第2話:倉田家の人間とは思えない人
彼の家は私が住んでいたアパートから徒歩数分圏内にあった。一軒家だ。
「お邪魔します」
「どうぞ」
家に入り、進んでいくと、仏壇が視界に入った。彼はその仏壇を指して「そこに居るのは僕の恋人です」と寂しそうに笑った。仏壇には、人懐っこい笑顔を浮かべた男性の写真が飾ってあった。落ち着いた雰囲気の幸人さんとは正反対で、活発そうな印象を抱く人だった。
「お参りしても?」
「はい。どうぞ」
ろうそくに火をつけて、線香を立てて、お参りをする。お参りを終えて振り返ると、彼が紅茶を淹れてくれていた。
「ありがとうございます」
「いえ。……彼の話をしても良いですか?」
「……はい」
「ありがとう。……彼は僕とは逆で明るくて、彼の周りには性的マイノリティに対する理解がある人も多くて……多分、彼がオープンリーゲイだったのもあると思うんですけど……とにかく、僕とは何もかも真逆な人でした。性格も、環境も」
「……私の彼女もそうでした。レズビアンであることを堂々と公言していて。私はそんな彼女が眩しくて……妬ましくて、大嫌いでした」
「僕もそうでした。彼が眩しくて。当時はまだ、家族の偏見に囚われていた時期でしたから。僕は普通にならなきゃいけない。彼と関わってはいけないって言い聞かせて、彼を避けていました。けど…… 」
「好きになってしまったんですか」
「……はい。それはもう、どうしようも無く、言い逃れできないくらい強く惹かれてしまいました。それで結局、押しに負けて付き合うことに」
気付けば私は彼の話を聞いて笑っていた。幸人さんの恋人の人柄が、あまりにも私の彼女に似ていたから。ひとしきり笑った後、今度は涙が止まらなくなった。私は、人前で泣くことはほとんど無かった。泣くと、いつも両親に叱られた。『泣いたって何にもならない』とか『涙は女の武器なんだから無駄遣いするな』とか。いつしか私は、辛いことがあっても笑って誤魔化すようになった。彼女のおかげで少しは素直に泣けるようになったけど、彼女以外の前では相変わらずだった。
「ごめんなさい。なんか今、凄い、情緒が不安定で」
ヘラヘラしながら、止まらない涙の言い訳を必死に並べる。すると彼は私の頭をぽんぽんと撫でながら言った。
「泣くことは、悪いことでありませんよ。時には涙で悲しみを洗い流すことも、前を向くために必要なことです。好きなだけ泣いて良いんですよ」
彼の優しい言葉が心に染みる。ホモフォビアな思想に塗れた、あの地獄みたいな家の出身とは思えないほど優しい。
「……彼ね、事故だったんです」
「……そうなんですね」
「はい。本当に、突然でした。……病院からの連絡は僕には来なくて、彼のご両親から聞かされました。駆け付けても、家族じゃないからと面会を断られて……何も言えずに、彼と別れることになりました」
よく聞く話だ。
「酷い話ですね」
「……はい。せめてもの救いは、彼のご両親が僕を彼の恋人として認めてくれたことです。『この子はきっと、貴方と一緒が良いだろうから』と言って、彼の骨を僕の家に置かせてくれたり、僕を養子に迎え入れてくれたり……だけど、最期まで僕は彼の配偶者にはなれませんでした。彼の両親の養子になったことで、家族になることはできました。けど、肩書きは配偶者ではなく義理の兄弟です。彼は一つ下なので、彼が弟ですかね」
何もかける言葉が見当たらなかった。沈黙が流れる。
「……以上です。聞いてくれてありがとうございました。緑さんは、何か話したいことありますか?」
「……私……」
「はい」
「……幸人さんのこと、毎年のように親戚から聞いてました。父からは『お前は絶対にあんな風に道を踏み外すんじゃないぞ』って言われて」
「……」
「あ……すみません。聞きたくないですよね。自分の悪口なんて」
「……いいえ。彼らが何を言おうが、どうでもいいことです。どうぞ、続けてください」
「……私ずっと、幸人さんは悪い人なんだって刷り込まれてきました。幸人さんだけじゃなくて……普通じゃないことは、悪いことなんだって。けど、彼女が言ってくれたんです。『普通なんて多数決で勝手に決められた概念でしかなくて、正解ではないと思う』って」
「……なるほど。良い考えですね」
「それで私、目が覚めました。間違ってるのは私達じゃなくて、多様性を否定する社会なんだって」
「……そうですね。僕もそう思います」
「……私、レズビアンで良かったです。あの家の思想に染まりきらなくて良かった」
「……僕も、同じ気持ちです。彼と付き合って、世間の偏見や差別に苦しめられることは多くありました。けど……確実に、世の中は変わりつつあります。良い方向に。この国が変わらなくとも、世界的な規模で変わりつつあります。いずれは、僕らを否定した倉田家の人間や、この国も変わらざるを得なくなると信じています」
「……そうですね。今時あんな考え、古すぎますもんね」
「ええ。時代がもっと進めば、笑いものにされるのは彼らの方になるでしょう。だから僕は、彼らを放置することにしました。わざわざしんどい思いをしてまで正してあげる義理なんてないですから。『いつまで時代に取り残されてるんだ』と笑いものにされ、誰にも相手にされなくなる日が来るまで、せいぜい笑っていれば良いんです」
「……なるほど」
「……彼の受け売りですけどね。けど……それくらい強気で良いと思います。僕らは何も間違ったことしてないですから」
そう言って彼は優しく笑う。やっぱり、彼が倉田家の人間だなんて信じられない。こんな優しい表情をする人があの家の人間だなんて。それを伝えると彼は「僕には、君もあの家の人間には見えないですよ」と言ってくれた。その言葉は私にとって、なによりも嬉しい言葉だった。
その日私は、一日中泣いた。24年間、我慢して来た分を全て出し切るように。
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