第3話

 さてそれから更に四年後、私達はようやく本国に戻ることができた。

 新たに用意された家にはまだ荷物が着いていなかったので、私達は義実家にしばらく厄介になることにしていた。

 家の車回しに降り立った時、すぐに懐かしい、というかあまり聞きたくない声が飛んできた。


「お兄様!」


 子供の手を引いたルミエルが走り出てくる。

 その背後から、ジョンが犬と共にゆっくりとやってきた。


「お兄様! ルミエルずっと待っていたのよ! ほら見て見て、お兄様の息子もこんなに大きくなって」


 夫と私は腰をかがめてその子の顔をじっと見つめた。


「始めまして。ネッド。僕は君の伯父のエドワードだよ」

「……おとうさまじゃ、ないの?」


 彼は黙って首を横に振った。

 え? 何で? とルミエルの表情が見る見る変わっていった。

 私は立ち上がる。

 周囲の使用人達の配置は。

 メイドは。

 執事は。

 ともかく男手は。


「うん。ねえ、僕の声は、誰かの声と似ていないかなあ?」

「あ、ジョン叔父ちゃん!」


 そう、ネッドという名の子供が大きく声を張り上げた時だった。

 ルミエルはぱっ、と後ろを振り返った。

 そこには顔色を変えたジョンの姿があった。

 ネッドは犬の方にとことこと歩いて行く。

 身体と同じくらいの犬とじゃれあう。


「なあ弟よ。隠していても、血は争えないんだよ」

「……兄さん」

「え、何、どういうこと」


 ルミエルはエドワードとジョンの間で視線をふらつかせた。


「お前、暗がりで僕と偽ってルミエルを襲ったな」


 ジョンは押し黙る。


「な…… 何を言ってるの、お兄様……」

「ルミエルお前がこの子を僕の子としたいという気持ちはまあ判る。判るんだが、残念ながら、お前がこの子を妊娠した頃、僕は大概研究室と役所とアガサの実家の三つを駆け回っていたんだよ。お前のことを考える余裕なぞなかった」

「嘘、だって」

「お前がそう思いたくとも、あの子は何処をどう見ても、僕の子というよりは」

「違う!」


 悲鳴の様な声が上がった。


「なあジョン、お前はどうだ? もう結構な歳になっても、何でまだ結婚話をいちいち断ってるんだ? ルミエルも何だが、お前も相当だな」

「え? え?」


 私は周囲に目配せした。

 何かが、その場で爆発しそうだ。

 近づきすぎない様、だけど、何かあったらすぐに手が出せる距離に。


「だからルミエル、誰もお前に言わなかった様だから、言ってやろう。ネッドは、ジョンがお前に産ませた子だよ。なあそうだろう?」


 いい加減観念しろ、とばかりに彼は重々しく告げた。

 その時だった。


「あ」


 動く間も無かった。

 ルミエルはその場からさっと足を動かし、ネッドの元に走った。

 そして犬と共に転げ回っている子供を引き離し持ち上げ――


 地面に叩きつけた。


 ひゅっ、と子供の息の音がした。


「誰か!」


 私はびっくりする程大きな声を出していた。

 ベンジャミン配下の男達が飛んできて、一人はネッドの元に駆け寄り、また一人がお嬢様、ルミエルを取り押さえた。

 お兄様お兄様、と取り押さえられながらも、思い切り目を見開いて、満面の笑顔になっていた。


「お前……何を……」

「ジョンの子だったんだあ! だったら要らない! ねえお兄様、今度は本当にお兄様の子供欲しいの! 作ろう! ねえ!」


 うわ、と背後の男が目線で同僚を招いた。

 どうやら一人では取り押さえられないらしい。


「失敗しちゃったね。だったらやりなおせばいいんだ。まだまだ私も若いし」


 夫は呆然として、義妹の笑顔から視線が外せなくなっていた。

 顔色が悪い。

 私は生唾を一つ飲み込むと、夫を横に避けて、彼女の前に立った。


「アガサも邪魔! ずっとお兄様を独り占めして! いい加減私に返してくれてもいいでしょ!」

「エドはあんたのものじゃない!」


 ぱしんぱしんぱしん。

 三回。思い切り平手打ちした。


「奥様、ちょ、ちょっと……」

「何するのよぉ! アガサあ!」

「貴女がどう考えるのもブラコンなのも勝手だけど、エドの心と、何よりあの子をあんな風に! するなんて!」


 指さす。

 そこにはぐったりと、動かすこともできず医者の到着を待つ子供の姿があった。

 そしてその側で心配そうに寄り添う犬が。

 犬ですら心配しているというのに、この女は!


「えー? だって、お兄様の子供だと思ったから、可愛がってきたのに。ジョンの子だって、そういうなら、それが本当なんだってお兄様が言うんだからそうなんでしょ? だったら要らない。元に戻ればいい」


 そして私から視線を外し、ただ夫の方を見て、お兄様お兄様、と手を伸ばしている。

 彼女を取り押さえる男達は既に三人に増えていた。

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