12. 真相
「そもそも、おかしいんですよ」
小さく息を吐きながら、光田さんは博士の方をじっと見つめた。
「私はあの時、はっきりと見ました。巨大化しているシャパリュの肉体が銃弾を弾くほど強靭であるところを。それだけでも分かります。あの怪猫の肉体が、生半可な武器では通用しないほど特殊であることぐらい」
博士は黙り込んでいる。
「それに、どこから仕入れてきたのかも分からない、数多くの特殊武装。そして、眞柴という聞き慣れた苗字。違和感の覚えるピースばかりでした。そこで念の為、嘉部井さんにデータベースの調査をお願いしたのですが、ドンピシャだったというわけです」
「……何が言いたい」
「そう焦らないでください。話は終わっていません」
博士の問いに対し、淡々とした言葉を光田さんは返す。
「それでも、同姓である可能性を捨てきれなかった。ですが、先程の説明で全てはっきりしました。取って付けたかのような生物学上あり得ない器官、月城さんの過去、そして、あまりにも用意周到な武装の数々……あれほどの武装をたった三年で用意するなど、ただの生物研究者には金銭的にも技術的にも不可能です。それに、月城さん宅襲撃の時点で、あの強靭な肉体に刺さる麻酔銃を持っていた。まるで、この事態を事前に予測できていたのかのようですよね」
博士は、沈黙していた。
「それに、あなたは身体的性質や性格については詳細に解説していたのに、そもそも根本的なことは話してくれませんでしたね。あの怪猫は元々、あなたの研究施設から脱出したと仰っていましたが……一体どこで最初に発見し、捕獲したんですか?」
「……っ!」
僕はハッとした。
ふと気になって、真理ちゃんの表情を見る。しかし予想に反し、彼女はただ俯いて、何も言わなかった。まるで、自分の言葉や感情を押し殺しているかのように。
「……説明の必要がないから、言わなかっただけだ」
唇を震わせながら、博士は反抗する。
「そもそも……最初の捕獲場所など、どうでもよい。それが何の役に立つと──」
「いいえ、必要ですよ。そんなことを言うなんて、あなた本当に研究者ですか?」
余裕のない博士に対し、きっぱりと光田さんは答える。
「本来の生息地次第では、気温や環境も相手を打倒するトリガーとなり得ます。実際、生物の捕獲の際にそれらを活用する話は、専門外の人間でも分かる知識です。それに、他の研究資料や、ましてや子供の読むような図鑑にだって、対象の生息地は事細かく書いています。そんな常識的な情報を、あなたはこの資料にすら記していませんでしたね」
そう言って、博士が配った資料を指で二度軽く叩いた。
博士は歯軋りしていた。
「何か都合の悪いことがあるのではないですか? まあ、確かに記入が偶然にも抜けていた可能性も考えられますが、経歴を見てしまうと疑念を抱くのも仕方のないことなんです。せっかくなので、皆さんの前で読み上げようかと思います」
光田さんは、後ろの上司、嘉部井さんに「お願いします」と一言声をかけた。
僕は思った。そういえば、真理ちゃんはシャパリュについてある程度のことを教えてくれたのに、眞柴研究所が何たるかについては漠然としか教えてくれなかった。単純に伝え忘れたのか。それとも、彼女自信も知らされていなかったのか。
それに、これは流石に杞憂に過ぎないと思うが、車体に自分の名前を記したり、わざわざメガホンで挑発したりするほど自己主張の激しそうな博士が、自分の研究所について何も言及しないのは確かに違和感を覚える。流石に自分の実績の一つぐらいは披露するのではないだろうか。単純に急を要する事態だったからかもしれないけれど。
その疑問も、違和感も、今この場で明らかになろうとしていた。
光田さんの願い出に頷いた嘉部井さんは、一枚の書類を取り出し、はっきりとした声で読み上げた。
「眞柴盛継。三十五歳の時、非公認の研究所を設立。周辺の住人から『建物から動物の悲痛な悲鳴が聞こえる』、『腐乱臭がする』などの通報が多発し、警察が捜査したところ、犬や猫を始めとする動物を虐待、及び解体などといった手口で殺害していたことが判明。動物愛護管理法四十八条により一年の懲役が言い渡されていた。その後、当時の拠点を撤去、及び組織の解散がなされたと聞く」
