* 第三章 インドの雷使いと女王のお茶会 *

第十五話 カレーとミルクティー

 外は少々蒸し暑いが、青々とした茶樹ジェイドトリーが並んでいて、時折涼しげな風が吹き抜けていく。


 石造りの建物の中では、半袖シャツに短パン姿の裸足の少年が、低い小さな椅子に座ったり立ち歩いたりしながら、床に直に設置された両手に抱えられるほどの小さな石造りのコンロで、手際よく直火で調理をしていた。


 逆立った金色の髪に褐色の肌。170cm前後の身長で、腕と足の、自然豊かなその場所で生活するうちに養われていった張りのある若々しい筋肉からは、十六、七歳だろうと見当がつく。


 カルダモンを潰さずホールのままバターで炒め、細かく切った香味野菜を加える。


 水とトマトを丸ごと入れ、木の蓋をして煮込んでから、ヨーグルトを揉み込んだ鶏肉に調味料とスパイスを放り込み、煮込んでから、生クリームと塩で味を整える。


「よしっ!」


 作り込んでいた経験から一発で満足のいく仕上がりとなり、笑顔になった少年は、香辛料の香りを振りまきながら鍋を外に運んだ。


「おーい! カリーが出来たぞ!」

「わかったー!」

「やったー!」


 ザーッ! ザーッ!


 外では、半月型の銅鍋にミルクが温められていた。

 少年たちがミルクをすくった。彼らの手には余る大きいカップを高い位置にかかげ、湯気の立ったベージュ色の飲み物を、もうひとつ手にした大きいカップへと勢いよく注ぎ落としていく。


 並んでいる二人の少年はそろって同じ動作を繰り返すと、カルダモンとブラックペッパー、ほんのりジンジャーも香るミルクティーが出来上がった。


 カリーを運んだ少年が手作り風の木製のテーブルの上で盛り付け終わると、椅子に腰かけ、早速三人で食べ始めた。


「甘い! やっぱうめぇなあ! ダム・マサラとディー・チャイが作るマサラチャイは!」


 待ちきれんばかりにカリーの前にそのミルクティーを啜ると、豪快に笑った。


「チャイを作るには」

「アッサム・ティーだね!」


 十五歳ほどの、褐色肌に焦茶色の髪のそっくりな見た目である双子たちは、目の前でミルクティーをあおる、彼らよりもひと回り身体の大きい少年に、嬉しそうに笑い返した。


 褐色肌の顔全体を幸せそうにほころばせた金髪の少年は、銀色の丸いプレートに乗せた、小麦粉を使ってかまどで作るチャパティを手に取った。

 ナンよりも薄いパンだ。


 それを片手でちぎり、チキンを煮込んだ濃いオレンジ色をしたバターチキンカリーをすくって口へ運んだ。


「うん、うまい! ママのチャパティはオレのカリーには絶対必要なんだ。持ってきて正解だったぜ!」


「ママのチャパティは」

「いつも美味しい!」


 双子も同じようにしてカリーをすくい取って頬張る。骨付きのもも肉が、ほろっと骨から簡単に外れる。


「んーーっ! チキンが柔らかくて」

「味がしみてる!」


「スパイスが効いてる」

「なのに、まろやか!」


「ドルジェリンのカリーは、いつもとってもとっても美味しいね!」

「ホント! 大好きー!」


 見た目も動作もシンクロしている双子が笑った。

 笑い方まで似ていた。


「おおっ! サンキュー! 南の方では米っていうのを炊いて、カリーをかけて食べるんだって。セイロン島のカリーはスパイスが効いててめちゃくちゃ辛いらしいけど、ココナッツが入ってるから辛味も和らいで美味いらしいんだ」


