第30話 人間界にて

 リリアたちが人間界から去って数日が経った。リリアたちが去ってからと言うものの、江口荘はどこか静かだった。


 もちろん、それは食事時でも例外ではない。


「「「「……」」」」


 完全なる黙食。珍しく全員が揃っていると言うのにこの有様である。


「たくみっち、なんか暗くない?」

「俺はインキャだから暗いのがデフォです。ほっといてください」

「いやたくみっちのことじゃなくて笑。雰囲気よ雰囲気」

「あ、そっちでしたか」


 沈黙に耐えきれなくなったか、由梨さんが話しかけてくれた。一瞬煽られたのかと勘違いしてしまったが。


「やっぱりリリアちゃんたちいなくなったのキッツイよねぇ」

「えぇ……みんなも相当ショックを受けたでしょうね……」


 江口荘の主である楓さんでも落ち込みを隠しきれていなかった。美味しい美味しいとご飯を食べてくれた人、いや淫魔がいなくなったのは応えたらしい。


「あーあ、どっかの誰かさんがちゃんとリリアちゃんたちが魔界に帰ることを伝えてくれたらお別れ会とかできたのにねー」

「うぐっ……」


 恭子のヤロウ……まだその失敗を擦ってきやがる。


「まぁまぁ、拓巳も悪気があったわけじゃないって。それにリリアちゃんたち、また来てくれるって言ってたんでしょ?」

「あぁ。そう言ってくれたよ」

「じゃあいつよ?」

「それは……分からんけども」

「使えないわね」


 ゴミを見るような目で見るんじゃない。


「ごちそうさま」

「お粗末様でした。拓巳さん、今日は打ち合わせでしたっけ?」

「はい、編集者さんと。今後について話していきたいので」

「分かりました。これ、お腹空いた時食べてください」

「え、今食べたばかりでお腹はすかないと思う──」

「どうぞ、遠慮なく」

「あ、はい」


 俺は圧に屈しておにぎりを受け取った。今日は編集の中山さんに今後の漫画についてアドバイスをもらいに行く。


「……俺も頑張るからな」


 この場にいない淫魔に向けて、俺は一人宣言するのだった。



「ふぅ、終わった」


中山さんと色々と話して、すっかり日も暮れてしまった。

今後は純愛系を描くペースが落ちるだの、別のジャンルにも手を付けてみるだの、成年誌の締め切りだの。


「中山さん、一旦熱が入るととんでもないくらい長引くんだよな……。まぁそれだけ手掛けてもらってるのはありがたいけど」


少しの愚痴をこぼして、帰りの電車へと乗り込んだ。



「ただいま~」


誰の出迎えも期待してないが、一応ただいまと言っておく。

しかし、この日は騒がしい出迎えがあった。


「たっ、拓巳! 大変だ!」

「聖也? どうしたんだよそんな慌てて」

「と、とにかくこっち!」

「ちょ!? 引っ張んなって!」


聖也に強引に連れられたそこには、客間のテーブルの前で苦い表情をした恭子、由利さんが立っていた。


「どうしたんだよ、みんな集まって……」

「これ、見なさい」


恭子が顎でテーブルの上に置いてあった紙を指した。


『江口荘解体作業予定日』


「な、なんだこれ……!?」

「見てのとおりよ、ここの解体予定日」

「いやぁ、私が掃除当番だったから掃除してたらたまたま見つけちゃってさぁ……私たちどっか行かなきゃならんくね?」

「まぁ、取り壊されるのであればそうですね……」


頭の中が真っ白になる。

次に思い出されるのはリリアとの思い出だった。

それはこの江口荘から始まった。そして、その思い出を再び増やそうと誓い、再開の場所もここだと約束したのに。


「な、何かの間違いだろ、きっと!」

「拓巳……」

「だ、だって楓さんから何も聞いてないじゃないか! こんな大事なこと、もっと前もって言われるはずだろ!? この建物は確かに古いけど、何も取り壊しが必要なほど老朽化してないし、それに、ここはリリアと──」


「ついに見つけてしまいましたか」


不意に、後ろから声を掛けられた。


「か、楓さん!」


それは今にも泣きだしそうな顔をした楓さんだった。


「ごめんなさい。もっと早く、言っておくべきでしたね。その紙に書いてあることは、事実です」

「……じゃあ、本当にそうなの? この江口荘は……」

「……ごめんなさい」


そう言って、楓さんは俯いてしまった。その姿で、俺たちは察してしまった。これは冗談ではないのだと。


(リリア……)


手が痛いほどに拳を握る。そして魔界にいるはずの彼女に、心で呼びかけ、誓う。

俺たちの元居た場所が無くなっても、絶対に、キミを待ち続けると。

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