#4 《英雄序譚》

 何処にでもあるような、辺鄙へんぴな片田舎。

 ひ弱な少年は、幾人かの同年代の少年達に囲まれていた。


「や、止めてくれよ……! それは今日の売りも──」

「あぁ? スレイ……テメェ、オレらの言うこと聞けねーの? そう言う態度取って良いワケ?」


 少年──スレイの口から思わず、ひっ──と短く悲鳴が零れる。

 持っていたかごは手中から滑り落ち、入っていた細身の野菜達は、落ちた拍子に地面へぼとりと転げた。


「こんなの売り物にもならねぇって。地面に落ちた時の見たか? めっちゃ浮いてたぜ! スカなんだよ、テメェと同じでよォ!」


 いじめっ子の一人の蹴撃キックが、スレイに襲い来る──その瞬間!


「やめろォォオオ!!」


 飛び出した少年が、一人。

 間に入った刹那、彼の腹にいじめっ子の脚がめり込む!


「ぐべらぁッ!」

「ええぇぇ!?」


 蹴り飛ばされた少年は、そのままスレイを巻き込み、勢い良く地面に伏せられた。

 スレイは困惑する。

 一方で、いじめっ子達は辟易へきえきとした様子だ。

 後方では「またお前かよ」となかば諦めたような声も聴こえて来る。


「いや、庇ってくれるのは有難いんだけれど、弱いね!? 良く飛び込んで来たよね!?」

「困って居る人が居たら、迷わず飛び込む!」

「良い心掛けなんだけどさ、良い心掛けだけに勿体無いよ! もっと自分も労わって!?」

「断る! 庇う!」


 スレイの静止も振り切って、少年は手を大きく広げる。

 その声は、迷いが無く何処までも真っ直ぐで、その奥に有る魂胆と呼ぶべき物の一切が、存在しなかった。

 が、しかし……。


「そ、そんな細い身体・・・・で、無茶だ!」


 その少年は、決して。

 恵まれた肉体も、鍛え抜かれた肉体も、保有してなどいなかった。

 痩躯そうくにして矮躯わいく

 庇ってくれるとしても、護ってくれるとしても、それは些か役不足。逆に護られる側を不安にさせるような、貧弱な肉体であった。

 いじめっ子のリーダー格は、やや不機嫌そうに、見下ろすように笑う。


「テメェみてぇなチビガリに何が出来んだよ、あぁ?」


 いじめっ子は少年ににじり寄ると、剣呑けんのんな眼光で彼を睨め付けた。

 少年は脇を締め、広げていた腕を顔の前に移動させ、そのまま拳を握る。脚は肩幅ほど開き、キッと睨み返した。

 そして──堂々と、澄んだ声で言った。


「お前達を、倒す!」


 何処にでもあるような、辺鄙へんぴな片田舎。

 そこに、正義を目指す、一人のおとこが居た──。

 ──しかし、欠点が一つ。

 ──力が無いッ!!

 痩躯の少年は正義を愛し、故に英雄譚を愛した。

 正義から愛されることは、決して無かったけれど。

 恵まれた膂力りょりょく、無し。優れた耐久性、無し。

 風の如き瞬足、無し。尋常無き魔力、無し。

 卓越した技術、無し。果て無き体力、無し。

 けれども少年は、人に無い物を持っていた!

 それは不屈の忍耐力!!

 それは不屈の精神力!!

 彼は雄叫びを上げると、眼前の悪に、正義の鉄槌を振り下ろした──ッ!!!!



