第10話 知恵と助言こそが、形の無い宝物なのだ。

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知恵と助言こそが、形の無い宝物なのだ。 (クロライナ王国の牛飼いの老人の遺言)



 翌朝、カラブランが用意してくれた朝食は、昨日食べた物と大きく変わりはしなかった。羊の干し肉の代わりに牛の干し肉を出してくれた。


 食べながら、カラブランが極論を展開し始めた。


 そもそも自分は王家の占いというものを信じていない。姫の目の前では言いにくいことではあるが、姫に嘘を言うよりは本当の気持ちを伝える方が誠実といえるであろう。自分は手に怪我をしたが、まだ働くことはできた。にもかかわらず、占いは自分を役立たずと決めつけてクロライナから追放した。現に、自分は白龍堆砂漠で野垂れ死ぬではなく、今もまだしぶとく生き抜いている。あの時はクロライナ王家は自分を切り捨ててそして今回はよりによって姫を切り捨てようとしている。誰かを切り捨てて成り立つ平和や安心とは、一体何なのか。自分も、かつて姫の護衛をしていた頃には、王家に忠誠を誓っていたし、占いも信じていた。だが自分が占いの当事者となって、占いの頼りなさを目の当たりにした今となっては、生贄を捧げたとて、湖の水位が元に戻るとは思えない。水位低下の原因は単純に入って来る水の量に対して出て行く水の量が多いだけではないか。水不足に付け込んで自分の麦畑用にだけ水を独占確保して優位に立とうとしている自己中心な奴がいるはずだ。そいつを粛清して水を解放すれば、いくらかでも湖の延命になるのではないか。


 その言葉はビドロの価値観からするとあまりにも逸脱しまくっているので、もしかしたら昨夜の酒がまだ残っていて酔いの戯言なのではないかと一瞬疑った。だがカラブランは一晩ぐっすり眠って顔色も戻っていたし、息も酒臭くない。素面で言っている本音なのだろうとビドロは判断していた。


 朝食後、ビドロと姫の二人は出発することにした。広大な砂漠の一隅で他者と遭遇するという奇跡ともいうべき出来事が起きたばかりではあるが、だからこそ同様な出会いの二度目が無いなどと、誰に証明できるものか。とにかく一カ所に長居していても事態が好転する可能性は無いとビドロは踏んだのだ。


 カラブランの見送りをうけて、二人は南東へ歩き始めた。水と食料は、クロライナの町まで到達できる十分な量をカラブランに分けてもらっているので、来た時よりは精神的に楽な旅路となる。そのはずだった。


 道中の旅が過酷なことは同じだが、姫は常に上機嫌だった。


 昼になり、気温が上昇し、空を飛ぶ小鳥も心なしか疲弊して見えてくるようになると、地上の二人も、三角鱗岩の日陰に入って休むことにした。


「姫、あのカラブランなる男が一緒に居る場では言えませんでしたが、あのカラブランという男のことは信用しない方がいいでしょう」


「どうしてですか。それはもちろん、彼がクロライナ王国に対して複雑な感情を今も持ち続けている可能性は否定しきれません。ですがもう遠い過去のことです。クロライナは小国で、全ての人々が協力し合わなければ生き抜いていけません。過去のしがらみにしがみついて相手を否定しても何も始まりません。和解の道筋を作るために、わたくしはクロライナに戻って占いやその他の手段を講じてみたいと思っているのです」


「大変申し上げにくいことですが、姫はあまりにもあのカラブランという男を甘く見過ぎです。あの男と和解というのは今更もう遅いというか、無理でしょう。なぜならあの男は、現在進行形でクロライナに敵対しているからです」


「どうして。どうしてそんな酷いことを言うのですか。カラブラン兄さまがあなたに何か危害を加えたとでも言うのですか」


「あの男、何も無い白龍堆砂漠の中で一人で暮らしているのに、随分と暮らしぶりが豪華だと思いませんでしたか。魚の干物あたりは自分で釣って干して作っているかもしれませんが、チーズのような乳製品は、どこでどうやって手に入れたと思いますか。あの男が自前で牛や山羊を飼っている様子はありませんでしたよね」


