第6話様子を見ますか?

 本屋中央の、円状に置かれた数台の本棚の中。

 そこで仰向あおむけに倒れる旭の上に、誰かがまたがっていた。


「…………………………………は?」


 聞き取れない程小さい疑問の声が、袈刃音の口から漏れた。

 予想外の展開に加え、何故か本棚の周りに10体程のゾンビが辺りを警戒するように立っていたのだ。


 


 もしかしたら、サークル状の本棚の中で旭に跨っている人間が命令しているのかもしれなかった。

 実際、二人は襲われていない。

 だが、あり得るのか?

 分からない、そんな事情も、この状況も分からないのだ。

 しかし、ただ一つ確実と言えるだろう事は、旭が危険だという事。


 近くの本棚の陰に隠れた袈刃音が目を凝らし、謎の人間の姿を見ると。


「嘘、だろ……?」


 驚愕に、袈刃音は目を見開いた。

 だって、何故って、彼はその人間を知っていたのだから。――藍刃あいば愛羅あいら


 同じ高校で同級生、しかもクラスまで同じの、薄青髪に髪を染めた少女が袈刃音の瞳に映った。


 しかも、片手にサバイバルナイフを握っている。


「あ、いば…さん?」


 不意に、旭が目覚めた。

 その様子に愛羅は。


「あっ、やっとやっと、やーっと目が覚めたんだね。こんにちはぁ、♪」


 口元を三日月のように歪めて旭を罵った。


「雌ぶ…ッ!?え?」


「意味不明、って感じの顔だね。――あぁ、うっざ」


 侮蔑の眼差しを向けられた旭は、しかし、怯まず尋ねた。


「…これ、どういう、事?」


「フッ」


 彼女がそう聞くと、愛羅は笑った。

「フフッ」


 笑った。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」


 狂ったように高笑いした。


「あぁ…笑った、嗤った、嘲笑ったぁ……。まったく、本当に、本気で言ってるんだから救えないよね貴方。どういう事?――それは私が聞きたいなぁ、この雌豚がッ」


 内臓が底冷えするような冷たい声が、袈刃音の耳に届いた。


 ――なんだ、藍刃さん…こんなだっけ……?


 袈刃音の記憶では、藍刃愛羅は、派手な髪の割に口数が少なくて目立たない少女だった。

 それが一転、何だこの饒舌と毒舌は。


 だが、


「ねぇ、聞いてるんだよぉ…


 驚愕はここからだったのだと、袈刃音は知る。


「袈…刃音?」


「うん、そうだよ袈刃音君だよ袈刃音君!…出会いは1年前、私達が高校生になって間もない頃っ。一目惚れしたんだぁ。フフッ、いーぃ世の中になったよねぇ?誰にも邪魔されず、想うだけ、望むだけ――…」


 ゾッとした、ゾッとしない、なんだそれは…見守る、だと……?


 藍刃愛羅の、彼女のそれは、見守るというよりは。


「この3ヵ月間、ずっと私達をしてたって言うの……?」


「ううん別に貴方に興味ない。フフフ、私の注意は、視線は、心は、愛は全部全部ぜ~んぶっ――袈刃音君に捧げてるの♪」


 旭に対しどこまでも無関心で凍て付いた声は、しかし、袈刃音の話になると途端恍惚こうこつとした物へと変化した。


「そう、そうそうつまりねぇ、こんなお遊びゲームで袈刃音君を死なせない為に私は動いてたの。目に付いたゾンビは全部殺したし、私の両親にも死んでポイントになってもらった」


「りょ、両親を……ッ!?」


「うんっ、ちゃ~んと2、殺したの♪お陰で良い【ギフト】を貰ってねぇ?――【死霊術ネクロマンシー】、死者達、つまりを手に入れたっ。これで安心、これで安泰、ずっとずっとずぅ~っと袈刃音君を見守れるっ。そして、タイミングを見計らって、全てを計算し尽くして、私を愛して…愛して愛して、愛し尽くしてもらえるようにするんだぁ……。そう、まさに相思相愛の関係にぃ…あぁ………ッ」


 頬を薄紅色に紅潮させ、息を荒立てながら、呆けたような目で愛羅は自らの願望を吐露した。

 話の途中で出た【死霊術ネクロマンシー】というふざけた能力名が何でもない様に、犯した罪がまるで罪でない様に、過剰な愛を異常なまでに吐き散らしたのだ。


 だが、突然、一転、愛羅は蔑んだ目を旭に向けた。


「完璧だった、その“はず”だった……少し前まではね?」


 空気が変わったのを、袈刃音も旭も肌で感じ取った。


「貴方はただの袈刃音君の幼馴染、きっと無害、ずっと無害、私の計画の邪魔にはならない。――けど、違ったの…。ねぇ、私聞きたかったんだぁ。


「……え?」


 青天の霹靂、まさにそう表現するのが正しい程に旭の表情が驚愕の色へと染まった。


「アハッ、何その反応!?はぁ……うっざ。その手には乗らないからね私。この前から、そして今日も、袈刃音君に言い寄ってたじゃんアンタ。フフッ、だから、ゾンビをけしかけたの。…でも、羨ましくて腹立たしい事に、袈刃音君がアンタを助けちゃった。挙句に、また袈刃音君に色目を使った。アンタ顔は良いもんね。……そんなだから…もう、本気出すしかないじゃん」