 チャパティをかじりながら、金髪の少年は続けた。


「今度キャンディのヤツがお茶をしに来るから、帰るときにセイロンまで送っていって、向こうのカリーを食って、作り方を教わってこようと思う」


「へー!」


 双子は同時に感心した。


「それで、ドルジェリン」

「ボク達のチャイに合うスイーツを作るって言ってたけど」


「おう! もちろん、もう出来てるぜ!」


 双子の少年たちの顔が期待に輝くと、ドルジェリンと呼ばれた金髪の少年は、飲み終わったチャイの入っていた素焼きの小さい器を、地面に投げつけて割った。


 その動作は、そこでは別段おかしくもなんともなく、ごく当たり前だった。そこら中に、割れた素焼きの器が転がっていた。


   ***


 英国女王の主催するお茶会には、女王の友人や身分の高い貴族から王室御用達の商人も招かれる。


 今回のお茶会は、茶葉の収穫時期に合わせて開催される。新鮮なお茶が飲みたいという要望を叶えるため、女王の最も信頼する貿易商人のひとりである東方美人に依頼した。


 中国の祁門キームン正山小種ラプサン・スーチョンそれぞれの名前と同じ茶葉を持たせ、インドでも茶葉を取り揃えて船に乗せるように言付かった。


「それなら、一度上海に帰らないと。祁門キームン紅茶は、安徽アンフイ省の祁門県に行って選んだり、僕の手下たちも上海に帰さないとだし」


 香港のとあるホテルのレストランでは、長い金髪をハーフアップにした白人青年のキームンと、褐色の肌に黒髪の美女の東方美人、薄紫色のやたら長いウェーブヘアの褐色の年齢不詳の男ラプサン・スーチョンが、朝食後の紅茶を飲んでいた。


「祁門紅茶なら王室専用のものをもう蒸気船に積んで、そこの港に待たせてあるわ。今回の件でラプサンの一番弟子の宇航ユーハンにも、最上級の正山小種ラプサン・スーチョンも持ってきてもらって、香りがもれないよう厳重に梱包して船に積んでおいてもらったし、もういつでもここから出発出来るわよ」


 キームンが、はあ! と感心した声を上げた。


「準備万端! さすが東方美人ねえさん!」


 東方美人の瞳が少しだけ引き締められた。


「今回は二週間で来るようにと言われてるの」

「二週間!? 蒸気船だって一ヶ月近くかかるのに!? 無理だよ!」

「そこが頭の痛いところなのよね」


 チラッと、東方美人はラプサン・スーチョンを見た。

 彼の方は別段表情が変わった様子はなく、ミルクティーのカップを傾けている。


「もしかしたら、もっと高速な行き方もあるかも知れないのよね? インドには、その行き方をご存知の、あなたの旧友がいらしたのだったわね? 阿種アージョン……いえ、ラプサン」


 古い付き合いだという東方美人は、たまに彼を、昔の呼び名——少年を呼ぶときの呼び名で、そう呼んでいた。


「ああ、その通りだ、ねえさん」

「その呼び方!」


 しれっとそのように呼び返したラプサンを、美人がにらんだ。


 香港から出発した蒸気船は、東南アジアの島々を越えてインドの北東の港コルカタ《カルカッタ》を目指す。


 女性が船に乗ることを恐れる迷信深い船員は、その船にはいない。それだけ東方美人はその船で海を渡り慣れていて、女王からの信頼も厚い。むしろ、彼女が乗船している方が安心とまで言われている。


 東方美人は英国風の白いドレスにつばの大きい帽子を被り、リボンで帽子と顎の下を結んだ、英国貴族のような出立いでたちでいた。


 見るからに女性の格好のままでは男ばかりの船の上では目立つのをキームンは少し心配していたが、常にその格好で貿易をし慣れていた彼女が危険な目に遭うことも、大きなトラブルに巻き込まれることもなかった。


「あなたこそ、得意の女装をしたらいいじゃない?」


「からかわないでよ。僕の女装は煙管キセルの煙の術で。今回はあえて女装する必要はなさそうだから、煙の無駄遣いはしないことにするよ。インドは治安が悪いって聞くし、海でも何が待ち受けてるかわからないからね」