「……っ」
「しかし三十年後、改めて蓋を開けてみたら未だ懲りていないときた。解散を偽装してこっそり活動を続けていたか、あるいは後日再結成を果たしたか。いずれにしろ、これが眞柴という男の嘘偽りない経歴だ。捜査ファイルに、こうして記録されているからな」
嘉部井さんはそう言って、右手に持つ書類を左の指で小突いた。
僕は、ショックのあまり、何も言えなかった。
当の本人──博士も黙している。
……図星で何も反抗できない、と言ったところか。
真理ちゃんも当然、何も言わない。
怖くて、その表情を窺えなかった。
取調室に、長く苦しい沈黙が走る。
汗の嫌な感触だけが、背中に張り付いていた。
「……私は悔しいんですよ。小動物を何匹も殺傷しておきながら、一年の懲役で済んでいたという事実が」
そんな沈黙を断ち切ったのは、光田さんの怒りを押し殺したような言葉だった。
「虐待が発覚したのは、今から約三十年前。当然、動物愛護法が改正されるかなり前です。当然、私は警察に所属するどころか生まれてすらいなかったので当時の状況を知らないわけですが、過去に真加部さんに話を聞いた瞬間、腸が煮えくり返るかと思いましたよ」
そうか、だから昔の事件なのに「見覚えがある」と言っていたのか。
見覚えがある、というより、憤怒のあまり頭に焼きついて離れなかったのだろう。
「前置きが長くなりましたね。ですが、心の猶予は十分に与えたと思います」
そう言って、真っ直ぐと博士の目を見据えて、光田さんは一息ついた。
その瞳からは、怒りの感情を感じない。
心を押し殺し、堂々と悪と向き合う、正義を貫く人間の目だった。
やがて、彼は再び口を開く。
「……もう一度問います。何故あなたはシャパリュを生み出したんですか?」
そして、最初にした問いを再び口にした。
それでも尚、博士は沈黙を貫いていた。また、この狭い空間に嫌な空気が流れる。
堪らなくなり、博士に発言を促そうと考えた。しかし、その雑念はすぐに振り払った。これは、第三者が介入するべき問題ではない。いや、正確に言うと完全な第三者ではない。けど、少なくとも僕が口を出すべきではない。そう察した。
「……多くの人間の命が懸かっているんです。自分の罪を認め、白状してください」
光田さんは問い詰める。博士はそれでも黙っていた。
「あなたのその動機から、シャパリュ打倒の糸口が見つかるかもしれないんです。あなたの同胞も多く犠牲になったはずです。だから──」
「だから何だと言うのだ!」
不意に、博士が両手で机を思い切り叩き、立ち上がる。
光田さんが「あなたの同胞も」と話し始めたところで、顔色を変えた。
「お前さんに我が研究所の何を知っていると言うのだ! 私が罪を白状したら、散っていった部下たちが蘇生すると言うのかね? ええ?」
博士は逆上して叫ぶ。
「ああ、そうだ! シャパリュを生み出したのはこの私だ! だが、こうなるとは誰も予想していなかった。全てイレギュラーだったのだ! 私は何も悪くない……無論、我が部下たちもだ!」
何を言っているのか、分からない。
この老人、開き直っている。責任から、逃れようとしている。
「我々、眞柴研究所の理念は究極の生物を生み出すことだ! あらゆる苦痛にも平気で耐え、どんな環境下においても何不自由なく生存できる生物を、だ! 現在、環境の変動や人間の身勝手により多くの生物が絶滅している。いつかこの惑星から全ての生物が消える可能性も考え得る。私の研究は、それを未然に防ぐための予防策に過ぎん! 私の部下たちは、そんな私のロマンに賛同してくれた同士なのだ!」
「……支離滅裂が過ぎます」
怒りを通り越して、心底呆れた様子で光田さんは溜息を吐く。
「そんな途方もなく遠い未来のために、目の前の命を犠牲にしたと言うのですか? 正直言って狂っていますよ、あなたは」
「ええい、うるさい! どう思われようとお前さんの勝手だ! 私は結果論を重視するタチでな。過去の実験体たちには申し訳ないが、これは未来をあるべき姿とするために必要な犠牲だったのだ! 理解しろなどとは言わん!」
光田さんのみならず、全員がその暴論に唖然としていた。
僕は、一瞬とはいえ、こんな狂った思考を持った人間の肩を持っていたというのか?