「そ、それって…」


「うん、貴方を殺す事にしたよ♪朝比奈さん」


 恐怖した旭。

 それ以上に恐れ、愛羅へ敵対心を抱いた袈刃音。

 しかし、愛羅は袈刃音に未だ気付かず言葉を続けた。


「でも、その前に、聞きたいんだよ。ほら、答えて、?」


「……え?」


「え、じゃなくてさぁ。――だって貴方、袈刃音君に嫌われてるでしょ?」


「……ッ!」


 途端旭は、ハッとしたような顔をした。


「………あぁ、そっかぁ…忘れてたんだね?でも、思い出したでしょ?あの日、このゲームが始まった日、貴方は袈刃音君に拒絶された、否定された。最早、絶交の台詞と言って良い言葉を送られたの」


 愛羅の言う通り、思い出したのだ。

 覚えていない訳がなかった、旭が、それ以上に袈刃音が忘れるわけがなかった。

 ただ、その日から衝撃的な出来事の連続で、その問題に割く頭と時間の余裕がなかっただけだった。


「なし崩し的に、あの日の事なかったみたいに感じちゃってた。…それが事の顛末、笑っちゃうね?」


 旭を見下ろし、心底滑稽そうに愛羅は嗤った。


「そうだ、ね…。笑っちゃうよね、私………」


「?」


 不意に、旭が口を開いた。


「忘れたみたい今までやって来たんだ…。本当は知ってた、たまに思い出してた。その度に、辛くって…けど、その頻度が段々少なくなって来て、私、本当に忘れかけてた…ッ。そうだよ、私――袈刃音に嫌われてた………」


 泣きそうな声で喋る旭の声に、袈刃音の胸が激しく締め付けられた。

 あの時の想いや言葉は全て本物で、けれど、全て偽物だった。ただの過ちだった。


 だって本当は、袈刃音は本当は――。


「……ッ」


 袈刃音は、自分が許せず歯噛みした。拳を、爪の跡が残る程強く握り締めた。

 それが今の彼に出来た、怒りを収めるための精一杯の自傷行為だった。


 今は様子を窺い、隙を見て旭を助け出す事に全力を注ぐべきだと理解していたから。


「…藍刃さん、これから…どうするつもり……?」


「決まってるじゃん。アンタ殺した後、偶然を装って袈刃音君に接触するつもりっ」


「私を…殺したことは?」


「誤・魔・化・す♪」


 残念ながら、その計画は既に破綻している。

 何故って、至極単純で当然な話だ。藍刃愛羅という人間を、袈刃音は完全なる敵としか認識していなかったのだから。


 刃物のように鋭い目付きで、袈刃音は愛羅を睨み付ける。動き出すタイミングを見逃さない、その為に意識を集中させながら。


 だからこそ。


「そっか…っ。……本当、私…何で今まで生きてたんだろ…」


「フフッ、激しく同意だよ朝比奈さん。貴方、邪魔にしかなってないもんねぇ」


 その話は。



 ――寝耳に水だった。


「………えっ、それ、どういう…?」


「あれ、私の言った事分かんなかった?」


 いや、理解出来ていた。彼女が何をしたのかは、旭はちゃんと分かったのだ。だが、彼女はそういう事が聞きたかった訳じゃない。袈刃音はその辺りの事情を知っている。彼も同じ無理解の中にいたのだから。


 だから。


「意味…分かん、ないよっ。え…ッ?何で…何で他の人使って、袈刃音を傷付けられるの!?おかしい、だって…貴方袈刃音が好きなんでしょッ。何も感じない訳ないじゃない!」


「フフッ、変なんかじゃないよぉ。だって、私の袈刃音君に近付く女なんて私だけで良いでしょ?」


 つまり、初めから仕組まれていた事だった。

 霞雅の袈刃音に対するイジメも、それによって袈刃音がした旭への八つ当たりも、全て藍刃愛羅が仕掛けた物だったのだ。


「愛の為だよぉ、朝比奈さん。分っかんないかなぁ♪」


 違う、それは欺瞞ぎまんだ、恋に酔った者の戯言ざれごとだ。彼女の行為は、全て自分の為でしかない。


「私は袈刃音君が大大だ~い好きッ。だから、これは愛の使命、愛の試練、そう全ては愛の為っ♪」


 頬を紅潮させながら吐く、愛羅のその独りよがりの台詞を聞く度に、心の奥底から強烈な怒りが沸き上がって来る。………そのはずなのに、何故か欠片程も憤りを感じない。


「私は成功させる、きっと上手くいく。だって、世界一袈刃音君の事を愛しているのは私だからっ」


 衝撃的な事実だったとか、許せないだとか……それ以前に。


「アハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


 何というか、ここまで来ると。





「――気持ち悪い………………………………」


 思わず、そんな言葉が袈刃音口から漏れた。

 


「え…袈刃音、君…?」

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