✕  ✕  ✕  ✕



 草原。

 足首ほどの背丈の草が、微風そよかぜてられ、ゆらゆら揺れている。

 だだっ広い敷地に、草花がひたすら広がっている原っぱ。その平坦な地形に、一つポツンと異物があった。

 巨大な岩。その隣は太陽の陰になっており、ひんやりとした空気が微かに漂っている。


「負けちゃったなー……」

「うむ! 次は頑張ろう!」


 スレイは回想する。

 眼前の悪を排すると、高らかに宣言した直後。

 ……突き出した拳は明後日の方向へと飛び出し、反対に、いじめっ子の拳は少年の腹部へと突き刺さった。

 そこからは一方的であった。

 複数人が寄ってたかって、彼を殴り蹴りしたのである。

 だからスレイは、もう少し凹んでいる物だと思っていたのだけれど……。


「ボコボコなのに元気良いね」

「うむ! 元気は元気の源だ!」

「ははは、なんだそりゃ……」


 スレイは隣で寝そべる少年を見る。

 切れた口のまま、にかりと笑う少年を。

 紅く腫れ、蒼く痣になった身体を、横目で見た。

 二人は目を閉じたまま、しばらく涼むと、ふいにスレイは口を開いた。


「ねぇ、君の名前はなんて言うの?」

「む、名前か? 俺はガロムだ。そちらこそ、名前は何と言う?」


 少年──ガロムはそう名乗ると、仰向けの体勢を横にしスレイの方へ視線を移す。


「僕はスレイ。スレイだよ……」

「そうか、宜しくな! スレイ!」

「うん」


 スレイは遥か先の空を仰ぎながら、無愛想に返す。

 何も無い虚空を見詰めるその姿は、ガロムの眼にはとても不思議な物に映った。


「なあスレイ。何を見ているんだ?」


 ガロムの問いに、スレイは何かを思い出したかのようにハッとする。


「あ。空、見ちゃってた?」

「んん? ああ、まあ。何も無い所を凝視している物だから、何かと思って訊いてみたが……不味かったか?」


 バツが悪そうに、恐る恐る訊くガロムに、スレイは苦笑する。スレイはガロムの顔を見詰め直して、優しく微笑んだ。


「まさか。ただ、少し思い出していただけ」

「思い出す? スレイは空にでも住んでいたのか?」


 怪訝な顔をするガロム。

 スレイは何も言わず、ただ黙ったままでいた。

 彼の視線は自然と、またもや空へと向かって行く。


「ガロムはさ、神って信じるかい?」


 スレイの突拍子の無い質問に、ガロム拍子抜けする。

 彼は疑問を感じながらも、質問に答えた。


「神様……か。そうだな、居ても居なくても、俺はどちらでも同じだと考えている。どちらでも良い、とも言えるな」

「居ても居なくても、同じ……?」


 少し驚いた表情で、スレイはガロムの顔の方を向いた。

 彼は再びにかりと笑うと、答えた。


「嗚呼。善い神様なら尊敬するし、悪い神様なら俺が懲らしめる。人間と変わらない」

「ははは。その人間の子供に、ボコボコだったけれどね」

「むう……。それを言われては……困るな」


 スレイの指摘に、ガロムは言葉を詰まらせてしまう。

 その様子を見て、あの勢いが失われる瞬間を見て、スレイは思わず噴飯する。


「ぶふっ、あははははっ!」

「そ、そんな笑わなくても良いだろう!」

「いや、ごめんごめん。ふふ、ははは」


 笑い転げるスレイ。

 そんな彼に連られて、ガロムもまた、笑い出す。

 ひとしきり笑った後、二人は同じように深呼吸して、それがおかしくてまた笑う。

 スレイは言った。


「ねぇ、僕が神様だって言ったら、信じる?」


 ガロムの目をぱちくりさせる。


「それは……どう言う……」


 眉を顰めて、ガロムはいぶかしむ。

 スレイは立ち上がった。空を見詰めたまま。


「100柱の神々が人間に転生し、魔王をたお討伐競走デス・レース。その内の一柱が、僕なのさ」


 彼は語る。神々による、命懸けの戯れを。

 彼は語る。こことは別の世界、異世界の存在を。

 彼は語る。百柱転生ゴッズ・ロワイヤルに勝利しなければ、自分には死が待っていると言うことを。


「ガロム。君が庇ってくれた時、思ったんだよ。この戦いには、鋼の心が必要なんだ。そしてガロム、君はそれを持っている」


 スレイとガロムの眼が合う。

 ガロムのその眼には、困惑の色が見える。


「そんなこと、急に言われても……」

「いや、ごめん。そうだね。幾ら何でも急過ぎた。僕の歳が今日で11……詰まりは百柱転生ゴッズ・ロワイヤルが始まってから11年。僕も少し焦ってたみたいだ」


 彼はおもむろに、能力表示ステータス・ウィンドウを開く。

 擬似遊戯ゲームシステム型世界の定番。能力表示ステータス・ウィンドウ

 個人の保有するレベルやステータス、スキルを一覧にして表示する、自分だけに見える板。

 他世界──異世界からすれば摩訶不思議な概念ではあるが、これも擬似遊戯ゲームシステム型世界では物理現象同様、世界の法則の一つに過ぎない。

