第4話幼馴染を探しますか?

「ったく、旭の奴どこまで食料取りに行ったんだよ。は、はは……まさか、こんな所で迷子になんてなってないだろうな……?」


 食品売り場の中を一人歩きながら、袈刃音は呟いた。


 あれから幾ら経っても帰って来ない旭を探し、このエリアをもう一通り回り終わろうとしていた。それにも関わらず旭は見つからなかった。


 胸の鼓動は徐々に早まり、体のそこかしこから嫌な汗が滲み出て来る。

 先程の軽口も、全身に纏わり付く不安を誤魔化すように言った物なのだと袈刃音は知っていた。


 立ち止まる。


 ――大丈夫、大丈夫、大丈夫だきっと……ッ。


 心にそう言い聞かせても不安は全く拭えない。

 もしかすれば、既にもう手遅れの可能性だって――。


「ッ!」


 そんな思考が過った瞬間、袈刃音は頭を左右に振って一瞬浮かんだ『絶望』の2文字を振り払う。


「……早く、探そう」


 嫌な妄想ばかり生まれて来るのは仕方がない。だが、それで足も思考も止めていては本末転倒。


 ズボンで両手の手汗を拭き取って、浅く早くなっていた呼吸を整える。

 歩き出し始めた袈刃音は、しかし、次の瞬間に立ち止まった。


 視線の先、袈刃音のいるお菓子売りコーナー端から、次のコーナーへと吸い込まれて行くように過ぎ去っていく人影。


「まさか、旭…ッ」


 安堵から表情が一気に明るくなった袈刃音は、旭を追って走り出す。

 やはり、途中で運悪くすれ違っただけだったのだ。


「おい旭ぃー。ったく心配させ――」


 言いかけて、袈刃音は自分の口を掴むように押さえ付け言葉を殺す。

 どころか、先程自分がいたコーナー近くの棚にそれと同化するように背中を付け身を隠した。


 袈刃音が見た人影は旭ではなく――


 死んだ声。

 激しく鼓動する心臓。

 汗は全身から、一瞬にして吹き出て来た。


 ――ヤバい、ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい…ッ!!


 確認したのはたったの一体。

 だが、その姿を見た瞬間、袈刃音は戦慄し混乱した。

 見た目が酷いだとか、唐突の事だったからだとか、そんな次元の話ではなかった。


 ―――なんで、なんで…こんなとこにいるんだよッ……ッ!


 ほんの数十分前、ほんの数フロアだけしか離れていない距離で遭遇したばかりだ。散々煩い音と声で騒いだはずだった。だというのに、何故あの時現れなかった?


 そして何よりも、何故、朝比奈旭より先に邂逅してしまったのか。

 不可解な異常、身の毛もよだつ程に悲惨な未来予測。

 しかし、袈刃音の思考はそこで停止していた。


 ――ど、どど、どうすればいいんだよ……ッ。


 現状把握、想像される未来、今すべき事、不安、難解、恐怖無理危険ッ。


 一瞬にして脳内に流れ込んで来た尋常でない情報量に、袈刃音の脳はパンク寸前だった。

 今隠れているのだって、袈刃音の本能によるものであってそこに彼自身の意思は皆無。

 最適解どころか回答すら困難な状況で、しかし、ゾンビが空気を読むなんて事あり得なかった


 ――ヒタ……ヒタ……ヒタ……。


 来る、来る、歩いて来る。

 こちらに近付いて来るのだ、ゾンビがおもむろに。

 最悪だ。もし今ゾンビに見つかってしまえば、思考不全に陥った袈刃音ではまともに動けないだろう。


 そうこうしている内にも、自分とゾンビとの距離が近くなって来ているのが不気味な足音によって分かってしまう。


 不意に、真横を見て袈刃音の顔は蒼褪めた。

 ゾンビのマヌケ顔が、少年を覗き込むように見ていたからだ。

 見つかった、終わった、これ完全に死ぬ。


 早々に生を諦めた袈刃音は――疑問を抱いた。


 ――あれ?俺を見つけたのに、な、何で、襲ってこないんだ、コイツ……?


