第19話 淫魔と遡及
「う……」
目を開けると、見慣れた天井があった。それで自分の布団の上で目を覚ましたのだと分かった。
「あれ……俺、どうして……」
おかしい。布団に入って寝る前の記憶が曖昧だ。
「気がつきましたか?」
「え……リリ、ア……?」
「はい」
手がリリアの手で優しく包まれている。どれくらいそうしていたのだろうか。悪魔のくせに、聖母のような顔つきに見える。
「なんで俺の部屋に……ってそれはもういつものことか。それより、俺どうして布団に──」
そこまで言って急に記憶が蘇ってきた。悪夢続きで心身ともに疲弊していたこと。炎上するような漫画を描いてしまったこと。中山さんや、楽しみに待っていてくれた読者、全ての期待を裏切ってしまったこと。
「あぁ、いや、言わなくていい。思い出した」
「……タクミさんの部屋で大きな音がしたから。私が飛んで窓から入って、そしたらタクミさんが倒れてて、それで……」
事情を話しているミリアの表情がみるみる泣きそうな表情に変わっていく。
「タクミさん、最近とても疲れてるみたいだから。何か力になりたかったけど……私、全然ダメダメで……。こ、こういう時、淫魔ならえ、エッチなことをして男性を慰めるんでしょうけど……それもできなくて」
「……それは俺が条件出して防いでるからだろ」
「童貞を奪う以外でも、タクミさんを癒すことはできたはずです。カエデさんはすぐにお医者様を呼んで栄養のありそうなものを作ってました。恭子さん、聖也さんもタクミさんが倒れた時にすぐに原因を特定して、タクミさんを介抱して、それで……
それなのに、私は……」
リリアの目からボロボロと涙が溢れでる。目が腫れている。きっと1度や2度ではない。俺が目を覚ますまでもたくさん泣いていたのだろう。
俺のために泣いてくれる子がいるなんて、思いもしなかった。そして、その様子を見ると自然と言葉は口に出していた。
「……ひどいこと言って、すまなかった」
「いえ、タクミさんは何も──」
「俺が悪いに決まってるだろ。そこで否定するとか、本当に悪魔か?」
「……れっきとした淫魔ですもん」
ぷくっと頬を少し膨らませる。それが可愛くて、つい顔がにやけてしまった。
「……ふふっ、気持ち悪い顔になってます」
「わ、悪かったなキモくて」
「ふふっ、あはは」
「……ははっ」
久しぶりに笑った気がする。今まで悩んでいたことがバカみたいだ。
そして、改めて事情を説明することにした。
「元はと言えば、俺がしょうもない悪夢をみて腐ってたのが悪いんだよ」
「悪夢、ですか?」
「あぁ、昔の記憶の再現、って言ったらいいのかな」
「それってキョウコさんが──」
「え? 何で恭子?」
はっと口を手で抑えるリリア。
「い、いや〜。きょ、キョウコさんが悪い夢でも見てたんでしょ、なんて言ってまして〜、ぐ、偶然当たってるな〜と思って〜」
めちゃくちゃ目が泳いでる……。まぁ感の鋭い恭子のことだ。言い当てられても不思議ではない。
「何があったのか、聞いてもいいですか?」
一瞬迷う。話すべきか、どうか。
しかし、リリアの真剣な表情を見て、話すべきか、ではなく話したいという思いに変わっていき、口が動いた。
「……俺な、昔イジメられた事があってさ。その事がきっかけで、女嫌いになっちゃったんたよ」
「そ、そうなんですね……って、もしかしてエッチな漫画の趣向は……」
「……あぁそうだよ。その時だろうな、女の子が恥ずかしい目にあって欲しいと思うようになったのは」
今でこそ大分マシにはなったが、イジメられた当初はかなり攻めた描写も描いていた覚えがある。いわゆるリョナというジャンルに手を出したこともあった。
「結局、昔のこと勝手に思い出して勝手に憂鬱になってこのザマだ」
「タクミさん……」
「忘れられたと思ったんだけどな……」
夢というのは厄介なもので、見ないようにする、なんてことはできない。見たくなくても強制的に見せられてしまう。それは睡眠という人間の機能がある以上、防ぎようがなかった。
「ふぁ……」
無意識にあくびが出た。ここ最近は寝ても寝足りない感じだ。
「あ、すみません。私が起こしてしまったばっかりに」
「いや、いいよ。それに……いや、なんでもない」
「教えてください」
「いや、本当になんでも──」
リリアの真っ直ぐした目でじっと見つめられる。隠し事はできそうにない。
「……眠るのが怖いんだよ」
「……」
ぽかーんとリリアは口を開けたままだ。
(え……何それ可愛すぎません……? や、やばいです……なんでしょうこれ……今すぐにでもタクミさんを抱きしめて襲いかかりたくて仕方ないんですけどぉ……!)
