第十四話 追憶

 食後、東方美人は別の部屋に行き、キームンとラプサン・スーチョンが同じ部屋に戻った。

 早速、ラプサン・スーチョンはベッドに肘を付いて片膝を立て、水煙草を吸い始めた。


 風の精霊が窓の外を楽しそうに飛んでいるのが、彼らには見えていた。


「懐かしいな、こうやってラプさんと一緒にいるのって。僕の記憶で一番懐かしいのは、長い黒髪で美しい中華人のラプさんだけど、その姿も見慣れてきたらカッコいいよ」


 もう一つのベッドに少年のように足を投げ出して座り、キームンが笑った。


 しばらくその笑顔を見つめてから、ラプサン・スーチョンは遠くを見るような目になった。


「母親に似てきたな」


 煙を吐きながら口の中だけでつぶやいたため、キームンには聞こえなかった。


 イギリスと中華界を往復する、東インド会社よりも小さな貿易会社のイギリス人のとある青年が、茶葉を始め、中華界の豊かな植物に魅せられ、女王の指令で居座るうちに福建の港から街にも、すぐ裏にそびえ立つ山地にも足を伸ばしてきた。


 紅茶は、福建の港から海路を経て西欧へと運ばれていた。


 西欧人は港の中華人からは警戒され、中華界のものを輸入しようとすると足元を見られ、高値にされたり、粗悪品を売りつけられたり、企業秘密だと言って詳細は説明せず、制作現場にも立ち入らせなかったりであった。


 彼はイギリス女王の使いでもあったが、中華界の文化にも魅せられ、好んで中華服を着ていた。


 高身長の西洋人にも合う長衣をよく着ていた。

 中華人が出かける時にもよく見られた、横から見ると平たい三角形に見える円錐形をした竹で編んだ笠も、金色の髪色を隠すように被っていた。


 中華語も、あいさつや買い物、日常で必要なものはある程度は通訳から教わり、街に入ってしまえば一見して西欧人だからと敬遠されることはなくなった。


 イギリスで重宝されていた紅茶ラプサン・スーチョンを気に入り、真仙である彼の噂を耳にすると探し求めた。契約して定期的に購入することになると同時に、イギリス人であることを告白し、仙術にも想いがあることを語った。


 異国の者が入門などは過去に例はなく、ましてやイギリス人は信用ならないと噂が流れていた。

 弟子や召使たちは反対したが、ラプサン・スーチョンは受け入れた。当時の彼は、キームンが度々口にするような長い黒髪の美しい色白の、たおやかな青年の姿をしていた。


 中華人を理解したい、溶け込みたいという思いと、仙術に取り組むひたむきな熱心さに、次第に周囲も彼を受け入れていった。


 ラプサン・スーチョンの一門は『青の民』と名乗っていた。

 福建の山に住む青の民は、港も近く、世界を知ることも大事だという考えから貿易会社ともやり取りがあり、海を挟んで隣の台湾に住んでいた東方美人とも時々顔を合わせ、ラプサン・スーチョンとそのイギリス人弟子と、東方美人も同行してイギリスを行き来していた。

 

 弟子はイギリスに戻った時に知り合った女性と一緒になり、生まれた子供をキームンと名付けた。


 親子三人で客船で航海中に、海難事故で弟子と妻は帰らぬ人となった。

 風の精霊と共に駆けつけたラプサン・スーチョンと弟子たちは、奇跡的に助かった幼いキームンを見つけて引き取り、育てた。


 物思いにふけり、口数が少ないラプサン・スーチョンには構わず、キームンが無邪気な笑顔のまま言った。


「ラプさんの煙龍イェンロン、久しぶりに見たかったなぁ! 僕がまだ小さい時に見せてくれたよね」


 幼いキームンが丘の上で遊び、景色を見渡していたところに、ラプサン・スーチョンが水煙草の煙を吐き、白い煙で小さい龍の子を作って見せたのを思い浮かべていた。


「わあ! すごい!」


 宙に浮かぶ煙を掴もうと、キームンがジャンプする。


 ラプサン・スーチョンは、その様子を微笑ましそうに目を細めて見つめていた。


「龍は邪気を払う。いずれは、お前も龍を使えるようになれ」


 うーん、と少し考えてからキームンは笑った。


「龍はカッコよくて大好きだけど、僕は蝶の方が好きかな」

「そうか。なら、好きなようにしろ」


 ふっと笑ったラプサン・スーチョンに、嬉しそうに「うん!」と、キームンが元気に応えた。


「あの時は、ああ言ってたね。雷が落ちたのは、僕が五、六歳の時だったっけ? 女王陛下に頼まれた仕事が終わったからって、急に中華界に戻るって言って、僕を東方美人ねえさんに預けて、そこから離れ離れだったよね。ろくに説明もしないで、ひどいよ。やっと再会出来たと思ったら、僕の困る顔が見たいとか意地悪言うし」