「しかし、アイツは……シャパリュは違った。ヤツは元々こうなるはずではなかったのだ。ネコ科の生物というのは実に優秀だ。百獣の王ライオン、密林の王者トラ、世界最速の哺乳類チーター……いずれも狩猟において極めて秀でた哺乳類だ。その上、ネコはイヌと比べ身体能力も高い。おまけに哺乳類であることから体内の改造が容易い。まさに理想の実験体だったのだ。特にシャパリュの元となるネコも優秀な個体でな。活きがよく知性も平均より高い。我が研究所随一の作品になるはずだった。しかし、予期せぬ事態により、全てが狂ってしまった。どういうわけか、ヤツに自我が芽生えたのだ」
博士は、机に置いたままの拳を握る。
「身体能力の向上と肉体の硬化を狙った人工臓器を取り付ける手術を終えて、数日が経った時のことだった。ヤツは突如身体を大きくし、ケージを強引に破壊した。部下たちの協力を得て捕らえようとしたものの、今度は身体をもとの大きさに縮小させ、本来の知性の高さと俊敏性を活かして反撃してきた。部下の多くは首元を掻かれ死んだ。そして、ヤツは道中で血を舐めながら、颯爽と研究所から脱走した。……あの泥棒猫は私の部下と、貴重な研究成果を奪っていったのだ」
博士は怒りを露わにしながら、震える声でそう言った。
その自白を受けて、光田さんは改めて博士の目を見た。
「……それがシャパリュ誕生の真相、というわけですね?」
「ああ。私の言葉に偽りはない」
光田さんの確認を兼ねた問いに、博士は答える。
「確かに、あの怪猫を生み出したのは私だ。それはまごうこと無き事実だ。しかし、多くの人間を喰らい、生き血を路面に散らすさまは私の望んだことではない。むしろ不本意極まりないことだ。故に、此度の件は私に罪はない。これで満足か? お前さんが望んでいた情報とやらがないことはこれではっきりとしたろう」
淡々と、何も悪びれたりせず、彼はそう言った。もう我慢の限界だった。
この人、自分が何を言っているのか分かっているのか……?
もし言葉の通り、何の反省もしていないのなら、あなたは……。
腹から沸き上がる憤りを、僕はこの老人にぶつけようとした。
しかし──。
「……ふざけたこと、言わないでください」
僕より先に、意外な声がそう言った。
この中で一番高く、幼く、けれど一番の苦痛を抱えているであろう、声。
その声が、博士の弁解の間貫いていた沈黙を断ち切って、狭い空間に小さく響き渡る。
僕は横に目を向けた。案の定、彼女は泣き出しそうな目をしながら椅子から立ち上がっていた。
「アッシュが勝手に暴れ始めただけだから、自分は悪くないと? 冗談を言うのはやめてください、博士。アッシュの身体の中を好き放題弄り回しておきながら、よくもそんな無責任なこと言えますね? 人間として最低ですよ、あなたは」
「な、何を言う! お前さんみたいな小娘に何が分かると──」
「分かりますよ! 命の思いやりができない癖に、生命体の未来を身勝手に語るあなたに比べたら、断然分かります!」
彼女の勢いのある抗議に、博士は怯んで身を引いた。
「いいですか? はっきりと言わせて頂きます。あなたがアッシュを苦しめたから、こんなことになったんです。わたしに優しくしてくれた研究員の皆さんも、わたしの大切な両親も、アッシュの良心も、あなたのせいが殺したんです……そんなことぐらい自分で分かっていますよね? いい歳して……自分の罪から目を逸らさないでください!」
少女は両目を濡らして、吼えた。
博士は、何も言えない様子だった。
「わたしの想いが分かるかどうかはどうでもいいです。ですが、これだけは言わせてください……わたしの家族をこれ以上侮辱するのは、やめてください」
そう言い切って、彼女は──真理ちゃんは取調室を出ていった。予想に反して、扉の鍵は開いていた。
僕はその名前を呼ぼうとして……口を噤んでしまった。その代わりに出た言葉を、光田さんに向かって言った。
「……真理ちゃんの様子を見に行きます。あまり遠くには行っていないと思うので」
光田さんは僕の目を見て、黙って頷いた。
その承認に対する礼を込めて小さく頭を下げ、僕は取調室を後にした。
窓が映す景色は、すっかり闇に溶けていた。
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