私の居場所
三郎
第1話:出会い
その日以上に最悪な一日は、多分この先の人生で二度とないと思う。そう言い切ってもいいほど最悪で、そして、私の運命を変える出会いが起きた日でもあった。
私は
自分がレズビアンだと気づいたのは、高校生の頃。いや、本当は、もっと前から気づいていた。自分がレズビアンだと認めざるを得ない出来事が起きたのが、高校生の頃。
当時の私はクラスメイトと一緒に、一人の女の子をいじめていた。彼女はレズビアンだった。入学初日の自己紹介で『私はレズビアンです』と、堂々とそう言った。クラスメイト達は彼女を笑ったが、彼女は一切動じなかった。
私は彼女が嫌いだった。いや、正確には、嫉妬していた。自分はレズビアンですと堂々と言えてしまう彼女に。
いじめが始まっても、彼女は顔色を変えずに毎日学校に通っていた。着替えの時はいつもトイレで着替えていた。本人曰く「私が居ると皆さんが着替えづらいと思って」とのこと。彼女は、いじめた相手を責めるどころか気遣った。
いじめは、一ヵ月もしないうちに収束した。罪悪感を刺激された主犯格の謝罪によって。
それから少しずつ、彼女は学校に馴染んでいき、学校自体が同性愛に寛容な空気に変わっていった。だけど、それでも私は彼女を認めなかった。認めたかったけど、認められなかった。認めるのが怖かった。彼女はそんな私の心を見透かし、手を差し伸べてくれた。私はそんな彼女に恋をして、大学生になると彼女からの告白を受けて付き合うことになった。私は、彼女に深く依存した。依存して、束縛して、いつも彼女を困らせていた。最初こそは『嫉妬してくれる君が可愛い』と困ったように笑って許してくれていた彼女だけれど、大学卒業してお互いに社会人になると喧嘩が絶えなくなった。その年の冬、ついに『しばらく距離を置こう。私はいつの間にか、君と居ると凄く疲れるようになってしまった。これ以上はもう優しく出来ない。ごめん』と、彼女に事実上の別れを告げられた。
自暴自棄になって、ナンパしてきた男性について行って、ホテルまで行って、一線を越えかけたところで、怖くなって逃げ出した。
彼女と住んでいるアパートに帰っても、彼女は帰ってこなかった。独りぼっちになってしまった。何気なくスマホを見ると、母からメッセージがきていた。『そろそろ彼氏は出来た?』と。狙ったようなタイミングだった。自暴自棄になっていた私は、勢いでカミングアウトしてしまった。すると電話がかかってきて、何を言われたかははっきりと覚えていないけれど、酷く罵倒されたことだけは憶えている。気付いたら私は家を飛び出していた。『もう嫌だ』と、電話越しに叫んで、スマホの電源を切って、家の鍵もかけずに。
近所の橋から身を投げようとしたその時だった。慌ただしい足音が近づいて来て「駄目です! お嬢さん!」と、男性の声が聞こえたかと思えば、ぐいっと身体を引き寄せられ、誰かの身体に受け止められる。ドッドッドッドッ……と、重く激しい心臓の音と、震える息遣いが頭の上から聞こえてきた。顔は見えなかったが、体格から男性だと分かる。恐らく、声の主と同一人物だろう。そんな分析をできるくらい、私は冷静だった。冷静ではないのは、むしろ男性の方だった。
「はっ……す、すみません! 急に触ってしまって! 橋から身投げしようとしているように見えたので、止めなきゃって思って。か、勘違いだったら「勘違いじゃないです」
私を離してあわあわとする男性に、私は死のうとしていたことを話す。どうせ、死ぬなと説教されるのだろう。そう思っていたが、男性は少しの沈黙間のあと、静かにこう問いかけてきた。
「差し支えなければ、理由を教えてもらえますか。まぁその……話したってどうにもならないから死のうと思ったんでしょうけど……」
「……怒らないんですか?」
「怒る?」
「死ぬなんて馬鹿なことやめろって」
「……僕も一度、死のうとしたことがあるんです。だから……死にたい時に、死ぬなって叱られる辛さは分かります」
「……」
「……すみません。エゴだって分かっていても、止められずにはいられなくて」
男性は私から目を逸らしながら申し訳なさそうにそう語った。気付けば私は泣いていた。男性はそれに気付くと慌ててハンカチを差し出してくれた。私は男性に死のうと思った理由を話すことにした。
「分かりました。聞きましょう。とりあえず、座りましょうか」
夜の公園で街灯に照らされながら、私は彼に全てを話した。自分がレズビアンであること、同棲していた恋人に出て行かれたこと、恋人のことを誰にも話せないことや当たり前のように異性愛者だと思われることのしんどさ、両親が典型的なホモフォビアであることなど、洗いざらい全て。彼はずっと、相槌を打ちながら口を出すことなく最後まで聞いた後、静かにこう言った。「僕もゲイで、それが原因で家族と疎遠になりました」と。そして続けた。「生きづらい世の中ですよね」と。
「お嬢さんの名前、まだ聞いてなかったですね。僕は
「……幸人さん」
「はい。あ、苗字は
サチトという名前は、親戚で集まるとよく話題に上がる名前だった。私の父の弟——つまり叔父の名前だ。親戚達はいつも彼を馬鹿にしたり、親不孝者だと罵っていた。理由は彼がゲイだから。『お前は同性愛者なんかになるなよ』父は口癖のようにそう言っていた。
しかし、幸人と名乗った彼は
「……
「……
それを聞いた幸人さんは「こんな偶然、あるんですね」と複雑そうに笑った。
「倉田幸之助は、僕の兄の名前です」
「……やっぱり。貴方は私の叔父なんですね。ご結婚、されてるんですか?」
「……いえ、苗字が倉田姓で無いのは、恋人の両親の養子になったからです。結婚は……したかったけど、法律が許してくれませんでした」
そう言う彼の声は震えていた。沈黙が流れる。冬の冷たい風が容赦なく私たちを突き刺す。
「……これじゃ、風邪引いちゃいますね」
雪がパラパラと降り注ぐ夜空を見上げて、彼は少し躊躇うようにこう言った。
「良ければ家、来ますか?」
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