩。カニの味がする果物。それと食べれそうな木の実をいくつか。
なんか赤いし甘い匂いするから採ってきた。見た目はブルーベリーっぽい。
「ちょっとこれラチプの実じゃない!」
アーニャはその木の実を手に取ると興奮した様子で話しかけてきた。
目をキラキラさせてとっても嬉しそうだ。
「へぇ~これラチプの実って言うんだ。食べれんの?」
アーニャの反応的に食べれそうだと、一つつまんで食べようとした瞬間──
「やめなさい。下手したら死ぬわよ」
「え。おまっ! 先に言えよ!」
慌てて口から吐き出す。すると、口の中に違和感が……。
「うっ……おえっ! なんだこれ!? ……酒?」
違和感の正体は酒。アルコールの味が口いっぱいに広がっていた。
昔冷蔵庫にあった親の酒をとちょびっとだけ飲んだ時と一緒だ!
苦い! マズイ! なんで大人はこんなまずいものを飲んでいるんだ!
水で口の中を洗い流していると、アーニャが笑いながらこう言った。
「あはははは! バカねえ! このラチプの実はね? 水に溶かして飲むものなのよ」
アーニャはラチプの実をコップに入れるとクルクルとかき回し始める。
「ラチプの実は水に混ざるとお酒になるの」
徐々に赤くなっていくコップの中の水。それを見ながらアーニャは懐かしそうに言った。
「昔勇者をしてた頃は良く飲んでたわ~旅先で手に入る水なんてとても綺麗なものとは言えなかったからね。こうやってアルコールで菌を殺して飲んだのよ」
アーニャは出来上がったワインをグイっとうまそうに飲みこんだ。
「ぷっは~! ちなみに、そのまま飲み込んでたら胃液が全部お酒になって急性アルコール中毒で死んでたわよ? あはははははは! 私一回それで死にかけたの! あはははは!」
いや、秒速で酔っぱらってんじゃん。コイツ自分の話で笑ってるよ。
ゲラゲラと笑い続けるアーニャ。俺はちょっと引きながら今日見つけった取っておきのものを出した。
「あの~一応こんなのも見つけたんだけど……」
「あらやだ! 虹蛇の抜け殻!?」
最後に取り出したのは虹蛇の抜け殻。ラチプの実を採った時に見つけたんだ。
抜け殻なのに牛の皮くらい丈夫だし、これを使って何か作れないかと持ってきたんだ。
アーニャがキラキラした目で抜け殻を眺めながら感心してた。
「へぇ~実は透明の鱗だったのね……」
「そうそう。俺も見つけた時びっくりした」
虹蛇──その名の通り虹色に輝く鱗を持っていると思っていたが、実は違かった。
抜け殻をよく見ると鱗の一つ一つは透明なのだ。どうして虹色に見えるかというと、透明な鱗が光を乱反射させているから。まさしく空に浮かぶ虹と同じ原理で虹色に光っていたのだ。
その時。ジッと抜け殻を見ていたアーニャが突然叫んだ。
「ちょっとコレ光だけじゃなく魔力も乱反射させるじゃない!」
そう言うや否やアーニャは指先を青く光らせ、抜け殻の上を指でなぞっていった。
光る指で触った部分はその跡が残り、文字になる。
アーニャは今、抜け殻の上に魔法陣を描いているのだ。
「おっ……おいなにを……」
アーニャは一心不乱に魔法陣を描きながら答えた。
「……この魔力を乱反射させる性質……この上に魔法陣を描けば虹のように反射して……」
その瞬間──抜け殻の上に描いてあった魔法陣が光り出した。
そしてブオンっと音がしたかと思うと──
「くっ……空中に魔法陣が四重に……」
まるでSF映画に出てくるディスプレイのように空中に投影されている魔法陣。
アーニャが呟いた。
「繋がるわ」
バチンっと火花が飛び、魔法陣が回転し始める。
「うおおおお!」
魔法陣を中心として強烈な風があたりに吹き荒れた。思わず目をつぶりかけたその時……。
──ブォンと空間に穴が空いた。
ピンポン玉くらいの小さな穴。しかしその先には……。
「にっ……日本?」
穴の先に見えたのは大勢の人が行き来する姿。
渋谷のスクランブル交差点だった。
瞬間──ふっと消えてなくなる空間の穴。
少しの間。二人の間には沈黙が流れた。俺もアーニャも驚いた表情のまま固まっている。
初めに口を開いたのは俺。
「アーニャ……これって……」
アーニャはワナワナと唇を震わせながら言った。
「ええ……不完全だけど日本と繋がったわ……」
その言葉を聞いた瞬間一気に感情が爆発した。
「やったああああああ!」
「やったわあああああ!」
抱き合いながら喜ぶ俺たち。
「これってゲートの完成!? 完成!? 俺日本に帰れるの!?」
「いいえまだよ! でも完成に大きく近づいたわ! あとはあの穴を広げるだけよ!」
「もうすぐじゃん!」
アーニャ曰くまだまだらしいが、なによりも完成が見えてきたところが一番うれしい!
今まではいつ完成するかわからなかったから結構精神的にきつかった。
アーニャは虹蛇の抜け殻を拾いながら言った。
「これがもっと必要だわ。集めてきてくれるかしら?」
「もちろん!」
ようやくこの生活からの脱出が見えてきた。
虹蛇の抜け殻? そんなのいくらでも集めてきてやんよ!
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