第11話 森の中の、木の実がよく取れる場所を教わったら、よく覚えておくこと。

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森の中の、木の実がよく取れる場所を教わったら、よく覚えておくこと。 (クロライナ王国の牛飼いの老人の遺言)



「諦めるしかないのか」


 ビドロの落胆は本人にとっては大きくても、他者にはどうでもよいことだ。むしろ、ビドロは自分の牛を取り戻したいが、それは大多数のクロライナ民にとっては重要な儀式の妨害だ。


「そういえば、戻ってくるの随分遅いわよねえ。時間がかかるとは聞いていたけど、それにしても待たされすぎて、うんざりよ」


 籠編み職人の妻のその言葉がきっかけになったのか、周囲の人々からざわめきが起きつつあった。儀式はどうなっているのか。きちんと牛を湖に沈めることができたのか。


「水位が戻らないとなると、もう心を決めて水が干上がった場所に家を建てて引っ越した方がいいんじゃないか」


「その場所に畑を作って麦を植えた方がいいと思うぞ。今までは、水が戻るのを期待して、干上がった場所に活動拠点を移すのを控えていたけど、もう諦めた方がいいのかもな」


 人々の不安が募る中、それからしばらく待ち続けても漁師の独木舟が戻ってくることは無かった。だからといって湖の水位も戻ることは無く、減ったままだ。


 これは、儀式は失敗だろうな。


 ビドロは心の中だけで呟いた。何故失敗したのか、牛を生贄として捧げる、という占いの結果自体が誤りだったのか。いや、それ以上に現在のこの状況だと、儀式がきちんとした手順で完遂されていない、という可能性の方が高い。ビドロは集まっている人々を掻き分けて走り、自分の家に戻った。その途中で、湖の方向へ一人で駆けて行く飛雁姫とすれ違ったが、自分の用があるので無視した。家で手早く荷物を纏めて、クロライナの街を出て北西へ向かった。


 これで幾度目の白龍堆砂漠の旅になるだろうか。夜になっても冷え込みが厳しくなる前は歩いて、本格的に体が冷えてきてから羊毛の毛布に包まって眠った。


 目指した場所は、カラブランの住処だった。一度行った場所なので、途中の道のりの過酷さに苦労はしつつも、迷うことなく無事に到着した。森の中で木の実を採れる場所はよく覚えているのと同じ要領だ。洞穴の中に向かって呼びかけても返事は無かった。カラブランは出かけていて留守らしい。


 帰宅を待つ、ことも一瞬考えたビドロだったが、時間が惜しい。それに確認したいことがあるため、そのまま洞穴には入らずに東へ向かった。


 真正面に聳える三角鱗岩を北側から迂回すると、視界が開けて眩しい青さが目に入って来た。白い砂浜の向こうには満々と水を湛えた湖があった。予測が当たって、ビドロは満足げに頷いた。


 カラブランが住んでいる場所からそう遠くない所に、孔雀湖が位置しているはずだ、と踏んでいた。生活するための水や魚を釣って手に入れるためには、湖が近くなければ不便だからだ。三角鱗岩が障害物となっていて、湖がすぐ近くだということが見えなかったのだ。


 肝心のカラブランの姿は無い。だが、ビドロの読みが正しければ、いずれこの近辺に姿を現すことだろう。そう考えたビドロは、日差しを避けるために三角鱗岩の日陰に入って座って休むことにした。


 カラブランはすぐに出現するだろう、と思っていたのだが、そう都合良くは事は運ばなかった。かなり長時間待ち続けて、もうすぐ日が暮れるという頃、湖上に浮かぶ筏を発見した。


 筏の上には一頭の牛が載っていて、一人の人間が長い櫂を使って筏を漕いでいた。牛は、脚を縛られてもいないし、重い石の入った麻袋を括り付けられてもいないが、ビドロにとっては遠目ではあっても見覚えのある愛着のある牛だった。


 筏を漕いでいる人物も、ビドロの存在に気づいた様子だった。特に慌てるでもなく、落ち着いた様子で櫂を操り、筏を岸の砂浜に付けた。牛が砂浜に降りると、後からカラブランも降りた。


