第29話 淫魔と魔界にて

 魔界の館。魔界で有数の建造物であり、館は権力の象徴でもあった。その館で、淫魔のリリアは深い眠りから目を覚ました。


「ん……うぅ……ん」


 目を擦りながら、体を起き上がらせる。ベッドでぐうたらすることなく、身支度をして部屋を出る。


 魔界に戻ってきて、1週間が経った。もう魔力はほとんど回復している。人間界に戻るまで、そう時間はかからないだろう。


 今日は人間界に戻ることを両親とじっくり話そうと決めた日だ。より一層身支度には気を使ったが、それでも余裕を持って部屋を出ることができた。


「あ、おねーちゃんおはよー」

「おはようございます。寝癖、ちゃんと直した方がいいですよ」


 ぴょんぴょんとあっちこっちに髪が跳ねている。起きてからセットしてないのだろう。


「これがトレンドなんだよ〜」

「またいいように人間界の言葉を使って……」


 リリイもすっかり人間界の虜のようだ。戻れるのを待ち侘びているのはリリアだけではなかったようだ。


「姉様を起こしにいきましょう」

「えー、それはメイドのサロメが適任でしょー」

「サロメさんだけだと手間をかけちゃうでしょ。姉様、朝はかなり弱いし……」


 二人でリリスの部屋の前へ行く。


「お、お嬢様……そこは……あっ!? だ、ダメです……! し、使用人に対してこのような……」

「「……」」


 部屋からは艶かしい声が聞こえてくる。


「お楽しみみたいだし、起こさなくてもよくない?」

「だ、ダメです。それに、サロメさんきっと大変なことになってますよ」


 リリアは扉を開け、中の様子を確認した。案の定、大変なことになっていた。メイドであるサロメとパジャマ姿で寝ぼけたリリスがくんずほぐれつ。絡みに絡み合っていた。


「うにゅ……」


「はぁ……! はぁ……! あっ! リリアお嬢様、リリイお嬢様! 違うんですこれは……! はぁ……! はぁ……! 私は、決してリリス様とまぐわうつもりは……あぁ! そこは、そこだけはっ!!!」


「わ、分かってますから。もう、姉様。早く起きてください」

「……うにゅ?」


 ぼんやりとした目のリリスと、ばっちりと開いたリリアの目があった。その瞬間、今までの寝ぼけまなこが嘘のようにリリスの目がかっ開いた。


「り、リリアっ!? ず、随分と早いのね!?」

「いつも通りの時間ですけどね……」

「え、えーっとこれは違うのよ? 私は決して朝に弱いわけじゃなくて……ってあら? ちょっとサロメ。また私のベッドに潜り込んで……」

「あ、あぁ……! 申し訳ありませんリリス様ぁ……」


 おでこを床につけて謝るサロメに、リリスは顎を持ち、顔をあげさせた。


「全く、だらしない顔ね。その顔を見せるのは、私たちだけにしておきなさい。お父様やお母様にバレたら大変だわ」

「ん゛ん゛っ……! はぁ……はぁ……か、かしこまりましたぁ……」

「うわー、相変わらずサロメってば変態〜。生きてて恥ずかしくないのかな?」

「でゅふ……! 生きてて申し訳ありませんリリイお嬢様……!」

「ちょっとリリイ。サロメさんに失礼ですよ。サロメさん、いつもすみません。困ったことがあったらちゃんと言ってくださいね?」

「いえ滅相もございません。何一つ不満なく……むしろ夢見心地で勤めておりますので……。むしろリリアお嬢様も、私に至らない点がございましたら何卒罰を……」

「そ、そうですか……?」


 淫魔3姉妹のメイドであるサロメ。彼女は生粋のドMなのであった。



 リリアたちは食卓に座り、少しすると母のティアと父のサタンが食卓に現れた。


「さ、お食事にしましょう」


 ティアの一声で、食事が始まった。食べ始めてすぐに、ティアから声がかけられた。


「リリア、もう体調は大丈夫なの?」

「はい。もうほとんど魔力は回復してます」

「良かったわぁ。一時はどうなることかと」

「すみません。お母様、お父様」


「全くだ」


 サタンの低い声が食卓に響いた。一瞬だけ緊張感が走る。


「ちょっとあなた……」

「……私はなぁ、もう心配で心配で……人間界を壊そうかと思ったぐらいなんだぞ!?」


 涙と鼻水を垂らしながらとんでもないことを言い出した。


「そ、それはやめてください!」

「もう、そんなことしたら許しませんからね?」

「はっはっは。冗談冗談。それはさておき、リリア。私たちに言いたいことがあるんじゃないかな?」


 先程までのヘラヘラした表情から一変して、真面目なトーンになった。リリアも気を引き締め、本題を話した。


「もう一度、人間界に戻らせてください」


 無理を言っているのは重々承知だ。一度人間界に行って死にかけているのだ。そう簡単に行かせてもらえるとは──。


「いいわよ」

「いいぞ」


「え、えぇ!?」

「お、お父様お母様! いいんですか!? 考えなしに発言してませんか!?」

「おいおいリリス。今まで父さんが適当な発言をしたことがあったかい?

