第3話:甘えてくれませんか

 気付いたら私はリビングの椅子でそのまま机を枕にして眠っていた。朝起きると肩にブランケットがかけられていて、出汁のいい香りがした。オープンキッチンから見えた彼の後ろ姿が彼女に重なって、つい「おはよう。はな」と名前を呼んでしまう。「おはようございます」と彼女とは似ても似つかない落ち着いた声で返されて、現実に戻される。


「……すみません」


「いえ」


 その日はたまたま日曜日で、仕事は休みだった。今思えば、話を切り出される前に彼女から『明日は休みだよね?』と確認された。あれはもしかしたら、別れた翌日に仕事に行かなくて済むようにという、彼女なりの最後の気遣いだったのかもしれない。


「せっかくですし、朝ごはん食べて行ってください」


「……」


 家にはもう、誰も居ない。一人になってしまった。寂しい。帰りたくない。ここに居たい。だけど、甘えたらきっと、また依存してしまう。食べたら帰ろう。そして、彼とはもう二度と会わないようにしよう。


「……それであの、良かったらなんですけど。……住みます? ここに」


「えっ……」


「僕も一人で寂しいですから。緑さんさえ良ければ」


 願ってもいない提案だった。私もそうしたいと思った。だけど——


「……遠慮します」


 ここで彼に甘えてしまったら、また依存してしまう。


「……遠慮……ということは、本当は君もそうしたいと思ってるんじゃないですか?」


「……」


「……もう一度言いますね。僕は、一人で寂しいんです。だから、君が居てくれたら良いなと思ってます」


「……哀れんでるんですか。私が、貴方に似てるから」


「そうですね。正直、昔の自分に重ねて同情しているところはあります。エゴかもしれないけど、僕は君を助けたいんです。だからどうか、素直に甘えてくれませんか」


 顔を上げると、彼の真っ直ぐな瞳が私を捕らえた。彼はきっと、この後私が帰ったらもう一度自殺を試みようと考えていることを察していたのだろう。

 死にたいわけじゃない。ただ、楽になりたい。なら、甘えれば良いじゃないか。彼に。いいや、ダメだ。これ以上誰にも迷惑かけたくない。

 そう葛藤していると、彼は私の目の前にご飯を置いた。


「とりあえず、ご飯どうぞ。話の続きは食べてからにしましょう」


 目の前に次々とおかずが並べられていく。


「あ。今更なんですが、アレルギー大丈夫ですか?」


「……大丈夫です。特に何もないです」


「良かった。じゃあ、いただきます」


 彼に倣い、手を合わせてから箸を持つ。白味噌の味噌汁が心に染みて、昨夜あれだけ泣いたのにまた涙が止まらなくなる。

 食事を終えると、彼は静かに私に問いかけた。「君はどうしたいですか」と。どうしたいか。その答えは最初から決まっている。


「……ここに居たいです」


「じゃあ、決まりですね」


「で、でも……!」


「でも?」


「貴方の優しさに甘えすぎて、依存してしまうのが、怖いんです」


「……なるほど。では、同居にあたり、いくつかルールを決めましょうか」


「ルール……?」

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