第7話 淫魔との契約

「ったく……あの淫魔め」


 結局、あの後はコンビニまで行って飯を買うことになった。たまに食べるコンビニ飯ってなんであんなに美味いんだろうか。楓さんに見られると怒られるんだけどね。


「さて、描きますか」


 今日も今日とて漫画原稿に手をつける。描き始めて数分経った頃、部屋の扉が叩かれた。


「た、拓巳さん。今いいですか?」

「ん? どうかしたか?」


 声の主は今日俺の朝飯を貪り尽くしたリリアだ。その声は少し震えているように聞こえる。


「け、今朝のことを……謝りたくて」

「……いや、いいよもう。楓さんの朝食は明日にでも食べられるし」

「い、いえ。謝らせてください。私の気が済まないので……」


 呆れ果てるほど真面目な淫魔である。しかし、俺も原稿を進めている最中だ。筆も調子良く進んでいるし、作業を中断したくはない。


「あー。扉は開いてるから勝手に入ってくれ」

「し、失礼します……」


 ガチャ、と扉が開き、バタンと扉が閉まる。

 ガチャリ。

 ガチャリ? なんか鍵を閉めるような音が聞こえた気が──。


「おい、なんで鍵閉めて……ってうぉい! なんて格好してるんだよ!?」


 リリアの格好は生まれたままの姿にエプロン1枚を羽織っただけ、いわゆる裸エプロンをしていた。


「しゃ、謝意を全身で表現しようかと……」

「せんでいい! というかなぜ裸エプロン!?」

「手っ取り早く童貞をもら──ではなく、ご奉仕するにはこの格好が一番かと……」

「欲望がダダ漏れてるじゃねぇか……!」


 鍵を閉めたのも俺を逃さないためか。先に退路を断つとは……こいつ、できる!


「おい、そこを一歩も動くなよ」


 俺も椅子から立ち上がり中腰になる。飛びつかれても避けられるように、一応構えだけは取っておく。


「う、動かなければ奉仕できないじゃないですか」

「動いたら……大声を出して助けを呼ぶぞっ!!!」

「えぇ……」


 男としてあるまじき行為だということは重々承知の上だ。


「そしたら楓さんが駆けつけてくるぞ」

「うっ……」


 そう、リリアさんは楓さんを苦手としている。楓さんが来てくれればリリアも弱体化し、この状況を打破できるだろう。


「さ、観念して帰ってくれ」

「ぐぬぬ……じゃ、じゃあ! 楓さんを呼ぼうとした瞬間に、私は拓巳さんのパンツを奪い取りますっ」

「は……?」

「楓さんに痴態を見せることが、あなたにはできますか?」

「……」


 想像してみる。自分が楓さんの前で自分のムスコを曝け出している姿を。


「……一時休戦といこうじゃないか」

「不本意ですが……了承しましょう」


 こうして、部屋に裸エプロンの淫魔と童貞という世にも奇妙なシチュエーションが出来上がってしまった。


「ま、邪魔だけはしないでくれ」

「教典を書いてるんですか?」

「漫画な」

「へぇ……これってデジタル? って言うんですよね? 文明の利器ですよねぇ」


 ひょっこりとリリアに原稿を覗き込まれる。肩に手を乗せるな。胸を押し当てるな。いい匂いをさせるな。


 そんな距離感がバグっているリリアの顔がみるみる引き攣っていく。とてつもないデジャブを感じる。


「また女の子を辱めるものを描いてるんですか……」

「前にも言ったが、最終的にはハッピーになってるんだよこれは」

「邪教ですね」

「邪教!?」


 そこまで言われるとは。まぁ確かに、普通の性行為とは違っていることぐらい俺も理解はしている。


「……あ!」

「ん?」


 リリアの視線の先にはリリアが考えて俺が描いた漫画があった。くそっ、別ウインドウで開いてしまっていた。


「これ! 描いてくれたんですか!?」

「……たまたま暇だったからだ」

「うわぁ……私のイメージぴったりです! すごいすごい! やはり伝道師だったんですね!」

「違うが」


 どうやらこちらは大層気に入っていただけたようだ。リリアの妄想をできるだけ忠実に再現した結果なので、喜ぶのは当然と言えば当然だが、ここまでぴょんぴょん跳ねて、犬のように尻尾もフリフリして喜ばれるとは思わなかった。