「大体いつもしてるじゃないですか……」

「ねぇママ。本当にいーの?」

「えぇ。リリアちゃんがここまで本気でわがままを言うなんて、初めてでワクワクしちゃうわ。でも、条件をつけます」

「条件、ですか?」

「うん。魔界に自由に戻ってこられるよう、練習すること。今回は急遽リリスちゃんに向かってもらったわけだけど、いつまでも面倒を見てもらうわけにはいかないしね」

「お、お母様。それはかなり難しいのでは……」


 3姉妹の中でリリスだけは条件の厳しさを理解していた。魔界を自由に行き来する、それは人間界と魔界の空間の境目を突破する膨大かつ安定した魔力を必要とするからだ。


 下手をすれば境目に留まる事だって有り得る。リリアとリリイはティアに転送魔法をしてもらう事でしか、人間界には行くことができていなかった。


「それぐらいはできてもらわないと、私たちも安心して送り出すことはできないわ」


 うんうんとサタンも頷く。


「どう、リリア? 無理そうなら、時間をおいてからでも──」

「やります!」


 即答だった。


「決まりね。それじゃリリスちゃん、指導役はよろしくね」

「もう……勝手なんですから……」


 こうして、リリアの修行が始まるのだった。



「それじゃ、始めるわよ」

「お、お願いします」


 食事を終えたのちに、中庭でリリスの稽古が始まった。


 第一段階として、転送魔法、つまり”ゲート”を開く手順を教わり、出せるようになるまで特訓する。


 第二段階はゲートが出せるようになったところで、自分の思い描いた場所へと移動できるようにする。


 第三段階で移動する時間を縮められれば、完璧だ。


「どう? できそう?」

「や、やってみます!」


 リリスを真似て、魔力を込めて両手を前へ向ける。しかし、何も起こらなかった。


「で、できません……」

「難しいと思うけど、大事なのはイメージと欲望よ」

「イメージと欲望……」

「どこに行きたいか、行って何をしたいか、それらを強く思って魔力を込めて、門を開くイメージを持つの」

「わ、分かりました。やってみます! イメージと欲望、門を開く……イメージと欲望、門を開く」


 その後何回か試したが、ゲートが出ることはなかった。


「イメージと欲望、門を開く……イメージと欲望、門を開く……」

「……ま、まぁ私もできるようになるまで1ヶ月かかったし、慣れるまでは時間がかかるのはしょうがない──」

「できました!」

「うんうん、できました──ってえぇ!? できましたぁ!?」


 見ると確かに、リリアの目の前にはゲートが開いていた。それもかなり大きい。1人分ではなく、2人分移動ができそうなほど大きなゲートだった。


「やりました! やりましたよ姉様!」

「(も、元々魔法の才能はあると思ってたけど、まさかここまでとは……何が原因か分からないけど、急激に成長しているわね……)」

「……? 姉様?」

「い、いえ! 何でもないわ。それより本当にすごいわリリア。大丈夫? 疲れてない?」

「はい、まだまだいけます!」

「そ、そう……」


 本当に大丈夫らしい。リリアの成長が末恐ろしくなるリリスだった。



 結果、その日は2段階まで進めることができた。まだ安定はしないものの、5回に2回くらいは思い描いた場所へと転移できるようになっていた。


「も、もうクタクタですぅ……」


 その場へとへたり込むリリア。ほとんど休憩なしで魔法を連発していたので無理もない。


「(ま、まさか2段階目まで……それに、何回か成功してる……。私でも1年はかかったわよ……!?)」


 意を決して、リリスはリリアに問いかけた。


「リリア。あ、その姿勢のままでいいから聞いてちょうだい」

「はい?」

「正直、今のリリアはかなりすごいわ。私が今のリリアぐらいに魔法を使えるようになるまで1年はかかったもの」

「そ、そうなんですか?」

「えぇ。だから、純粋に興味があるの。何か魔法を唱える時、イメージしているものは何かを、何があなたを、そこまで成長させるのかを」

「えぇと……」


 急にモジモジとし出すリリア。そして、頬を指で描きながら照れ臭そうに言った。


「タクミさんのところに早く戻りたい、って思いながらやってました。えへへ」

「……」


 健気ッッッ!!!


 リリスは思わず吐血していた。


「お、お姉様!? 血が出てますよ!?」

「はっ! ごめんなさい、つい。我が妹ながら、あまりにも尊い存在だと思って」

「は、はぁ……ありがとうございます?」

「そう……あの人間のことをね」


 人間界を去る間際のことを思い出す。初めて会って、ほんの少しの時間しか話していないのに、拓巳の顔は鮮明に思い出せた。


 今まで出会ってきた雄など名前すら忘れていることがほとんどだった。が、拓巳の事だけは名前、顔、発した言葉の一言一句思い出せた。特に別れ際の言葉が強く記憶に残っていた。


「……何でかしら」

「姉様、どうかしましたか?」

「い、いえっ!? 何でもないわ。さ、今日はもう疲れたでしょ。明日も練習するのだから、きちんと休みなさい」

「はいっ」


 こうして、順調にリリアの魔法修行は進んでいった。

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