「待て、何もいうな。わかってる、どうせ子供っぽいって言いたいんだろ」
「い、いえ! そんなことはないです決して!」
「そ、そうか……なんか息荒くない?」
それにしても恥ずかしすぎる。この年になって悪夢が怖いなんて言う日が来るとは。
「あ! じゃ、じゃあ子守唄を歌ってあげますよ!」
「いや、そもそも眠るのが嫌なんだが……」
「ゆ、夢は眠りが浅い時に見るってテレビでやってました! つまり、眠りが深ければ夢は見ずに済むんです!」
「む……」
確かに、俺もネット記事で見たことがある。レム睡眠、ノンレム睡眠だとか。よく分からんけども。
軽い睡眠薬なら試してみたが、それでも悪夢はみてしまった。子守唄程度でどうにかなるとは思えないが、藁にもすがる思いで頼むことにした。
「こほん……じゃあ、歌いますね」
淫魔の子守唄ってどんな歌なんだ? 少しワクワクしながら耳を傾ける。
「ねんねよ〜、ねんね〜」
おぉ、意外に普通。どの世界でも子守唄というのはリズムや歌詞が似ているのかも──。
「だんじは〜ねらいをとぎすませ〜じょじは〜いまかいまかとまちわびて〜」
「ん……?」
「チョメチョメチョメチョメチョメチョメチョメチョメ〜(自主規制)」
うわぁ……生々しすぎる……なんだこの歌詞……まるでアダルトビデオの一挙一動を解説されているかのようだ。こんなの聞かされて眠るどころか違うところが起き上がってしまうのではないか?
しかし、いまこの状況でせっかくリリアからの申し出を断りづらい。心を無にして目を閉じた。
「チョメチョメ〜、あ、眠りましたか?」
まだ眠っていないけれど、歌が止まったのでヨシ。
「……ゆっくり眠ってくださいね」
ゆっくりと頭を撫でられる。優しく、労ってくれる。そして段々と心地よくなり、意識は落ちていった。
「おねーちゃん。おにーさん起き──」
「しーっ」
リリアが人差し指を立てた。
「今眠ったところです」
「えー、アタシもお話ししたかったのにー」
ぶーぶーと口を尖らせるリリイ。すっかりタクミに懐いてしまって微笑ましい反面ハラハラもしてしまう。
「……リリイ。タクミさん、悪夢を見るみたいなんです」
「へ? 悪夢?」
「はい。過去の嫌な出来事を思い出す夢だとか」
「……ふぅん」
「私、タクミさんを助けたいんです」
「でもどうやって?」
「私たち淫魔には、人間にえっちな夢を見せる催眠魔法があります。その魔法でタクミさんの悪夢を上書きして、タクミさんを癒してあげるんです」
「おー! そっか! おにーさんの夢の中に入ってあげるんだねっ!」
「でも私は使えませんっ!」
「ってダメじゃん!」
思わずずっこけてしまったリリイ。やれやれと頭を抱える。
「そういえばおねーちゃん魔法ダメダメだったね……」
「えっと……ちなみにリリイは……」
「アタシ? できるっちゃできるけど……人間相手に試したことはないかも……」
「お、教えてくださいっ! 私、タクミさんのために何かしてあげたいんです!」
「……にひひっ。おねーちゃん、本気だね」
リリアの目は真っ直ぐとリリイを見ていた。いつもの姉とは違う姉らしくカッコいい一面を見て、リリイは少し嬉しくなってしまった。
「いーよっ! 教えたげるっ!」
「あ、ありがとうございます!」
「って言ってもおねーちゃんもどうやるかは知ってるよね?」
「そうですね。学校の授業で教養はありますけど……」
「じゃあ後は感覚だけだね。コツはねぇ……」
リリイはリリアの耳元に近づき、囁いた。
「その人をエッチにさせたぁい、って気持ちが一番かな♡」
「~~~っ!?!?」
「あははっ、おねーちゃん顔真っ赤だよ!」
「も、もうっ! からかわないでくださいっ!」
「えー、ほんとの事なんだけどなぁ」
リリイはヨイショと言って立ち上がった。
「さて、お邪魔虫は退散するね」
「え、い、行っちゃうんですか?」
「おねーちゃん……ここまできてヘタれるのは無しね?」
「う……分かってますよ」
「おにーさん、助けたいんでしょ?」
その問いに、リリアはゆっくりと頷いた。
「……はい。ありがとう、リリイ。私、やってみます」
「よかった。今回はおねーちゃんに譲るけど、次はアタシだからね♡」
「そ、それはっ……!」
「あははっ、期待してるからねーっ」
すたこらさっさとリリイは部屋から出て行った。
「全くあの子は……」
ふぅ、と一息ついてから寝ている拓巳に向き合う。拓巳の表情はどこか苦しそうにも見える。既に悪夢を見ているのかもしれない。
「私が、助けますから」
拓巳の胸に手を置いて、神経を集中させる。拓巳の心臓の鼓動を感じる。自分の鼓動を拓巳の鼓動のリズムと同じにする。そして、重要なのは──。
「(え、えっちになぁれ……! えっちになぁれ……!)」
目を閉じながら念じる。そして、目を開けた次の瞬間、そこは自分がイメージした癒しの空間が形成されて──。
「あれ?」
いなかった。目の前に広がっているのは見たことのない整備された道路。
「え、えぇ〜!? こ、ここ、どこですか!?」
リリアには全く覚えがなかった。少なくとも人間界という事は分かる。後は考えられるとすれば──。
「……おねーさん、何してるの?」
「っ!?」
声のする方へ振り向くと、幼い拓巳の姿がそこにはあった。
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