第3話 大きな鯉を釣ろうと思っても、釣れるのは小さな鮒。

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大きな鯉を釣ろうと思っても、釣れるのは小さな鮒。 (クロライナ王国の牛飼いの老人の遺言)



 王の屋敷を出た時には陽が傾き始めていた。ビドロは急いで夕方の仕事に向かった。飼っている二頭の牛を使って四輪車を曳いて、湖の水を汲んで畑に運ぶのだ。湖の水位が低下したということは、居住地や畑から湖岸が遠退いたということに他ならない。湖の水を汲んで離れた場所まで運ぶ仕事は需要が高まると同時に忙しくなっていた。


 南から北へ向かって流れて来て孔雀湖の最南端に注いでいる孔雀河は、元々水流の少ない細い川なので、川辺に生える草を牛や羊に食べさせるくらいしか役に立たない。川の水を家畜に飲ませると、堆積が少ないとはいっても川底の砂が舞い上がってしまうので下流の水が濁ってしまうのだ。居住地に数カ所だけ掘られている井戸も、最近は水の出が悪くなってきているという話を聞いたことがある。孔雀湖以外は広大な白龍堆砂漠に周囲を囲まれているクロライナにとって、水の枯渇は死活問題だ。


 年老いた長い湾曲角の牡牛と、まだ若い牝牛の二頭を四輪車に繋いで、水を汲むための羊の皮袋を幾つも載せて、ビドロは湖岸へと向かう。道は整備されておらず、単に人が多く歩く細い帯状の土地に、他の建物が建てられておらず畑にもなっていないから、実質的に道路として利用されているだけのことだ。行きは水を積んでいないから四輪車もさほど重くはないが、水を満載した帰りは牛にとっては重労働だ。木の幹を輪切りにした重い車輪も、いつ荷重に負けて割れるか分からないのだから、せめてもう少し軽い車輪を作ることができないものだろうかとビドロは常々思っている。


 湖に向かって牛を牽きながら、途中ですれ違う知り合いと軽く挨拶を交わしながら、同時に考え事を巡らせる。最初に思いついたのは、姫を生贄にするというのが方法として認められるのならば、王を生贄にするのも一つの方法ではないかということだった。姫の父親である王は、今年で五十歳を過ぎているはずであり、一般的なクロライナ民の寿命を考慮すれば既に老人といえる年齢だった。しかし王が不在となってしまえば王族は姫一人だけとなってしまい、抗争事項の調停や政策協議に支障が出てしまうから、この選択肢は破棄しなければならない。


 だが、それを言うならば、姫が生贄となって生命を捧げるのもクロライナの未来を考えれば袋小路である。姫が生贄になるという話が無かったならば、将来的には婿を迎えて女王として夫と共に王家の務めを果たし、やがて子に引き継いで行くという流れになるはずだった。姫を生贄として捧げた後の王家はどういう展望を持っているのか、王に問い質しておけば良かった、と今更ながらビドロは議論展開の不備を後悔した。姫が生贄になるのを阻止することが第一義なので、姫が亡くなったその後に思考の重心が向いても困るのだ。


 姫と、二人きりで会うことはできないのだろうか。謁見の間では、姫は公的な立場として表向きのことしか発言できなかった。あくまでも姫の一人の人間としての個人的心境を聞いてみたい。天が、地が、姫を生贄とするべしと決めたとは到底思いたくないし、もし仮にそうであったとするならばビドロとしては天や地を敵に回してすら構わないと思っている。


 雑然と纏まらない考え事の網に絡まれている間に、孔雀湖畔に到着した。湖畔といっても旧湖畔であり、白龍堆砂漠と同様の白っぽい岩盤質の地面の端に立っている。ここから先は本来は湖底だった場所で、柔らかめの土である。四輪車で乗り入れることも不可能ではないが、それは往路だけのことだ。水を満載した後の復路は車輪が土に埋まってしまい、二頭の牛が息を切らして力を込めても四輪車は動かなかった、という過去の失敗で懲りている。


 四つの羊の皮で作った水袋を背負い、羊の皮の靴を脱いだビドロは元来湖底だった地面に裸足で降り立った。水位低下のせいで、現在の水辺まではそれなりの距離を自分の足で歩かなければならない。気合を新たにして、日光の熱を吸った土の熱さを足の裏に感じながら歩いて行くと、正面から人影がこちらに近づいて来るのが次第に大きく見えてきた。草の蔓をあざなった綱で独木舟を曳いているその男は、ビドロと同い年の知り合いの漁師だった。


 二人は接近すると挨拶を交わし、立ち止まってお互いの仕事の首尾を尋ねた。草で編んだ籠の中身を、漁師はビドロに見せて自嘲的な笑みを浮かべた。大きな鯉を釣ろうと思っても、釣れるのは小さな鮒、という欲を持ち過ぎることを諌める箴言があるが、籠の中には雑魚とも言うべき小さな鮒しか入っていなかった。孔雀湖の水位低下によって水そのものが減少するのも大きな打撃ではあるが、湖が与えてくれる恵みもまた目に見えて減ってきているのは憂慮すべきことだった。


「そういえばビドロ、王に面会したんだろう。飛雁姫にも会ったんだろう。どうなったんだ」


 いまだ独身のビドロとは違い、漁師の男は既に結婚していて子どももいる。だが、妻を愛しているのとは別に、クロライナの象徴ともいうべき美しき姫に対する憧れを抱いているのはビドロと同様だったし、その姫が生贄になるという発表に疑問を抱き首をひねったのもビドロと同じだった。姫を生贄にするという決定を覆すことには失敗してしまったが、ビドロとしては諦めるつもりは無く、根本問題である水位低下の原因を調査して水位回復のための手立てを取るつもりだ、とビドロは話し、何か役に立つ情報や伝承を知らないかどうか漁師に尋ねた。漁師は再び自嘲的な笑みを浮かべた。


「そんな都合のいい方法を知っていたら、俺が自分で湖の水を復活させている。あ、でも、湖の底には、湖の主というべき巨大な鯉が棲んでいて、その巨大な魚がこの孔雀湖の水を司っている、というのは聞いたことがある。いつか会って話を聞いてみたい」


「ふむ。ありがちな話ではあるけど、生贄というのは、その主の鯉に対して餌を捧げてご機嫌を取る、ということなのかな」


「さあな。でもビドロ、お前は普段から伝説や伝承を集めるのが好きだったよな。もしかしたら何かのきっかけでそれが役に立つかもしれないぞ。お前の知識で姫を救うことができるかもしれないんだから、頑張れよ」


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