 跳ねるたびに発生する乳揺れに思わず視線が持っていかれてしまう。


「あれ、ここまでですか? 続きは描かないんですか?」

「ぐっ……」


 痛いところを突いてきやがった。


「ま、まだ考え中だからな」

「あ、そうなんですか。次はいつ頃になりそうですか? イメージはできてるんですか? インプットは十分ですか?」

「う、うぜぇ……! 編集者かお前は……!」

「むぅ〜。続きが見たいからしょうがないじゃないですか」

「あのなぁ……! そもそもシナリオが思いつかないんだから描けるわけ──あ」

「……? 思い、つかない? それって……もしかして……」


 にんまり、とリリアの口角がゆっくりと上がっていく。今までで一番悪魔的な顔をしている気がする。


「あれ? あれれ? 思いつかないってことは……何描いたらいいか分からないってことですよねぇ?」

「……」

「それってぇ、拓巳さんが童貞であることが原因でもあるんじゃないですかぁ?」

「……」

「そ、こ、で。私がいるじゃないですかぁ。私で童貞卒業してしまえば万事解決。拓巳さんは漫画も描くことができる。一石二鳥。いや、百石千鳥じゃないですか? そうと決まれば早速──」


「あまり偉そうな態度を取るなよ?」


「へ……?」


「お前を、レイプ漫画のヒロインにしてやろうかああああああああああああ!!!」


 そう言って俺は速攻で筆を手に取った。頭をフル回転させ、エロ漫画の展開を即座に構築。目にも止まらぬ速さで淫魔が辱められる絵を描き起こしていく。手が……脳に追いつかねぇ……っ!


