第5話:再会

 しかしその日、引越し準備のために一度アパートに戻ると「緑! 居るんでしょう!」と、部屋の前から声が響いてきた。母の声だった。思わずエレベーターに戻り、一階を押して閉まるボタンを連打する。一階に着くと、開いた先には元カノが居た。その姿を見た瞬間、私は衝動的に、彼女に抱きついていた。


はな、ごめんなさい。私、昨日、自暴自棄になって、親に自分がレズビアンだってこと話して、死のうとして、叔父さんが助けてくれて、それで……家の前に、親来てて、引っ越しの準備しなきゃいけないし、家の鍵かけてないし、けど、怒られるの怖くて」


「と、とりあえず、こっちおいで」


 彼女はパニックになる私を連れ出して、近くのカラオケボックスに入った。


「歌う気分じゃないだろうけど……とりあえず、個室で二人きりの方が良いと思って。おいで」


 そう言って両手を広げて、彼女はハッとしてそっぽを向いた。


「ご、ごめん。こっちから別れを切り出したのに」


「……ううん。私が悪かった。貴女に甘えて、わがままばかり言って、いつも困らせて……逆に今までよく耐えてたなって思うよ」


「……私が出て行った後、何があったか聞かせてくれる?」


「……もうどうでも良くなって、ナンパして来た男について行ったの。けど……結局、ホテルの前で怖くなって、逃げ出して……帰ったらタイミング悪く、親からメッセージが来たの。『そろそろ彼氏は出来た?』って。自暴自棄になって『自分はレズビアンだから彼氏は作らない』ってメッセージを送って……電話で揉めて……死んでやるって思って家を出て……」


「……うん」


「たまたま通りかかった人に、助けられたんだ。それがたまたま叔父で」


「叔父さん?」


「うん。一度もあったことはなかったんだけど、親戚で集まると毎回話題に上がってた、ゲイの叔父さん。前にも話したけど、倉田家はホモフォビアな人しか居ないんだ。同性愛者であるだけでボロクソ言われる。叔父さんはいつも攻撃の的で『あんな風になるな』ってずっと言われ続けてた。同性愛は悪いことだって、刷り込まれて生きて来たの。だから私はずっと、レズビアンである自分を許せなくて、レズビアンなのに堂々としている貴女に嫉妬した。貴女が眩しくて、羨ましくて、妬ましくて仕方なかったの」


「……そうなんだ」


「だけど、貴女に出会わなかったらきっと、私は今もレズビアンである自分を許せてなかった。だから、感謝してる」


「どういたしまして」


「貴女は私の唯一の光だった。生きる理由と言っても過言じゃなかった。貴女の隣しか、私には居場所が無かったの。だから、貴女が居ないなら、生きてる意味もないって思った」


 鼻を啜る音が聞こえて、ふと彼女の顔を見る。ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていて、昨日あれだけ泣いた私ももらい泣きをしてしまう。彼女の長い腕が私の身体を引き寄せて、彼女の温もりに包まれる。


「華……」


「緑、ごめん。私。家出たあと、ずっと後悔してた。自分から別れを告げたのに、未練たらたらで。依存してたのは、私もだったんだって気付いて。一晩経って、駄目だって分かっててもいても経ってもいられなくて、君に電話をかけた。そしたら、出なくて、もう二度と会えない気がして……ごめん……勝手だって分かってるけど、今私、君が生きててくれてホッとしてる」


 震える声で、彼女は語る。


「私、本当はまだ、緑が好き。けど……私達は少し距離をおくべきだと思う。今一緒に暮らしたら、また喧嘩する日々だと思うから。依存し合う関係から抜け出すためにも、距離を置こう」


「うん……私も、今なら貴女の提案を受け入れられるよ。私は貴女に依存しすぎてしまっていた。だから、少し、熱を冷ますべきだと思う」


「君は叔父さんの家で暮らすの?」


「……うん。そのつもり。華も新しく家探した方がいいと思う。あの家は両親に知られてる。私と一緒に暮らしてたって知られたら、何されるか分からない」


「……分かった」


「ごめんね。華」


「ううん。良いよ。私を愛してくれてありがとう」


「そんなの……こっちの台詞だよ……私は貴女に依存するばかりで、何も出来なかった……!」


「ううん。依存してたのはお互い様だし、私は君からたくさん愛を貰ったよ。君と過ごした日々は、一生残る宝物だよ。今までありがとう」


「っ……」


「しばらくは遠距離で恋愛して、また一から愛を深め合っていこうね。遠距離って言っても、いつでも会えちゃう距離だけど」


「えっ」


「えっ?」


 彼女と顔を見合わせる。


「……私達、別れたんじゃないの?」


「別れたけど……えっ、今の、ヨリを戻す流れじゃなかった?」


「……良いの?」


「私はしばらく距離をおいて、やり直せるならそうしたい。緑は?」


「私は……」


 許されるなら、もう一度彼女と恋人に戻りたい。だけど——いや、彼女がそうしたいと望んでるんだ。なら、私も素直になれば良い。


「私も、許されるならもう一度貴女とやり直したい」


 私が言うと彼女は「じゃあ決まりだね」と優しく笑った。大好きだった彼女の優しい笑顔。久しぶりに見た気がする。たまらなく、心がときめく。初めて彼女に恋をしたあの日を思い出すほどに。

 私の熱視線に気づいた彼女は、私から一旦目を逸らし、もう一度見て、躊躇うようにまた逸らした。それでもじっと視線を送り続けていると、彼女はため息を吐いて、私の方を向き直し、顔を近づけた。目を閉じると、彼女の唇が唇に触れた。初めてキスをした時と同じくらい、ドキドキしている。


「……緑」


 熱に浮かされたような熱い声が、私を呼ぶ。誘われるように、私から唇を重ねる。何度も啄んでいると「止まらなくなるから」と押し返されてしまった。


「止まらなくなって良い」


「良くない。緑、わがままばかり言って困らせてごめんって、さっき反省したばかりだよね?」


「……ごめんなさい」


「うん。私こそごめん。嫌なわけじゃないんだ。ただ、その……今したら、また離れたくなくなっちゃう。……来週、土日のどっちか空いてる?」


「暇だよ」


「うん。じゃあ、デートしよう。行きたいところ考えておいて。また連絡する」


「……もう一回ちゅーしてほしい。……それも駄目?」


「……一回だけだよ」


 そう言って、彼女はもう一度キスをしてくれた。幸せな空気に酔ってもう一度とねだってしまったところで、スマホの着信音が現実地獄に引き戻す。母からだった。


「……緑。アパートに戻るなら、一緒に行くよ。私も休みだし」


「……うん。お願い。ついて来て」


「うん。……とりあえず、電話で話する?」


「……うん」


 恐る恐る、着信に応答する。『あんた今まで何してたの!』と母の怒号が響く。剣幕に気圧され、言葉を失ってしまうと、彼女が代わりに出てくれた。彼女は何を言われても淡々としていた。その姿がかっこよくて、言葉を失ってしまった自分が情けなく思えた。

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