 眼前のゾンビは、何時まで経っても袈刃音を襲って来る気配がなかった。

 あり得ない事態だ。そう思い始めた矢先、ふと、とある仮説が袈刃音の脳裏に浮かんだ。


 ゾンビはもしかして、目が見えていないのではないか。

 いや、それ以前に五感は死んでいるだろう。

 所詮、ゾンビはどこまで行っても死体なのだから。


 だが、聞いたことがある、死体も死後数分間だけ『耳は聞こえている』らしい。


 つまり、その状態で正常でない蘇生をしたのがゾンビだったのなら、奴等が感じ取っているのは音だけかもしれないのだ。

 背中側の棚に並んでいる、飴の詰まった缶を袈刃音は恐る恐る音を殺して取った。

 直後、それを――遠くへと投げた。


 結果が判明したのは、ほぼ同時った。


「ガァァァァァァァァァァッ!!」


 予想は的中、ゾンビは地面を転がった飴の缶に飛び付いた。

 一瞬ゾンビの豹変ぷりに焦ったが、試みが成功した事によりその場から忍び足で離脱した。


「――ゴホッ、ゴホッゴホッゴホッ……!ッハア……と、取り敢えず、ハアッ、ハアッ、こ、ここで休憩を……」


 途中から呼吸まで止めていた袈刃音は、安全を確認しようとした直後、遂に耐え切れず激しくむせる羽目になった。

 幸い、さっきのゾンビには気付かれない程度には離れたが、まだ安心は出来ないだろう。


 ゾンビとの遭遇と不可解な行動。


 こんな異常な状態で何故ゾンビがあの一体だけだと断言できるだろうか。

 おまけに旭は依然として見つからない。

 呼吸を整えた袈刃音は、思考を加速させる。


 どうやらここは衣料品売り場らしい。


 一瞬、食品売り場まで戻らなければと考えたが止めた。

 ゾンビを恐れているだとか、そういう話ではない。

 ただ単純に、また同じように出鱈目に歩き回るのでは危険で効率が悪いのだ。


 確か、二階から食品売り場全体を見渡せる場所があったはずだ。


「よしッ……」


 思い立ったが吉日、いな、『吉時』と造語を叫ぶべきだろう。

 袈刃音はすぐさま二階へと走った。


 辿り着き、食品売り場の様子を上から物陰に隠れながら覗き見ると――そこに旭の姿はなく、先程のゾンビの姿だけがあった。


 驚愕、不安、深まる謎。


「ゾンビの様子も変だし、旭が本格的に行方不明だし…どうなってんだよ、ったく……」


 何もかも分からない、しかし、今この瞬間にも事態が悪化の一途を辿っている事は確実だろう。

 そんな思考が、後手の立場にいる袈刃音に歯痒さを与える。


「仕方ない、この辺りを手当たり次第に探すしか…」


 少し手間が掛かり危険も伴うが、袈刃音が旭を探そうとしたその矢先。


「……なッ、マジかよ……!」


 振り返った瞬間、袈刃音はゾンビを発見した。

 当たって欲しくない時に限って予想は的中する物なのか、やはりゾンビはあの一体だけではなかった。

 即座に物陰に隠れやり過ごす。


 安堵の溜息を吐き、気を引き締める。

 ここからはより慎重な行動が求められるだろう、袈刃音は可能な限り気配を消し移動を開始した。

 しかし、


「――!…チッ、またかよ」


 移動した先でもゾンビが徘徊していた、しかも二体。


「チクショッ、冗談じゃねーぞ……!」


 女子トイレの一件も含めれば、このショッピングモールには少なくとも五体はいた事になる。


 やはりおかしい。初めは偶然かと思ったが、それだけの数のゾンビがいて、最初の時に袈刃音達の存在に気付かなかったはずがないのだ。


 ここまで異常だと、まるで意図的に袈刃音達を追わなかったかのような、そんなあり得ない事が起こったのかと錯覚してしまう。


「それに、そっちの方が辻褄が合う、か……」


 行く先々でゾンビが徘徊している、そして遭遇した、もしくは、しかけた。


 偶然で片付けられるレベルを超えている。

 何か陰謀めいた事態が進んでいると考えた方がこの状況にも納得がいった。


「つっても、やっぱりそんなのあり得ないし……」


 そんな結論に至りかけた袈刃音の意識と視線は、唐突に、一つの場所に縫い付けられた。


「あれ…?」


 最初は小さな違和感からだった。

 しかし、違和感は確かな疑念へと変化したのだ。

 視線の先、斜め数十メートル前方にあったはずの本屋のシャッターが下りていた。


 


「あそこ…行ってみるか」


 もっとも、袈刃音が近付いてシャッターを持ち上げようとしても、全く上がりはしなかった。


「バールでじ開けるか?…いや、それだとゾンビが寄って来るし……。――ん?」


 顔を上に向け唸っていると、不意にとある事に気付いた。

 シャッターの閉まっている本屋は、丁度ショッピングモールの出口前の真横にある。


 そして、ここの本屋はそれなりに広く、その奥にある読書スペースには窓として巨大な透明ガラスが二段に分けて張られており外の様子を見る事が出来る。


 直ぐに出口へ向かい外に出て確認すると、やはりガラス窓から本屋の様子が確認できた。


「あぁッ…けど、見えてんのはほんの一部だけだ。チクショウ」


 何とかして中へ侵入したいのだが、無理だ。

 一応、方法がない訳ではない。

 二段に張られた巨大なガラス窓達の内、一組のガラスが割れていたのだ。そこからならば中に入れる。とはいえ、窓までの高さは……。 


「大体四メートル越えだろ?……ざっと、走り高跳びの世界記録よりチョイうえくらいか」


 というのは、袈刃音の足りない知識によるお粗末な見積もり。


 走り高跳びなら、実際には世界記録を一メートル五十センチ以上も更新する必要がある。


 無論、それ程高く飛べなくとも、助走をつけてから2メートルと少しのジャンプを決め込めば2段目の窓の窓枠に手が届き、懸垂の要領で登れなくもない。


 が、どちらも一介の高校生程度に出来る芸当ではないし、もし出来たのであれば袈刃音はイジメられてなどいない。


 兎も角、現実的でない話である為、袈刃音は早々に諦めた。


 ――人間離れした筋力さえあれば楽なんだけどな……。


 そして、ダメ元で【ポイント】を使って筋力を手に入れられるか確認してやろう、なんて純度百パーセントの冗談が一瞬浮かんだ結果だった。


「いやいや、流石にそれは無理だろ――って……へ?……………?」

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