「わああああああああ!!! な、なんて恐ろしいことを!!! や、やめて! やめてくださああああああああい!!!」


「うるせええええええええ!!! 俺は純愛漫画が描けずとも、このエロ漫画があるんじゃああああああああい!!!」


「うわああああああああ!!! は、早い! 速すぎますってぇ! あ、もう導入シーンが終わろうとしてる!? やめて、お願いですからあああああああああ!!!」


 俺の筆の調子は絶好調。このままエロシーンに突入するその時だった。


「うるっさああああああああああああああああああああああああああい!!!」


「へぶぁ!?」


 突如、俺の部屋の扉が開かれたと思ったら頭に衝撃が走った。


「いってぇぇぇ……こ、これはペンタブのペンか……」


 投げつけられたのはペンタブとセットになっているペンだった。もはや頭に突き刺さったんじゃないかと思うぐらいの威力だった。


「こっちは締切前でイライラしてるってのに、うるさいわよクソエロ漫画家! 黙ってエロ漫画描いてなさいよボケ! 死ね!」

「うわ……口悪ぅ……落ち着いてください崇高な少女漫画家である木山恭子大先生」

「殺すわ」

「すみません冗談です許してくださいペンを突き刺そうとしないでください」


 これはかなりの修羅場とみた。きっと徹夜して寝てないんだろうな。


「……あら?」

「た、助かりましたぁ……」


 そうだった。恭子はまだリリアと顔を合わせていなかった。恭子は上から下まで舐めるようにリリアを見ているが──あ。


 今のリリアの格好、裸エプロンじゃん。裸エプロンの少女と童貞が一つの部屋で騒いでいた。事実だけ並べたらこれは……。


「通報するわ」

「待てい!」

「もしもしおまわりさん? いい年した童貞がいたいけな少女にとんでもない格好をさせているんですけど……」

「おーい! 洒落になってないからやめろぉ!」


 ふぅ、と一呼吸おいて耳からスマホを離してくれた。どうやらタイーホは免れたらしい。


「ま、あんたに犯罪やらかすような度胸ないか」

「そうだ、よく分かってるじゃないか」

「胸張るところじゃないでしょ、全く。てっきりエロゲのキャラと対話してるのかと思ってたわ」

「そこまで落ちぶれてないからな。まぁエロゲのキャラみたいなやつとは話してたのは事実だが」

「ちょっと、誰がエッチなゲームのキャラですか」

「お前じゃい」


 裸エプロンで迫ってくるやつなど現実世界にいてたまるか。


「初めまして、私は木山恭子よ。あなたがリリアさんね?」

「は、はい。あの、どうして私の名前を?」

「楓さんから聞いたの。新しい入居者がいるって。女の子って聞いてたから、釘刺しとかないとなって思ってたとこよ」

「もう刺されたんだが。物理的に」

「何か困ったことがあったらすぐに言ってね?」

「は、はい! ありがとうございます!」


 リリアと恭子は仲良く握手をしていた。今までで一番普通の挨拶を交わしている気がする。


「それで、ちょっと聞きたいんだけど……リリアさんって、本当に人間じゃないの?」

「はい。私は淫魔、サキュバスですよ」


 その証拠に、と言わんばかりに恭子に角と尻尾と羽を見せた。


「俄には信じ難かったけど……嘘じゃないみたいね」

「そうです、正真正銘サキュバスですよ」

「ふむ……真面目系の淫魔、ね。ふーん、エッチね」

「え?」

「あ、こっちの話よ。気にしないで」


 その時、着信音が鳴り響いた。俺のスマホか? と身構えてしまったが、恭子のスマホからだった。


「げっ……編集さんだわ」


 そういえば締切が近いと言っていたな。ゆっくり話している場合じゃなさそうだ。


「ごめん、リリアちゃん。また今度ゆっくり話しましょ」


 そう言って恭子は部屋を後にした。


「キョウコさん……! 大人の女性って感じがして素敵です!」


 どうやら恭子はお気に召したらしい。まぁここに住んでいる女性陣では常識的な方だろう。


「さて、俺も仕事に戻るとするか。ほら、お前ももう帰れ」

「でもまだ搾精が……」

「搾精って言っちゃったよ。今朝のやったことに対しての謝罪はどうしたんだよ」


 やはり油断できん。早々にお帰りいただかなくてはと思った瞬間、俺のスマホが鳴り出した。


「げっ……中山さんか」

「キョウコさんと同じ反応してますね」

「漫画家は編集者からの電話には『げっ……』って言ってしまうもんなんだよ」


 スマホの応答ボタンをタップする。


「もしもし」

「先生。考えていただけましたか。純愛モノ」


 やはりその話か。もう何度聞いたか分からない問答だ。


「中山さん、その話はもう──」

「いや実はですね……私の頭が上がらないほどのお偉いさんがですね……貞王先生の漫画を大層気に入っておりまして」

「はぁ」

「ぜひ、書籍化したいと言ってるんですよ」

「書籍化ぁ……?」


 そいつ正気か、と思った。SNSにあげたのはほんのワンシーン。書籍化の話が出るにしてはあまりにも早すぎる。


「絶対に売れると言って聞かないんですよ」


「その人適当なこと言ってるんじゃないすか?」


「いや、その人が手がけた作品がですね──」


「ふむ……ふむふむ……なるほど。え、それマジですの? ホントならその人漫画界の神様では?」


 中山さんの口から出た作品名は映像化は当たり前。発行部数100万を超えているような作品ばかりだった。しかもジャンル問わず。成人向けから少年漫画まで完全に網羅していた。


「そうなんですよ。それぐらい凄い人なんです。だから僕も断りづらいんですよ。それに、これはチャンスだと思うんです」

「チャンス……」

「はい。何も成人誌の方はもう描くなと言ってるわけじゃないですしね。……純愛、やってみません?」

「……」


 確かに、ここまでネットで反響のあった漫画だ。書籍化して全く売れないということはないだろう。うまくいけば映像化だって夢ではない。


 チラリ、とリリアの方を見る。呑気に漫画を読み漁っている。俺だけで描けるのなら二つ返事でOKするところだが、そういうわけにもいかない。


「少し時間をください」


 そう言って俺は通話を切った。


「あ、電話終わりましたか?」

「あぁ」


 俺は覚悟を決めた。

 漫画家としてのプライドを捨てる覚悟を。


「リリア。頼みがある」

「な、なんですか急に真面目な顔して……」


 俺は頭を下げた。


「俺に、この前みたいにドキドキするシチュエーションを教えてくれ」

「え、嫌です……」

「即答!? な、なんで!? なんでなんですか先生!?」

「いつの間に先生になったんですか!? 嫌なものは嫌です!」

「理由を教えてくれ」

「だ、だって──」


 モジモジとしだすリリア。ようやく口を開いた。


「は、恥ずかしいですし……そう簡単には教えられません……」

「……」


 ちきしょうっ、不覚にもドキッとしてしまった……! 

 しかしここで一歩踏み出した手前、もはや引くわけにはいかない。

 こっちも生活がかかっている。

 いや、生活だけの話ではない。

 漫画家としてこの先生きていけるか、人生の岐路に立っていると言っても過言ではないはずだ。


「──やる」


「え──」


「童貞をお前にやる、と言ったらどうする?」


 呆気に取られるリリア。あれだけ拒絶していたのに、急に承諾したのだから、無理もないかもしれない。


「では早速──」


 そう言って服を脱ぎ始めた。と言ってもエプロン1枚しかないのだけれど。


「待て待て待て! 早い! 判断が早い!」

「今しか! 今しかないんです! タクミさんがデレた今しか!」

「デレとらんわ! 落ち着け! まだ話は終わっていない!」


 なんとか脱ごうとするリリアを止めることができた。


「ちゃんと漫画のアイデアを教えてもらってからだ。そして書籍化して大売れした暁にはお前に童貞を捧げると誓おう。これは契約だ」


 我ながら酷な条件だと思う。世の一般男性ならばデメリット無しの破格の条件だろう。しかし、童貞を捨てるということは俺にとっても博打の選択だ。童貞を捨てた俺は、果たして成人誌を描くことができるのだろうか。


「どうだ? 少しキツイ条件かもしれない。俺の童貞にそこまでの価値なんてないとは思うが──」


「やります」


「やるの!? え、まじで? もうちょっと考えてから答え出した方が良くない? ほら、初めてなんだしもうちょっと相手を選ぶというかね?」

「なんで提案したタクミさんが日和ってるんですか……。私は淫魔ですよ。精液を貰えるならどんな条件でもせ、精液でも飲んでみせますよ」


「お、おう……。そうか……」


 恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。

 こうして、俺とリリアは契約を交わした。

 俺の童貞を捨てる日が来る、のかもしれない。


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