 そして、百柱転生ゴッズ・ロワイヤルの参加者たる勇者達の能力表示ステータス・ウィンドウには、他人には無い項目が有る。

 ──現在参加神数。

 11年間、ついには揺るがなかったその『062』と言う数字を見て、スレイは思わず溜息を吐いた。


「参加神数が減らないってことは、皆大なり小なり、魔王討伐への準備を進めているはずだ。対して僕はこの11年間、ほぼ何も出来ていない」


 チート能力も有るしね、とぼやくスレイ。

 涼し気な岩陰に居るはずであるが、ガロムには、彼の額に薄らと汗が浮いているように見えた。


「難しい話は分からないが……。……スレイも、チート能力? とやらを使えば良いのでは、無いか……?」


 若干しどろもどろになって訊くガロム。

 スレイは顎に手をやると、うーんと唸った。


「僕のチート能力は他者に使うことが前提なんだよ。他者に成長を促し、成長の方向性を決定する能力」


 その名も──【英雄教育プレス・ワンズ・バック】。


「成長の……方向性、か?」

「そう、方向性。簡単に言うとねぇ……」


 スレイはしゃがむと、そのまま何かを探し始める。

 数秒後、立ち上がった彼の手中に在ったのは、尖った小石であった。

 彼は石を指先に近付けると──つぷりと言う音と共に、軽く突き刺した。


「な、何をして!」

「いや。これくらい平気平気」


 彼の指先からは、ゆっくりと、紅い球体が形成されて行く。


「さて、問題です。傷が治った後、この部分はどうなるでしょう?」

「どうなるって……どうもこうも、傷が治るだけではないのか?」

「それが違うんだよ。ざっと考えて、答えは4パターン」


 彼は、血の着いた人差し指を突き立てる。


「一つ、皮膚が硬くなる。一つ、皮膚が脆くなる。一つ、皮膚の治癒力が上がる。一つ、皮膚の治癒力が下がる」


 続けて中指、薬指、小指と突き立てた。

 彼は言う。これが〝方向性〟であると。

 成長の結果──それは複数の外的要因による、影響の集合体。しかし、その結果を要因よりも先に決定してしまえるのだ。

 因果を逆転させ、成長の方向性ベクトルを強制──もとい矯正する能力。それがこの【英雄教育プレス・ワンズ・バック】である。


「でもこの能力、一つ欠点が有ってね。自分には使えないんだ。だから、後方で他人を強化して魔王討伐へ送り出すのが、基本スタイルになるのかな」


 スレイは拳を前に突き出す。

 その様子は、ガロムの眼から見て、彼にも負けず劣らずの貧弱な物だった。

 彼は察する。スレイの真意を。


「何となく話が見えて来た……気がする。詰まり、俺に魔王討伐をやらせようと言う魂胆、なんだろう?」

「そうだね。強制はしないけれど」

「……何故、俺なのだ?」


 ガロムは己の手を、腕を、脚を、睨め付ける。

 細くて、ボロボロで、紅く腫れて、蒼く痣になった、頼り無さそうで、不甲斐の無い身体。

 だからこそガロムは疑問である。

 何故、自分なのだろうと。


「魔王討伐。頭の不出来な俺にも分かる。それはとてもとても難しいことだ。強い人間が、やらなければならないことだ……」


 だからこそ疑問である。

 こんな痩せ細った村の少年ではなく、他の人間を選ぶべきであると、ガロムは考えた。

 スレイは目を丸くすると──先刻と同じように笑い出した。


「おかしなことを言うなぁ、ガロムは」


 ガロムは内心、安堵した。

 自分を利用しようと近付いて来た、悪しき神なのではないかと思ったが……その笑いを見て、先刻の笑い合った時間は嘘ではないことを──確信した。

 いきなり難しいことを言われ、無理難題を懇願され、彼が不気味で、得体の知れない物であると思ってしまったが──それも間違いだった。

 自分の弱さを肯定され、これまでの話を取り消されるのではと、期待に添えないのではと思ったが──それもどうやら違うようである。

 ガロムは安堵した。心の底から安堵した。

 何故ならば──。


「僕が君を選んだのは、その根性。熱い正義の意志なのさ。最初に言ったろ?」


 ──初めてだ。

 弱さではなく、惨めさでもなく、自らの強さを肯定してくれた存在は。

 ならばこそ、答えは決まりだ。

 否。端から決まっていたのかも知れない。

 魔王とは即ち、悪の権化。最上級の邪悪のことだ。

 それに友人の──たった一人の親友の頼みが加われば、尚更断る意味も無し。


「良し。ならばこのガロムが、必ずや魔王を討ち取ってみせよう」


 そう言うと少年は、何時もの如く、にかりと笑った。

 何処にでもあるような、辺鄙へんぴな片田舎。

 そこに、正義を目指す、一人のおとこが居た──。

 ──彼の強みは、たった一つ。

 それは不屈の忍耐力!!

 それは不屈の精神力!!

 それ即ち、揺るがない正義の心である。

 紅く燃えて、蒼く変わる、熱血の正義感である──ッ!!

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