第7話逃走を続けますか?

 声に反応した愛羅に、袈刃音の存在が露見したのはその瞬間だった。


「あ、あぁ…え、えっとね袈刃音君ッ。こ、これは…その、ち、違うの!」


 咄嗟に言い訳を始めた愛羅を他所に、袈刃音は完全に固まっていた。

 意図せず、しかし、既にさいは投げられた。


 ―――動、け……。


 すべき事は、本能が分かってる。


 だからこそ。


 ―――動け、動け、動けッ……あいつを、助けろ!


 パニックを起こし、動こうとく体の足枷となっている精神を、使命感の拳で殴り付ける。


「……ッ!!」


 刹那、床を割らんとする勢いで踏み込んだ袈刃音が――弾けるように跳び出した!


【剛力】による筋力増加効果は絶大だった。そう、幾ら唐突とはいえ、少年の動きの速さに


 旭の直前、地を擦り急停止。

 直後、彼女の腹に馬乗りになっていた藍刃愛羅を腕で薙ぎ払う。


 異様な膂力により、それだけで愛羅は吹き飛び、本棚へ背中を激突した。


「……ぅ、くッ、捕まえろ!」


 愛羅の命令が飛び、本棚の周りで見張りをしていた10体近くのゾンビが袈刃音達の元へ四方から群がって来る。


 不味い、と焦った袈刃音は旭を横抱きに近い形で抱き寄せ――跳躍。


 正面にあった本棚の上に着地すると、そこから前に飛び降り駆け出す。

 向かう先は本屋を密室たらしめるシャッター、それが降ろされた出口だ。

 袈刃音が入って来る時に使った入口兼出口は小さ過ぎたし、ここからだと遠過ぎた。

 正面、ゾンビ二体が行く手を阻む。


「んのッ、こちとら戦ってる暇なんざねぇんだよ!」


 言いながら、跳躍しゾンビ達の頭上を飛び越えた。

【剛力】の恩恵を噛み締めながら、袈刃音は再び駆け出す。


 

「でぇぇぇッ、りゃぁぁぁァァァアア!」


 やったこともない跳び蹴りを、上りに上がった身体能力に任せて猿真似し、シャッターの壁に叩きつけた。


 しかし、吹き飛ぶことはなく、出口は閉ざされたまま。

 おまけに蹴った方の足を激痛が襲う。

 それにより転びかけた体を、根性で踏み止めた。


 ―――後ろから、もう…ゾンビ共が迫って来てる…!立ち止まってる場合じゃ、ないだろッ。


 そして、もう一度、シャッターを蹴り付ける。


「くそッ…あとちょっとだってのに…ッ」


 確実にシャッターは壊れて来ている。けれど、まだ破れない。

 蹴る、蹴る、蹴り付ける。何度も、文字通り突破口を開くため。


「吹っ飛べぇぇぇえッ!」


 遂にシャッターが吹き飛び、袈刃音は旭を連れて外へ出た。

 だが……、


「うそ、だろ……!?」


 視界の先には、その場を埋め尽くすほどの数のゾンビ達がいた。


「まだだッ!」


 それでも、袈刃音は諦めようとはせず走った。

 走った。

 走った。

 走った。

 途中複数のゾンビに掴まれても、それを何とか振り切って全力で駆けた。


「こ、こだ…ッ」


 ゾンビ達を何とか撒いた後、旭を降ろして一緒に物陰に隠れた。

 現在、ショッピングモール二階に袈刃音達はいた。正確には、1階からここまで追い詰められた、だ。


 幾ら『個』として人間離れした身体能力を手に入れたとしても、『数』の暴力には敵わない。

 戦えないのなら身を隠すしかない、そういう考えでの行動だった。

 もっとも、あれだけのゾンビを相手に、こんなかくれんぼが何時まで通用するかは分からない。

 ざっと見て三百体……いや、もっといるかもしれなかった。


 おまけに、多分もう出口は塞がれてる頃合いだ。

 これは所謂いわゆる、『詰み』というヤツだろう。

 それを理解していたのは、袈刃音だけではなく隣にいた旭もだった。


 ……不意に、旭に服の袖を軽く引っ張られた。袈刃音がそちらを向くと、彼女は視線を合わそうとせずに小さく言った。


「……いいよ、もうッ」


「……………………は?ど、どういう意味だよ、旭…?」


 言葉の意味が分かってしまいそうで、分かりたくなくて、だから咄嗟に惚けたのだ。


「袈刃音が何でか、凄く力つよくなってるのは知ってる。……けど、逃げきれない、でしょ…?無理でしょ?だから、もういいよ、こんな無駄な事しなくていいよ?」


 確かに、それで万事上手くいくのかもしれない。

 何故って当然だ、藍刃愛羅の狙いは。


「藍刃さんは、私を殺そうとしてるんだから」


「まだ、やれる、動ける」


「でも、ずっとは続かないよ……」


「だ、だったら、何とかする方法を」

「思い付かないから、詰んでるんだよ袈刃音」


 遅いか早いか、つまりそう言いたいのだろう。

 何が、など聞くまでもない。旭の死だ。


 でも…そうじゃない、袈刃音が言いたいのは出来る出来ないなんて理屈いいわけじゃない。


「うる、せぇよ…」


「何が?合理的じゃん!それが一番じゃ――」


「うるせぇ!そんなモンに興味なんてないんだよ、黙って守られてろよ!!」


「か、勝手言わないでッ」


「お互い様だろ!?だから、俺止めたきゃ勝手にし――ッ」


 刹那、袈刃音は声を殺した。


 ゾンビが、視界の端にいたのだ。

 未だに気付いていない旭の口を手で塞ぐ。

 だが、もうこちらに近付いて来ている。


 咄嗟に手に握っていたバールを向こうに投げ、金属音を響かせる事でゾンビの注意を逸らす事に成功した。


 身をひそめながら、息を殺し、静寂に支配された数十秒。

 ゾンビがいなくなったのを確認した袈刃音は、旭からスッと離れる。


「……一つだけ、方法を思い付いた。


 そう言った後、何も言わずに袈刃音は歩き出した。

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