「カラブランさん、この牛を連れているのは、俺の知り合いの漁師のはずなんですが、彼はどうしていますか」


「死んだから、今頃は湖の魚の餌になっているんじゃないかな」


 知り合いの非業の死に、ビドロは鼻の奥に突き刺すような痛みを感じた。だが、悲しんでいる余裕は無かった。


「カラブランさん、牛を沈める儀式が行われることを、どうやって知ったんですか」


「そんなの全然知らないよ。いつも通り、独木舟に乗ってクロライナの街に盗みに行こうとしていたら、偶然筏に載った牛に遭遇したんだ。だから急遽予定を変更して、漕ぎ手を油断させて殺して、牛を奪ったのさ」


「一応忠告しておきたいんですけど、今更ではあるけど、カラブランさんがきちんと罪を償いさえすれば、クロライナの街に戻れる可能性もあると思うんですよ」


「そんなものは無いだろう。そもそも俺を追放したようなあんな街になぞ戻りたいとも思わない。湖の水位低下で苦労して、じわじわと苦しみながら滅んで行けばいいんだ」


 ビドロはため息をつくと同時に、カラブランのこの姿を飛雁姫に見せなくて良かったと少しだけ安堵もした。


「ビドロとかいったか。お前は知らなくていいことまで知り過ぎた。申し訳ないが、あの漁師と一緒に湖の魚の餌になってくれ」


 言うが早いか、カラブランは左手に持った櫂でビドロに殴りかかって来た。右手は二本の指で櫂の柄に添えているだけだ。


 大振りな攻撃なので、ビドロは体勢を崩しながらも素早く回避した。カラブランは、怪我で失職したけれども元は姫の護衛兵であった。つまり戦闘の専門家だ。一方ビドロは若さと体力はあるが、牛飼いだ。戦闘訓練など積んでいない。


 体勢の崩れたビドロの右肩を目がけて、カラブランの櫂が振り下ろされた。身を捩ってギリギリで躱したつもりだったが、ビドロは避け切れなかった。肩の骨に鈍痛が走り、皮膚が破れ血が滲み始めたのを否応なく感じる。


 苦痛の呻きを漏らすと同時に、自分の見込みの甘さを後悔する。カラブランは年をとって体力が衰えていて、しかも片手が不自由なので、仮に戦闘になったとしても遅れは取らないと思っていたのだ。ビドロの動きが止まったところを見逃さず、カラブランは片手で櫂を高く振りかぶった。


 ビドロは恐怖ゆえに目を閉じて、死の瞬間を待った。最期の瞬間が来ないことを訝しく思ったのはほんの短い刹那。聞こえてきたのは、苦し気な、絞り出すような悲鳴だった。


 恐る恐る目を開けたビドロが見たのは、薄暮の湖を背にしたカラブランが振り上げた櫂を落とすところだった。そのまま膝が曲がって崩れ落ちそうになったが、中途半端に立ったままだった。


 生贄になるはずだった牡牛が、長い角で背後からカラブランを刺し貫いたのだ。土壇場で、牛は飼い主であるビドロを救ってくれた。


 カラブランは背後から腹部を牛の角で貫かれていて、さすがに絶命している様子だった。ビドロはというと、相手の死を悼む余裕も無く、自分の命が助かった安堵感で脱力して、白い砂浜に四つん這い状態で荒い呼吸を落ち着けようとしていた。


 牛が首を振ると、角からカラブランの遺体が抜け落ちた。遺体が砂浜に落ちる音で、ビドロは我に返った。


 気が抜けて脱力している場合ではない。クロライナの裏切り者であるカラブランをなんとかする、ことに関しては最悪の形ではあるが達成できた。しかし、孔雀湖の水位を戻すにはどうするか、については未だ解決ができていないのだ。すぐに牡牛を連れてクロライナに戻って次の策を立てなければ。


 その時、牡牛が警告を発するように鋭く鳴いた。


 何が起きたのか。ビドロは身構えた。


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