「あら、意外と慎重なのね。成長したわね!」


 嬉しそうに微笑んだ東方美人に、キームンは半分呆れたような顔になる。


「蒸気船ならば風に左右されない。予定通りに行けるだろう」


 程よい筋肉質の褐色の腕を組み、チャイナカラーの袖のない長衣姿のラプサンが、低く響く声で言った。


 普段はベトナムの民族衣装アオザイを気に入って着ているキームンだったが、香港の服屋で朝一番に買い付けたものを仕方なく着ていた。中華服の中でもなるべく薄手でゆったりとした青と白の生地の服だ。

 飲み干した紅茶のカップをソーサーに置いた。


「手下全員を上海に帰すとしても、彼らの元々のボスも幹部も僕が病院送りにしちゃったから、今はまとめ役になりそうな人がいないんだよね。といって、全員船に乗せることも出来ないし……」


 ラプサンの目が笑っていることに、キームンが気付く。


「なに?」

「いや。ちゃんと舎弟しゃていどものことも考えてカシラらしいじゃないかと思ってな」

「なんだよ、二人とも、いつまでも子供扱いしてさ」


 少しだけ頬を膨らませる彼を見て、二人は一層微笑んだ。


「ええっ! ボス、俺たちだけで帰れって言うんですかい!?」


 案の定、黒スーツの手下たちが「冗談じゃねぇ!」と吐き捨てる。「一緒に帰るって言ったじゃねーか!」などと文句も出た。


 ああ、やっぱり、とキームンは思ったが、気を取り直す。


「女王陛下のご命令で、二週間でイギリスに着かないといけなくなった。だから、上海に戻っていられなくなったんだ」


「に、二週間……」

「いくらなんでも……」

「……間に合うんですかい?」


 ははは、と力無い笑顔で肩をすくめてから答える。


「蒸気船は近くに停泊してる。きみたちのうち半数は一緒に来て、もう半数は別の船で帰って、上海の古参マフィア紅蛇幇ホンシュア・パンから街の人を守ってあげてほしい。その際、街の人にお礼をよこせと言って金品などを巻き上げないこと。ちゃんと報酬は僕が払ってあげるから」


 マフィアの手下たちは顔を見合わせた。


「そんなことするより、皆一緒にボスについて行きたいに決まってるじゃないっすか!」

「そうだ、そうだ!」


「そう言うだろうと思ったよ。だけど、僕についてきたところで楽なことはないかもよ? ここからインドに船で行くには、まずは東南アジアの海賊が出没すると言われてる海を渡らないとならないし」


「へんっ! 海賊なんて怖かないぜ!」

「そうだ、そうだ!」


「うん、僕も、海賊と戦闘になった場合はきみたちがいたら頼りになるって思ってるよ。問題は、そのあとインドに着いてからなんだ。情報では、インドでこれから向かうところは治安が悪い。外国人と見たら襲ってきて金品を強奪する野盗が多いらしい。インドに住んでる中華人もいるけど、インドの言葉を話せない中華人は間違いなく外国人だから、きみたちも狙われ兼ねない」


「そ、そんなら、西洋人のあんたじゃ、一発で外国人てわかっちまうだろ」

「俺たちが護衛しますぜ、ボス!」


「ああ、そこは心配しなくていい。ただ、ちょっときみたちに頼みたいことを思いついたんだ。きみたちの経験したことのないことなんだけど。もしかしたら、上海に帰った方がマシって思うかも知れないんだけどね」


 キームンは、にっこりと、爽やかな笑顔になった。


 手下たちの中では、彼のその笑顔に安堵する者はひとりとしていない。


「僕に付いて来てくれる半数には、船で武器の補充をしてもらうよ。女王様のお茶会には遅刻なんて失態は許されない。さあ、急いで出発しよう!」

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中華紅茶男子! かがみ透 @kagami-toru

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