「それは……」


 姫は目を伏せた。睫毛の長さが、ビドロと姫の間に距離を開いた。姫に反論の言葉は無かった。


「答えは簡単ですよね。乳製品は、クロライナの街に潜入して盗んできているんですよ。まあ、乳製品に限らず、酒とか、他の物もあれこれ盗んでいるかもしれませんが」


「で、でもそれは、生活のために仕方なく……」


「仮に仕方なくだとしても盗みは許せませんが、仕方なく以上に盗んで贅沢な生活をしていますよね。同情の余地は無いかと思います」


「そんな……そんな酷いことを言う人、嫌いです」


 それ以降、飛雁姫のビドロへの態度は目に見えて冷淡になった。必要最小限以外は全く話そうとしなくなってしまった。白龍堆砂漠を歩いている間、三角鱗岩の陰で休んでいる間、無言で気まずい時間が続いた。カラブランについての見解を姫に話すにしても、クロライナの街に到着する直前にしておけば良かったとビドロは後悔したが、もう遅かった。


 二人がいよいよクロライナに近づくと、それに気づいた街の方から四人の兵士が迎えに出てきた。


 四人の兵はまず、姫の無事を確認して安堵の息をついた。兵士たちの仲間が姫を乗せるための馬を確保しに行っているというが、まだ体力に余裕のあった姫は待つのももどかしく、兵士たちと一緒に歩いてクロライナに戻ることにした。


「姫のご無事は良かったとして、お前、牛飼いのビドロだな?」


「そうです。もう姫を湖の生贄にしなくても済む方策を探してきました」


 ビドロは力強く宣言した。だが兵士のうち、最も年長と思われる頬髭の長い男が小馬鹿にしたような表情に変わった。


「姫を生贄にするとか、しないとか、今更何を言っているのだ。湖への生贄の件については、姫が行方不明にられた時点で、国王陛下による新たな占いが実施されて、姫が生贄になることは撤回された。代わりに、ビドロが飼っていた二頭の牛のうち一頭を生贄として捧げることが決まった。儀式は丁度今日の朝方から始まったところだ」


「牛を殺されるのは困るぞ」


 ビドロは叫んだ。自分自身が処刑されるとしても、それは一時の痛みで済む。だが、牛を奪われると生活が成り立たなくなり、じわじわと時間をかけて破滅への斜面を転落して行くこととなる。


「絶対やらせない。儀式を阻止して牛を取り戻してやる」


「あ、待て。どうせもう行っても遅いぞ」


 兵士たちが制止するのも聞かず、ビドロは旅の疲れを放り棄てて湖へ向かって駆け出した。


 旅の疲れもあって、走っている途中で息切れして歩く速度とほぼ同等になってしまったが走り続け、人々が集っている湖岸に到着した。水位が本来だった時の湖岸である。今の湖の水は露出してしまっている湖底の土の更に向こうだ。


 集まっている人々の数はかなり多く、クロライナに住む人々のほとんどが来ているのではないかと思われた。一段高くなっている壇の上に湖の先を見詰める豊かな髭の国王の姿があった。


 ビドロは手近に居た人に状況を尋ねた。振り向いたその女は、あの籠編み職人の妻であった。十歳くらいの息子も連れている。ビドロに対して「今までどこに行っていたのか」とあれこれ質問してくるのをなんとか受け流して、状況を聞き出した。


 それによると、今日は朝早くから大事な儀式の日ということで、クロライナ民の大部分が見守りとして参加している。生贄とされるのは、ビドロが飼っていた二頭の牛のうち年老いた長い湾曲角を持つ牡牛の方だった。牛は、丸太を荒縄で縛って組み上げた筏の上に載せられている。四本の脚はしっかりと縛られ、更に麻袋に入れた重い石を体に括り付けられている。筏を漕いでいるのはビドロの知り合いの漁師だった。所定の位置、つまり、湖のほぼ中央部分のある程度近くまで行くと、一緒に曳航してきた普段の独木舟に乗り換えて、切れ味の良い青銅の刃物を使って筏を組んでいる荒縄を切断する。筏がバラバラの丸木になると、牛は湖の中に沈んで行くということだ。牛が泳いで逃げることを防ぐために、脚を縛って重りとなる石を括り付けてある。


「ほら、漕いで行く距離がかなり長いから、朝早くに出発したんだけど、今はもう姿が見えなくなる所まで行ってしまったわよね。アタシたちは牛を湖に沈め終わって、執行役の独木舟が戻って来るまで、ここで見守るように言われているのよ。儀式だから仕方ないけど、随分長丁場よね。アタシもう疲れちゃったわ」


 孔雀湖には、中央部分がくびれた瓢箪のような形をしている。中央部分まで行かずともある程度筏が進むと、もうビドロたちの立っている岸からは見えなくなる。恐らく、障害物が無かったとしても水平線の向こうに消えてしまうかもしれない。


 ここから大声で呼びかけたとしても沖の漁師には到底聞こえないだろう。どこかで独木舟を調達してきて追いかけても、ビドロの牛を救出するには間に合わないだろう。


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