 ねたように笑って見せると、ラプサン・スーチョンは面白そうな目になった。


「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子を育てるという」

「もう、突き落としすぎだってば! 真仙術は十年以上使ってこなかったから、あれでも焦ってたんだよ!」


 ニヤッと笑った仙人の顔は、どこか悪戯イラズラっ子のようだ。


「確かに、準備してきたのがコンパスだけだったとは。ああ、蟹もか」

「蟹は偶然だよ! マフィアにあいさつするんだから、手土産がないと」


「道場破りやマフィアは手土産など用意しない。何か仕掛けていない限りは」

「あ、そ、そうなんだ?」

「育ちがいいヤツの発想だな。東方美人のしつけが行き届いていたか」


 クックッと可笑しそうに笑った。


「小さい頃、ラプさんに、上海で上り詰めろ、そうしたら再会出来るだろう、って言われて……僕なりに上り詰めたら、……こうなったよ」


 キームンは足を抱えて頬を乗せ、遠慮がちにラプサン・スーチョンを見る。


「もう、一緒にいていいのかな?」


 断られるか、「好きにしろ」か。

 そんな反応だろうと想像する。


「一緒に来い」


 目を見開き、耳を疑ったキームンは、反応が遅れた。


「……えっ、……いいの!?」

「いいと言っている」


「……わーい! ラプさん、ありがとーーっ!」

「いてっ、こら! 乗っかるな! 重い!」


 ベッドから飛び移ったキームンが、つい幼い頃の感覚でラプサン・スーチョンに飛びついていた。


   ***


「昨日はあなたたちにも積もる話があると思って遠慮していたんだけれど、実はね、これを渡そうと思っていて」


 翌朝、朝食の時に、東方美人が二人の前に封筒を差し出した。

 二人には見覚えのある紋章が刻印されている。


「え、これって……まさか……」

「イギリスからか」

「そう。女王陛下から、お茶会の招待状よ」


 キームンが、東方美人とラプサン・スーチョンを交互に見る。


「……てことは、イギリスに?」


「そう。船でインドを経由して行くのよ。私も一緒にね」

「なるほど。インド土産を用意していくのか」

「そういうこと」


 東方美人はティーカップを傾け、紅茶を一口飲んだ。


「インドでダージリンを拾っていくことになるわ」


「ダージリン! 僕もラプさんを探していた時にインドに行って飲んだけど、すっごく美味しかったよ! わかった。美味しいダージリンの茶葉を選んで、女王陛下に献上すればいいんだね!」


 冷静にティーカップをソーサーに戻してから、ラプサン・スーチョンが口を開く。


「ダージリンは、ちょうどセカンドフラッシュの収穫期か」


「ええ。女王様は、マスカットの香りマスカテルフレーバーのダージリンがお好きだから、爽やかなファーストフラッシュよりも、セカンドフラッシュの方をご所望よ。それと、もう一つ、茶葉を調達する蒸気船の護衛をして欲しいとのご依頼よ」


「護衛?」

「海賊か」


 ハッと、キームンがラプサン・スーチョンを見る。


「ご名答。インドに行くには東南アジア諸国の島々の間を船で通過するわ。海賊が出没する海域を通らなくてはならないの。それから、インドからスエズ運河を通る際も。阿種アージョン……いえ、ラプサン、あなた、ここ二十年以上船に乗っていないようだけど、大丈夫? やはり、が引っかかって……?」


 弟子夫妻の事故をずっと悔やんでいるのかと問いたげな目で見る東方美人を、キームンが不思議そうに見た。


「ラプさん、船酔いでもするの?」


 ラプサン・スーチョンがニヤッと、金色の瞳を輝かせて笑って見せた。


「久々の海だ。楽しみにしている」

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